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15年勤めたLINEを卒業しました

2005年3月にライブドアに(M&Aで)入社し通算で今年で約15年。
2020年7月31日を持ってLINEを卒業しました。

卒業するタイミングでいろんな方から

・15年ながっ!一番思い出になってる事なんですか?
・なんで辞めるんですか?(嫌なことでもあったんですか?)
・次どこいくんですか?

みたいな質問を沢山いただきましたが、正直思い出はありすぎて一言では言い切れないし(流石に15年だし。。)卒業の理由も超ポジティブです。むしろ転職先でしっかりLINEに恩返しする予定です。(既に計画中)

で、7月31日でLINEも除籍ともなり、新天地での生活も(7月から業務委託で働いていたこともあり)徐々に慣れてきたのでこの15年を振り返りつつ新天地のこともnoteにまとめてみようと思います。

そもそも私は山口県の下関という田舎の生まれで、バンドで成功するために東京に出てきたので、サラリーマンとして働くことなど一切考えてませんでした(まじで)。

ライブドアに入社する前は様々なバイトを掛け持ちしながら年間約50本近いライブ、借金しながら全国ツアー、アルバイトのジャンルもCD販売、新作が入らない(金なくて)レンタルビデオ屋、パチンコ屋、居酒屋、(当時流行していた)光る携帯電話のアンテナ作り、チラシ配り、ガテン系の日雇い、その他大きな声で言えないもの含めて数多く経験しました。(自慢ではない)

ライブドア入社の2年くらい前は当時建設されたばかりの六本木ヒルズの前で朝早くから出勤前のサラリーマンに夜のお店のチラシを配ったりしてました。まさかその2年後に六本木ヒルズに入居しているライブドアに入社するなんて夢に思わなかったです。

という感じなので上場企業に就職してそれなりの立場で仕事して、家庭持って二児のパパ生活なんて想像もできなかったわけです。

そんな私の15年、様々な人との出会いも含めたサラリーマン人生を吐き出してみようと思います。

「バンドを辞めてライブドアに入社した理由」
「メディア野郎 田端信太郎 氏との出会いと珍道中」
「広告事業(アドテク)に熱中した理由」
「LINE Ads Platform事業(LAP事業)への思い」

をつらつらと書いてみます。リモートワーク中の息抜きにでもしていただければ幸いです。

次回予告(仮)
「バンドの夢破れたり。そしてライブドア入社へ」

#ヘッダーの写真は7年前のものです

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