同日に重なった大学院入試を新幹線(東京→京都)で両方受験

大学の学部4回生になると卒業後、就職するか大学院に進むか、あるいは自営業したり、新しく起業するなども選択肢に上がる方もいるんだろう。

僕の場合は、より専門的知識を学んだり研究活動を経験したいし、就職するにしても大学院に進んで修士課程終了後と考えていた。所属していた京大理学部は大学院進学者が割合多く(当時少なくとも50パーセント以上)、そういうふうに考えている方もおそらく割合多かったのではないかと思う。

2005年春、大学院の受験先を探すことになったわけだけど、まずは所属していた京大理学部の大学院組織である京大理学研究科の物理学専攻を受けることはすぐに決めた。

もう一つはいろいろな点から、東京"の"大学と決めた。だけど、東京の大学の研究室はたくさんあって、どこの大学のどこの先生の研究室が自分にとってあってるかを見極めるのは当時の僕にとってはかなり難しかった。

当時は"非平衡物理"・"生命"というキーワードでホームページを片っ端から見ていって、論文をダウンロードして目を進めてみるけど結局よくわからない。ひたすら情報を集めてうーんと唸っているとなんとなくこっちな気がする、ということはよくある。結局そんな感じで東大大学院総合文化研究科相関基礎科学系を受験することに決めた。

希望の研究室を決めれたのはよかった。二つ受験するということは、どちらの研究室にも受かれば最終的に納得してどちらかに決めれるし、どちらか失敗して落ちてもまだチャンスがあるということだ。だけど、東大の面接日と京大の筆記試験の日程が重なっていた。つまりどちらかの試験が受けられない。

具体的には、京大の筆記試験は2日にわかれていて、1日目の午前午後と2日目の午前が物理の試験で、2日目の午後が英語だった。その京大の2日目試験日午前(物理)に東大の面接があった。両大学とも8月末-9月初旬にかけて筆記試験をある基準で通過すると面接試験があった。


東大の筆記試験は熱力学のエントロピー変化の計算を間違ったり、量子力学の摂動計算できなかったりしたけどそこそこの感触で筆記試験はパスした。というのを京大のコンピュータ室からホームページにアクセスして知って嬉しかったけど、京大の1日目の試験は受けた。

正確に言うと、京大の1日目の試験に関しては、東大の結果を知った後に受けたのか知る前に受けたのかどんな試験だったかあまり覚えていない。大きな失敗に試験中には気づかなかったか、東大の面接どうしようと頭がいっぱいになってたということかもしれない。


東大の面接日つまり京大の筆記試験2日目になった。面接では、筆記試験はどうだったと聞かれたので、上で書いたできなかったことを話したり、学部で勉強して興味を持ったことについて聞かれたので、課題演習で触ったペットボトル振動子の同期現象のことを話した。

面接の感触は特になかったけど、とりあえず終わってほっとして時計を見る。新幹線とタクシーを使って、京大筆記試験2日目の午後英語試験に遅刻はするけど何かは答案用紙に書けそうだ、と気が付く。もちろん午前の試験を受けてないので、そもそも面接受験資格があるのかわからないし、あったとしてもその分は0点なはずなので、合格点までいくかかなり怪しい。

でも時計を見たときには特に迷うことはなく、急いで井の頭線東大前駅から品川駅に向けて電車に乗った。

京都駅からタクシーに乗って、試験時間半分くらい過ぎたあたりで英語のテスト用紙をもらって、できるだけ書いたんだと思う。たぶん疲れ過ぎてたのか内容は全く覚えてない。


次の日、筆記試験通過者をあまり期待せずに見に行くと掲示板に僕の受験番号がある。つまり明日面接ということなのであまり喜ぶ間もなく話す内容をうーんと唸って考えてた。結局面接では、Ginzburg-Landauの相転移の話をした後

「なぜ試験に来なかったのですか?」

と聞かれて、行きたかったけど日程がわるいの!!、と思いながら

「東大の面接を受けてました」

と、特にいい言い訳も思いつかないし、正直に答えた。


頑張った甲斐あったのか(?)両方通って結果的にはよかったけど、当時の印象は「なんで同日なの!?どういうこと!!」。まあ事務手続き上、学生に辞退されると"いろいろ"大変という事情はあるんだろうけど。。


2020年春、大学院に限らず今後の入試の見通しが立ちづらい状況が続いているけど、状況が好転して何事もなかったかのように元のシステムのままか、それとも上の話がいつのアナログ時代?というような新しいシステムに移るか。


あなたはいつの時代?





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