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これが俺のすべて(始まり前編)

はじめましてのごあいさつ

岡山湯郷BelleのスタジアムDJやってる岸本さん。

はじめましてのみなさま。二度目まして以降のみなさま。
こんにちは。おはようございます。こんばんわ。
MC・ナレーターをやってます 岸本ヒロキ と申します。
「誰?」って思ってるあなた! それでいいです(笑)
これから、すこしづつ知ってください。少しづつでいいです。

岡山県という中国地方鉄道のクロスポイントを拠点に、たくさんのスポーツやイベント、温かい方々や、地域に囲まれながら活動させていただいております。
自分のホームページでは、あまり詳細に今までの経緯だったり想いだったりっていうのを書いてきていないので、ここでいっぱい書けたらいいなと思いますし、読んでください。こういう人間なんで気に入ってもらえたらラッキーくらいの気持ちでおります(まだnoteを使いこなす自信がないから)。


ミュージシャン→Youは何しに声のお仕事へ?

細い。若い。

高校在学中に、同級生がきっかけでバンド活動を始めることになりました。
当時は、ブランキージェットシティとか、ミッシェルガンエレファントとか、ハイ・スタンダードみたいなバンドが同級生界隈で流行っていて、メロコア・スカコアなんていう音楽ジャンルに多くの男子が憧れを持ってました。
僕自身は、中学の頃から変わらずスピッツとかゆずとかそういう音楽の方が好きだったので、あんまり音楽友達いないままでした。

大学受験が小論文の受験対策をやったにも関わらず「作文」で終わり、周りが受験で苦しんでいる中、かなり余裕を持って冬に突入した記憶があります。
やってみたかった「路上ライブ」に挑戦!
そこからソロ活動。自分で曲を作るようになって、自主制作のCDを作るようになって、地元の楽器屋さんに助けてもらいながら、いろんなところで歌わせてもらうようになって、楽しい時間をいっぱい過ごしましたねえ。。
「The Street Fighters」では、全国地上波デビューも果たし、念願の横浜伊勢佐木町でも路上ライブやりました。TV見たよーと言って応援してくださった方にも会えたり、充実してました。それなりに。

そんな音楽活動、20代中頃くらいからあんまり人に言ってない一つ決めていたことがありました。
「30歳になったら辞める」
ライブの中のMCだったり、他のミュージシャンと夜通し熱く語った中で、「ずっと音楽活動はやめない」って漠然と言ってきた事と反する気持ちだったりするんですが、ずーーーーーーっと思い続けてました。

いざ30歳になってみると、「もっと出来たなー」とか「ちょっと諦め早かったのかなー」とか色々考えちゃうんですが、一つ区切りをつけようとしてたんじゃないかなと思います。若いなりに。

音楽活動を終わった後、「音楽が少し好きでギターが弾ける普通のお兄ちゃん(おっさん)」になったわけですが、ある野望が小さく火を灯すわけです。

で、話は前後するんですけど、中学生の頃からサッカー観戦とサポーター活動みたいなことにも力が入るようになって、たくさんの試合に行くようになってました。
そんな中でスタジアムDJという職業を目の当たりにするわけですね。
当時は「ラジオとかTVのお仕事をする、バリバリ大学もいいところを出て、めちゃくちゃ頭のいい人がやる仕事」という先入観を持っていながら、聞いていた「スタジアムの声」。

たくさんの飲み会や友人との話の中で「俺あれやってみたいんだよねー」と軽々しく発言したことから、実際の某MCさんを紹介していただいちゃったのです。
「君が思ってるような華やかな仕事じゃないよ?」と前置いた上で、「やってみたいんだったら見においで」と言っていただけたのです。
これが、僕にとってのすべての始まりであります。
はじめの目標はあくまでサッカーのDJになる。だったわけです。
そんなこんなで、MCやってます。

きっかけはそんなところ。
これからすこしづつ紐解いていきたいと思います。
読んでくださってありがとうございます。

岸本。




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