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京大理学部の学生になってそこで見た風景

後期試験の合格発表を見に行かず来年度の予備校の手続きをするためどこの大学のどこの学部に行きたいかその時点での学力を無視してとりあえずゼロから考えてみる。

僕の場合は最終的に、京都大学理学部、が浮かんだ。

理由はいろいろある。

まず僕が行ってた札幌南高校には個性が強く意志も強い人たちがいっぱいいて、生徒同士だけでなく先生やシステムもそれを尊重する感じが強い。その雰囲気が好きだし自分には合ってると確信してた。京大の学風が自由で学生も個性が強いという情報をみたので、おそらくそれがかなり影響してる。

あと細かいけど、英語の試験を見た時も解答欄が広い和訳と英訳だけで、できるかどうか知らんけど、とりあえずやる気にはなる、という感じが近いか。あと修学旅行で行くような、実際行った京都に住む機会はこれを逃したらまあないだろう、とか。

既に学校教育とは別に芸術やスポーツなど専門的に取組んでいる方を除いて、日本の受験情報誌的には医学部とか東大とかが真っ先に出てくるんだろうけど、僕の場合は万が一いろいろ×いろいろうまくいって試験を突破したとしてもその後うまく行く気がしない。

やる気になるかどうかは個人的にはかなり大事。

受験アドバイザー的には「まあちょっと落ち着きましょうか。。」という案件だろうに、親にそう言ったら、

「そうなのがんばってね」

くらいで完全に信頼されている感じが逆に頼もしい。予備校では進路相談なかったな。


高校までは、この問題苦手とかあるにはあるけど、基本ずっと理科を勉強するのは好きだった。そういう状況で学部を選ぶ時それなりによくあると思うけど、理学部と工学部のどっちにしようか少し迷った。

結果的には、工学部の各学科のどれが自分が学びたいことかピンとこなくて、細かく分かれていない理学部の自由な感じが僕にはピンときて目指すことになった。


それで(=予備校時代は自分なりに頑張って〜〜略)、2002年京大理学部の学生になった。最初の頃僕が持った印象は、個性が強い人の集まりというよりは僕より優秀な人がたくさんいるという感じがした。男子校は経験なかったので最初はそういう意味の見た目の一様さを個人的に受け取った気もする。

学科は理学科1つしかなくて、個人的な志向性はあるにしろ、数学、物理、生物、化学、地学とか、受験によって授業が振り分けられてはいない。なので個人によって、上の5専攻の枠組みのどれか一つを中心の授業を選択することもあれば、複数に跨って授業をとる人もいる。5専攻のどこを中心に物事を考えているのかで、いろんな考え方の志向性が出てくるんだろう。

基本的には3回生でその5専攻のどれかに系登録をすることになっているけど、卒業要件には"卒業研究科目"以外に授業の種類の制限がほぼない。数学に系登録して"卒業研究科目 "は数学をとったけど、他の単位をとった専門科目*は数学ではなくて、ほとんどが生物とかも原理的にはありえる。

*:一般科目と専門科目があって、卒業するまでの下限の専門科目単位数がある。あくまで2002-2006当時の話で現状は把握してない。

こういう状況は外からみたら「なんじゃそりゃ」という印象を持つ人も結構いるかもしれない。それ以上興味を持つのは学部選択に迷っている高校生くらいかもしれない。高校生がこのページにたどり着くことはあまりない気がするけど、僕が覚えているうちに入学後のことをもう少し。


そもそも僕が理科を勉強するのが好きだった理由としては、自分がどこから来てどのように生きてどこに行ってしまうのか、という漠然とした疑問に対し、かなり部分的であるけど答えを知ることができる、という側面がある。小学校の時はそれがわからなくて怖くて泣いたことがある。そういう意味では、好きというより、ああーすっきりした!という感じか。

あるとき、理路整然とした数学と羅列的な自然の諸事実をつなぐ役割をしているように見える物理を起点として、僕自身を含む自然をより広く詳しく知りたい、という感情になって、それからそれがずっと根幹にあると思う。

そういうわけで僕は入学した時から物理に系登録できたらいいな、と思ってて実際にそうなったから、物理の理論系の専門科目の授業は基本出てた。

ただ他の4専攻(特に数学と生物)の内容も気になるので、それぞれの専攻でなにかしらなんとなく授業に出てみたり試験を受けて単位をとってみたりもした。理学部専門科目の授業はほとんど同じ建物または隣の建物で行われてたので、専攻が異なる授業を気軽に行き来できたのが良かった。

その当時は事前履修登録がなくてレポートと試験自体が登録代わりの授業も多かったので気軽にそういうことができた気がする。そんな風に単位をとっても理解した感じがない科目も多いし、単位の卒業要件的にも必要なかったことはその時もわかっていた。でも、実際はそういうふうに過ごしてた。

授業の風景の印象が強かったのは、数学では昼挟んで2限続きの板書量が半端ない代数学、解析学、幾何学。生物では数理生物学、自然人類学とかは今に繋がってるからか。物理では、"Landauの洗礼的な"解析力学が一番記憶に残ってる。

物理では3回生で系登録して課題演習をとって4回で課題研究をとって卒業がいわゆる通常("よい"という意味でない)コースだ。課題演習は、前期に宇宙線ミューオンの観測、後期にペットボトル振動子をゴムチューブでくっつけると起こる同期現象に触れた。課題研究は、統計物理系の理論で主に乱流統計と多体系の有効2体相互作用とかの計算をした。

京大理学部では自主ゼミがあるらしいと聞いてはいたけど、僕個人は3回生まではどこにも参加しなくて4回生で課題研究に配属された時のメンバー発案のゼミに参加し出した。久保亮五の統計物理学とか数学関係の輪講とか、大学院入試過去問題とか。次々とゼミの種類が増えてって毎日周りについていこうと必死で体力的には大変だったけど、それはそれで充実感はあった。


これまでいろいろな個性を持った人たちが京大理学部でそれぞれの過ごし方を見つけてきたんだろう。

当時の僕にとっては、年間フリーパスを持ってる科学の遊園地のようなトレーニングジムのような場所だった、という言い方が近いかも。





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