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横浜DeNAランニングクラブが廃部になって思うこと 2020/10/06

先日、横浜DeNAランニングクラブが実質的に廃部になるという報道がありました。個人的にはそれを受けて、思ったことを書いていきたいと思います。

僕は大学卒業後、実業団選手として現在の横浜DeNAランニングクラブへ2014年に入団しました。そこから3年間、2017年まで同クラブの選手として在籍させて頂き、クラブ並びに会社から多くの学びを与えて頂きました。
このことは僕の中で大きな財産になっていますし、今の僕の活動にも影響を与えていると思っています。

(横浜DeNAランニングクラブに所属していたときの筆者)

富山県出身の僕は、
両親が公務員の家庭で育ち、地元の進学校、北陸にある国立大学(富山大学、金沢大学、新潟大学など)を卒業して、地元の大手企業や行政機関に就職するのが良しとされる環境で生活を送ってきました。

良くも悪くもそのような保守的な環境の中で育ったので、自分自身、石橋を叩いて叩きすぎて壊すくらいの慎重な性格だと思っています。

(漫画「HUNTER×HUNTERより引用」アモリ三兄弟の末っ子と同じくらい慎重な性格だと自負しています)

そんな自分が、現在はプロランナーとして活動していますが、大学を卒業したばかりのときは、まさか自分がそんな活動をするとは思っていませんでした。人生なにがあるかわからないなとこの年齢ながらも実感しています。
これもDeNAの社風であるベンチャースピリットに影響されたのは、少なからずあるのかなと自分では感じています。

(入社するときに薦められた書籍「不格好経営」 会長の南場智子さん、またDeNAとはなにか?が詰まっている本)

当時、大学生のときにはじめてDeNA(会社)を知ったときの印象は

「ディーナ?ああ、ディー・エヌ・エーと読むのか」
「どうやらモバゲーの会社らしい」
「あのCMでやってる怪盗ロワイヤルの会社か」

と今思い出してみると、今の認知度とかなり差があったんだなと分かります。
僕が無知だったのはあるかと思いますが、7年ほどで時代は大きく変わるのだなと感じています。
(それにしても怪盗ロワイヤル、懐かしい。。)

(当時放映されていたテレビCM)

この認知度もDeNAが横浜ベイスターズの球団を買収したことが大きく作用しているのは言うまでもなく、スポーツが企業の認知度と信用度を高めたひとつのケースとしてあげられるかと思います。

(横浜スタジアムで駅伝を行ったときの写真、球団のマスコットキャラクターがかわいい)

個人的に一番印象に残っているのは、在籍していた3年目に現在も運営されているランニングのアカデミー部門のコーチを務めながら、ランニングクラブの選手も兼務していた時のことです。
丁度在籍していた3年目にスポーツ事業の一環でスクール事業展開がはじまりました。当時はクラブの所属選手として在籍していましたが、選手としての結果も中々出せずにいたこと、また知識だけは豊富で子どもたちへの指導が向いていそうな性格ということもあり、アカデミー部門のコーチとして僕に白羽の矢が立ちました。

正直、最初は選手活動のみに集中したいという自身の思いもありましたが、

事業の立ち上げに関われる機会は中々あるものではない。
今後のキャリアにもなにかしらプラスになるのではないか。

当時指導頂いていた会社のメンターの方からもそういった言葉を頂き、自分としても納得感があったので取り組むことを決めました。
今思ってもあの時の判断は自分の中で正しかったと思います。

実際事業に携わってみると、はじめてのことばかりで戸惑いも多かったですが、自分が成長する場になったと思います。

最初の頃は事業における定例ミーティングに参加すると、
カタカナ用語が沢山出てきて、

「スキーム?リマインド?フィックス?マージ?」

皆さんルー大柴なのかなと思うこともありましたが、あとでググってなんとか理解していくことに努めていました。(カタカナを言えるとカッコいいと思っているタイプです)

(ドラマ「半沢直樹2」より引用 「不正スキーム」という言葉が沢山出てきたので、「スキーム」って言いたい気持ちわかると共感した)

事業にあたるチームの皆さんと情報を共有し、どういった目的、手法で事業を進めていくのか、実際にその過程を経て事業を構築していくことができたのはとてもやりがいがあり、貴重な経験になりました。

また現役選手のときにジュニア選手と関係を持てたのも、個人的にはとてもプラスになりました。
子どもたちが練習に対して楽しそうに、また真剣に取り組んでいる姿を間近でみながら指導することは、自分の選手活動の励みになっていました。
子どもたちに偉そうなことを言うからには、まず自分が見本を示さないといけません。
自分ができていないことを言っても説得力に欠けると思っていたので、競技での成果を残さないといけないと思っていました。

(子どもたちにいいところを見せないといけないとレースで奮闘する様子)

印象に残った出来事としては、
ニューイヤー駅伝に出場したときに、子どもたちがテレビでその姿をみていてくれたようで、駅伝後に指導したときはいつもより態度が良くなっていたことは今でも覚えています笑
こういった出来事も現役選手のうちだから経験できることで、賛否両論あるかと思いますが、少なからず現役のうちだから伝えられること、またできることがあると思って今の活動にも取り組んでいます。

(退団するときに手作りケーキをもらい、なんてできる子どもなんだと感動しました)

実際はわずか1年間のみの指導でしたが、
その時指導した子どもたちも成長して今は高校生になっています。
先日オンライン講義をジュニア選手向けに開催することになり、過去に指導していた選手にニーズをヒアリングするため連絡をとり、話をしました。外見もそうなのですが、発言もそれ以上に成長し、大人っぽくなっていたのでその変化に驚きました。
自分も子どもたちに負けないくらい成長しないといけないなと励まされるのと同時に、陸上競技を通しての繋がりが今もあることに喜びを感じる自分がいました。

ランニングクラブは実質的に廃部になってしまいますが、そこでできた縁や関わった人というのは、その後も存在し続けます。
中々目にみえるものではないかもしれませんが、そこで得た学びや、思いというのは受け継がれていくことになると思います。

最後にDeNAのミッションである

『Delight and Impact the World』
世界に喜びと驚きを

この言葉を忘れず、これからも自身の活動に取り組んでいきたいと思います。
会社やチーム関係者の皆さん、在籍していたひとりの選手としてこの場を借りて感謝申し上げます。ありがとうございました。

(DeNA企業HPより引用)

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