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note毎日投稿20日やってみてわかったこと

いやあ、子どもの日ですね。

ちょうど今読んでる孫 泰藏さんの本『冒険の書』で、

「子ども」という概念が発明されたがゆえに、大人と子どもが区分されて、「子どもあつかい」をするようになった

という内容を知ったばかりだったので、そんな「子ども」専用の日がつくられた背景を想像すると、これまでとはちがう「子どもの日」が見えてくるなーとか、

そういうめんどくて楽しいことを考えている、「子どもの日」です。

noteの投稿も今日で20回目。

一応4月16日から毎日投稿してるので、20日連続で投稿をしたことに。

もともと毎日投稿を目標とせずに始めたんですが、「発信することのリハビリ」を目的にしていたので、

その場合毎日投稿の方が考え方としてシンプルでやりやすかったため、結果的にここまで毎日投稿するやり方で来ています。

「自分の発信を通じて他人に価値を与える」みたいな、発信の本来的な価値の観点で言うと、全くそこはできていないので、

完全な自己満足ではあるんですが、まだ20日投稿しただけとは言え、達成感みたいなものは感じますね。

「スキ」が1つもついていなかろうが、ほぼアクセスがなかろうが、少なくとも「自分ではない誰かが見ようと思ったら見られる状態」をつくることができている、その立場にいけたことが自分にとっては大きな進歩だなとおもいます。

「100%誰にも見られない文章」

「1%でも他人に見られる可能性のある文章」

この2つは、アクセス数などの結果だけを見るとほぼ変わりありませんが、似て非なるもの。

何より書くときの思考量は雲泥の差だとおもいます。

発信するときに考えることはたとえば以下のようなこと

・どういうタイトルにすると見たくなるだろうか?

・この本文の場合、タイトルを何にすると一貫性もたせられるだろうか?

・冒頭どうやって書き始めると個性が出るだろうか?また、最後まで読んでもらいやすいだろうか?

・どこで改行すると読みやすいだろうか?

・平仮名と漢字のバランスをどう調整すると読みやすくなるだろうか?

・この話の結論をどこに持っていくと読んだ人に少しでも満足感を与えられるだろうか?

・文章の中に「自分ならではの意見」を入れられているだろうか?他人の意見の引用とうまく分けられているだろうか?

・どれくらいの気軽さのある文章書くと、重くならずに継続して書けるだろうか?

これって、自分以外に見られない文章だったら1ミリも考えないことですよね。

結果がどうあれ、こういうことを「考えざるを得ない状況」に置かれていることが、発信力みたいなものを高めるために大切だったんだなーと実感しています。

そのような思考が日頃から回ってると、本を読んでも映画を見ても、友人とのコミュニケーションでも、「何をアウトプットすると良いだろう?」みたいなことを考えながら情報をインプットするようになるんですよね。

つまりは起きている間はだいたい自然に思考している状態ということになるので、生き生き度合いが増したというか。

発信を常日頃からやってるみなさんが常に生き生きしている理由が少しわかった気がしました。

とは言っても、今の自分は「発信が重くならない(嫌にならない)ために、読み手のことをあまり考えない」ということをモットーにやってるので、そこまで思考を回せているわけでは全然ないんですが...まあ以前の自分と比べてということで、、

読み手のことを考えていない証拠に、タイトルにある「note毎日投稿20日やってみてわかったこと」の明快でシンプルな答えをここまで何も言ってません..

なので、ここで言います。
わかったこと、それは、もう、

あれこれ考えながら書くの、楽しい


ということっすね。

楽しいって、いいですよね!

今日初めて「バスケットLIVE」でBリーグの試合を見て、無性にバスケをしたくなってます!

以上っっ!!

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