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バンドの夢破れたり。そしてライブドア入社へ

2005年3月 ライブドアに入社しました。

といってもキラキラな履歴書を持って行ったわけでもなく、スカウトされたわけでもなく、面接官に気に入られたわけでもなく、それまで働いていた会社がM&Aされアルバイトの身であった私も連れて行ってもらえただけなのです。

キャリアのスタートはCS(カスタマーサポート)

ライブドア入社から遡ること約2年。当時24才の私は青山にあった「株式会社YYC」という会社でアルバイトとして深夜のCS業務を行ってました。
事業内容は出会いを提供するサービスで、私は「健全な出会いの場」が提供されるようにw 日々電話やメールによるお問い合わせの対応、プロフィールに登録する写真チェック、時には暴走したクレーマーと戦っておりました。
(深夜クレーマーとの対決は本当疲れたw)

ちなみにこの会社は非常に珍しく(いい意味で強烈な上司がいたこともあり)CS部隊の社内での影響力は高く何をするにもまずはCSに話を入れてからという文化で、電話対応もワンコール以内、メールの返答はX分以内と非常に厳しかった記憶があります。

ちなみにその当時はBecky!というメールソフトを使ってメール対応をするわけなのですが、アルバイト始めた当時はそもそもBecky!の使い方すら微妙なレベルの低い青年でした。それでも、それまでバンドしかやってこなかった自分からするとネットサービスの運営に関われることはとても新鮮で楽しかったのでなんとかしがみついて頑張った記憶があります。

ライブドアの子会社になります

会社生活にも慣れ順調にアルバイト生活を送っていた矢先、社内スタッフに「ライブドアの子会社になります」急遽こんなお達しがきました。
アルバイトの身ではありましたがただ事じゃないぞという空気は感じながら「アルバイトはここまでね(クビ)」通告が来るのであろうと身構えた瞬間でした。

結局会社の配慮もありアルバイトも皆一緒に転籍することになり晴れて私はライブドアにアルバイトとして入社することになるのです。

バンドも落ち着いてるなら社員になる?

ライブドア入社後、当時のYYCの社長に呼ばれ「バンド活動も落ち着いてるなら正社員になって仕事に打ち込みませんか?」的な話をもらいました。ちょうどその頃バンドも解散し、特にやりたい事もなかったので二つ返事で「お願いします」と返答し入社から数ヶ月でライブドアの正社員となるわけです。(今だとそんなノリで正社員になるなんて考えれませんが、当時のライブドアはいけいけどんどんだった事もありラッキーといえばラッキーでした)

*ちなみに株式会社 YYCという会社自体は現在存在しませんが当時提供していたサービスは株式会社 Diverseによって今でも継続しています。

YYCのサポートからライブドアのサポートに

当時ライブドアにはきちんとしたサポート部隊はなくTさん(のちにLINEの公共政策室で活躍)と数名がサポート部隊を立ち上げようとしているタイミングでYYCのサポート部隊が本体にジョインすることになります。

当時はlivedoor blogが急激にシェアを伸ばしているタイミングで、どんなに頑張っても残りの件数が4桁から下がることがなかったくらい過酷な状況でした。

CSの立ち位置は決して良くはなかった

YYC時代とは変わり、ライブドア内でのCSの優先度や期待値は決して高くなかったと思います。「クレーム処理しといてやー」そんな扱いだったと思います。それでもTさんと共ににディレクターとの関係構築、クレームや要望のフィードバックのレベルアップ、などなど自分自身のコミュ力も発揮し2年くらいでチームをそれなりの位置にまで押し上げられたのではないかと思います。(今思うとこの時この環境を経験しておいて良かったと思います)

もっと事業貢献できる仕事がやりたい

そうこうしてるうちに、CSという立ち位置ではなくもっとサービスに近い位置で事業貢献したいという気持ちが芽生え始めました。一度そう考えてしまうと性格的に気持ちを抑えることができず、当時の管轄役員?S上司に直接「ディレクターにしてください」とお願いをしに行きました。

結果は「まずは修行」でした。約1年ライブドアリサーチのアシスタントとして頑張って欲しい。そこでの活躍次第で次を考える。でした。
とにかく一歩前進でしたが、そもそもリサーチすらやったことがないので「ストーリーがない!」「仮説がない!」「こんなシュミレーションで回答件数いくわけないだろ!」といった感じで散々でした。

「インターネットについての勉強会」をセッティングされるほどの屈辱を浴びながらもなんとかこれは「期待の裏返しなんだろうな」と、とにかくポジティブに変換してw  毎日そして1年努力をしました。

実は俺やめるんだよね。衝撃のフィードバック!

そして1年が過ぎS上司とも関係値が作れてきた時、思い切ってそろそろどうでしょう?と焼き鳥屋に誘い出しました。

そして衝撃の一言「実は俺辞めるんだよね」でした。

「よく頑張ったね!」「よし異動だ!」こんな回答を期待していたのにいきなり「俺辞める」ですw ビビりました。

ただ、そこは流石でした。きちんと私の異動先も目処をつけてくれていて、木原くんが良いならそこの部署に推薦するよということでした。

その部署というのがライブドアに新設される横断組織「事業企画部」でした。そしてさらに気になるのは誰が上司で誰が仲間?ってことなのですが
その時告げられたのは「上司は田端さんだよ」「メンバーはうーん多分あとNさんっていう(女性)だよ」でした。

翌日以降、田端さんってどんな人?Nさんって誰?人脈を駆使してリサーチするが田端さんに関しては返ってくる答えが「怖い」「面倒」「壁に習字?貼ってる人」「声が大きい」そんな回答ばかり。期待していたNさんに関しては「唯一その田端さんにタメ口をきける怖い女性」でした。

終わった。。。これは冗談じゃないぞ。

すぐにS上司に話をし、なんとかしてください!(なんとかなるわけないのに)心配です!と伝えたが「ま一緒に働いてみると見え方も違うし、慣れるよ!!」とあっさり終了・・

そして日は経ち新しい席に移動し、とりあえず座ってる田端さんにご挨拶するがパソコンいじりながら頷いてくれるだけでしたw(こわっ)

そんな時でした! Nさんが「木原くんもきたことだしさ,歓迎会で高級焼肉でも連れてってよ!(連れていきなさいよ!)」と無邪気にチームチャット(当時はスカイプ)で投げかけました。「流石Nさんは違うなー」「高級焼肉って叙々苑かなー楽しみだなー」(当時高級焼肉といえば叙々苑しか出てこないくらいの純粋な青年です)と思ってた矢先。田端さんからのチャットの反応が!ドキドキ。

高級焼肉の定義はなんですか?」

はっ?何その返し。高級焼肉の定義??

それから数件食べログのURLが矢継ぎ早に送られてきて「これは高級ですか?高級ではないですか?」の押し問答が始まりました。

めんどくさい。。と感じた瞬間でした。

しかしこの田端 信太郎 氏との出会いが私の社会人人生を180度変えることになるのです。続きは次回にて。

次回予告(仮)
メディア野郎 田端 信太郎 氏との出会いと珍道中

*ヘッダの写真はバンドぽいのがなかったので、lievdoorの謎の集団「section31」時代の写真を拝借しました。リーダーはLINEのEvangelistになっちゃうし、左の人はなんとかHRの執行役員なっちゃうし。みんなすごい人たちなのです。


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