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『奇書の世界史 歴史を動かす”ヤバい書物”の物語』感想

『奇書の世界史 歴史を動かす”ヤバい書物”の物語』三崎律日/角川書店

昔から奇書と呼ばれるものにとても興味がありました。
端的に言えば、私にとって本とは「ココデハナイドコカ」に連れて行ってくれるもの。そのココデハナイドコカに行きたくて、私は子供の頃から本を読んでいたのだと思います。

弟と年が離れているゆえに一人っ子期間がそこそこあり、ひとり遊びの時間が長かった私には、本というのは恰好の遊び場であり逃げ場であり、ある意味では家庭教師のようなものでした。
両親は私が本を読むことについては文句は言わずむしろ推奨していました。母親はちょっとマンガに対してはアレルギーめいたものがあったけれど、漫画に対してどうこうというより、私がマンガに夢中になりすぎたからだと思う。実際、マンガじゃなくて小説であっても、そればかりに夢中にんっていると嫌な顔をしてたから。
ともあれ、私の周囲にはいつも買ってもらったもの借りたもの問わず本がたくさんあって、学生になってからは本と食事ならば迷わず本を買うことを選んでいました。

学生の頃、私は突如としてミステリにハマりました。貧乏学生だったのに一日に3冊くらいはクリスティの本を買ってきては読んでた。
そこから興味が広がり、クリスティだけでなくいろんなミステリを読むようになったんです。今では古典とも言われるミステリですね。
学生の頃は図書館は遠かったけど本屋さんは近くに何軒もあったので、そこそこ在庫のあるそういうミステリは手に取りやすいという理由もあったな。

その中にはペダンティックとよばれるものがありまして、それがものすごくツボにはまったんです。日本語では衒学的というんでしょうか。
要は知識をひけらかす感じ。
それがひけらかしと呼ばれる類のものか、当人は別に意識しているわけではなくそうなってしまうのかは作者自身でないからわかりませんが、一見本筋には関係のないようなさまざまな知識-歴史だったり宗教的なものだったり音楽だったり民俗学だったりそのジャンルは作者や作品によってさまざま-が次から次に出て来る類のものですね。
本筋に関係ない知識をやたらひけらかしている、と思いきや、それが推理の重要なヒントになっていたり、それこそが舞台装置だったりするから、必ずしもひけらかしているわけではないんですけど。
ときに私は推理の道筋よりもむしろそこで披露されるありとあらゆる知識の方が気になって読んだりもしていました。

そんな中に時折出て来る、世界の奇書と呼ばれるあれこれは、当然気になってしまいます。
でも奇書と呼ばれる本ってあんまり本屋さんには置いていません。図書館にだって置いているとは限らない。
そして何しろ買うには高い本が多すぎる。

そういうわけで、私は奇書を読みたいと思いつつもうずっと手が出せなかったのです。
そうして出会ったこの本。そりゃあ読むでしょう。

と思ってわくわくしながら読み始めましたが、なんか思ってたんと違う。

私にとっての奇書は『鼻行類』ハラルト・シュテュンプケ(ゲロルフ・シュタイナー)や『平行植物』レオ・レオニ、『アフターマン』ドゥーガル・ディクソンのような本。
三大奇書と言われるものですね。(とはいえ私は『鼻行類』は読んだけど『平行植物』は積読、『アフターマン』はそもそも手に入っていないのですが。)
つまり、徹頭徹尾、作者が意図して創作した偽史やいたって真面目に一から十まで創作した架空のものを扱う本。

けれど『奇書の世界史』の作者の三崎律日さんが興味を持っているのは、狙って「奇書」としては書かれていない本なのです。
「かつて当たり前に読まれていたが、いま読むとトンデモない本」
「かつて悪書として虐げられたが、いま読めば偉大な名著」
そう言った本たちです。
本編では「かつて一般大衆に受け入れられたものの、現代では期初になってしまった書物」が、番外編では「かつて奇書やフィクションの類と目されたにもかかわらず、現代では名著としてたたえられている書物」が紹介されています。

取り上げられたのは以下のとおり。
◆本編
『魔女に与える鉄槌』ハインリヒ・クラーメル、ヤーコブ・シュプレンガー
『台湾誌』ジョルジュ・サルマナザール
『ヴォイニッチ手稿』
『野球と其害毒』東京朝日新聞コラム(新渡戸稲造ほか)
『穏健なる提案』ジョナサン・スウィフト
『非現実の王国で』ヘンリー・ダーガ—
『フラーレンによる52Kでの超電導』ヤン・ヘンドリック・シェーン
『軟膏を拭うスポンジ』ウィルアム・フォスター
『サンゴルスキーの「ルパイヤート」』ウマル・ハイヤーム/フランシス・サンゴルスキー装丁
『椿井文書』椿井政隆
『ビリティスの歌』ビリティス(ピエール・ルイス訳)

◆番外編
『天体の回転について』ニコラウス・コペルニコス
『物の本質について』ルクレティウス
『月世界旅行』ジュール・ヴェルヌ

この中で私が思う「奇書」は『台湾誌』と『椿井文書』かなぁ。解説を読む限り『ヴォイニッチ手稿』と『ビリティスの歌』もその範疇に入るかも。
『フラーレンによる52Kでの超電導』は捏造された論文になるので、こういうところに入って来るとはまったく考えもしないものでした。

と、私の思う「奇書」と作者が思う「奇書」とは少しばかり定義が違っていますが、それはそれで楽しく読めました。
なにしろ、私の知らないことがこの本の中にはたくさん詰まっています。

『魔女に与える鉄槌』は知っていましたが、これが書かれるに至った作者の状態や共著者のこと、大学の査読のことなんてまるで知らなかった。
『ヴォイニッチ手稿』は名前は知っていたけど、そもそもどんなジャンルのものかまるで知らなかった。
ジョナサン・スウィフトは読んでみたいと思いつつも実際は手を出してはいない作家さんのひとり。なにしろガリヴァー旅行記でさえ子供向けのものしか読んでいないのだから。
『椿井文書』はやっぱり名前だけは聞いたことあるけどどんなものかはまるで知らなかった。
『ビリティスの歌』は名前さえも聞いたことがなくて、こういう本があるのかというところからの驚きだった。

細かいところを挙げたら本当にキリがありません。私の知らないいろんなことがこの本の中に詰まっていて、まさに新しい世界が目の前に広がったという感じ。

『月世界旅行』については、その話そのものよりも、『月世界旅行』を読み憧れた人たちが現実の宇宙へのミッションを多く担ったというあたりがとても面白かった。鉄腕アトムやガンダムに憧れ、ロボット・アンドロイド等の研究を始め発展させた人たちに通じるものがありますよね。

そんなふうにとりあげた「奇書」そのものだけでなく、なぜ作者が「奇書」を書くに至ったか、作者の周囲、本を読んだ人の反応など、周辺のことがいろいろ書かれているのがとても面白かったです。

この本は第二弾も出ているのでそちらも読んでみたいですね。

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