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3連敗のち3連勝して街が光る 〜香川で見た夢と現実〜

2016年5月、以前から「やってみないか?」とお話をいただいていた「野球のスタジアムDJ」というものに初めて触れさせていただいたことから、今回のお話に至ります。
香川県で、ほんの少しだけ自分も夢を見させてもらいました。


間が悪い。

サッカーのスタジアムでしか喋ったことのない自分にとって、当時は不安ばかり。
香川オリーブガイナーズ。緑のユニフォームを身にまとい、四国アイランドリーグplusを戦っているチームで、喋る機会をいただきました。

僕より以前にガイナーズでMCをやっていらっしゃった「とみーまうまうさん」(今は一線を退かれてるので本名での紹介は控えます笑笑)に横で教わりながら(というかほとんどやってもらいながら)、初めての野球のスタジアムDJとしてデビュー。当時の課題は、「複数交代が言えない」「プレーが追えない」「現在の打順がわからない」。
野球を知らなかった自分にとって恐怖でしかなかった。

厳しいレクチャーを受け、小さくなる岸本ヒロキさん(右)

香川オリーブガイナーズのスタジアムDJのお仕事は、音の演出の全て。今は僕は行ってないので、違うかもしれませんが、音楽・アナウンス・スコアブック(自分用)・進行などという超マルチタスク。
この話をすると、大体の方は驚きます。
見よう見まねしながらも、幾つもの試合を経験し、そして少しづつ、ほんの少しづつなんですが、自分のものにしていきました。

はじめのうちは余裕が無く、内容をしっかり捉えることの難しかった野球のルールも、公式記録員のお2人に教えていただきながら、少しずつ少しずつ。
時に紛らわしいプレーや、理解に苦しむプレーも経験しましたが、一つ一つ糧になっていきました。
たくさんのことを学び。少しずつ。

始めたばかりのころ、当時のガイナーズの監督西田真二さんに、お客さんのお見送りの列の後ろで「おい、お前のDJは間が悪いわ、もっとちゃんとやれ」と怒られてめちゃくちゃショックだった記憶があります。西田さんは、そのあとしばらくは僕のことを苦手そうに接してきてたように感じてました。(僕だけかもしれませんがw)

西田監督の退任した年、丸亀の記録部屋に西田監督の姿が見えたので、記録員の方々と監督に挨拶に行くと、監督が、「おい、ずっと言ってなかったけどな、目に見えて良くなった。本当に努力したんやな。もう今は何も言うことないから、もっと盛り上げーや」と言ってくださって、ものすごくものすごく嬉しかった。胸にグッときて、それからずっと記憶に残っている。忘れられない思い出の一つです。


ちゃんと伝えたかった。

さて、忘れられない思い出の一つ。思い出しただけでいまだにウルっときてしまうこと。
東風平光一投手。
本人に言わずに勝手にこの話をすると「やめてよーもー」と言われるかもしれないし「覚えてねー」って言われるかもしれないけど、敢えて書きます。

彼が香川に入団してから2018シーズンまで、僕は彼が公式戦で投げているのを見た事がありませんでした。だから登板する彼の名前を大声で叫んだこともなかったですし、彼のプレーに一喜一憂もしたことがありませんでした。
ずっと怪我と戦ってる姿を見て、ずっと影でチームを支えている姿しか知りませんでした。
そんな彼が、2018シーズンのアウェイゲームで先発して少しだけ投げたことを一球速報サイトで知り、「わーー良かったなあ、、」と思っていました。

シーズンも終盤になったある日、丸亀の放送室で片付けをしているところに、彼が通りかかりました。
いつもだったら「うぃーすきっしーー」というような感じで話しかけて、ケラケラ笑うような話をして終了、、だったんですが、その日は落ち着いた様子で「きっしー、あのー、、」と話し始め、

「今年で野球辞めます。ちゃんと伝えたかったんで。名前呼んでもらってないけど、お世話になりました。」と。

僕は、胸がいっぱいになりながらも、こんなにちゃんと頭下げて感謝を伝えてもらったことなかったから、ものすごく動揺して、こみあげてくるものがありました。
めちゃくちゃダサいかもしれないけど、帰りの車でわんわん泣いてしまって、大切に思ってもらっていることも彼の気持ちもたくさん考えると、たまらない気持ちでした。
本当に素晴らしい人でした。
社会人として頑張ってる彼のこともまた応援したいと思うし、会いたいと思うし話したいと思ってます。


彼だけじゃ無く、香川では本当にたくさんの方からかけがえのない絆を頂き、今の自分があるのです。 
離れた今でも、時々顔を出そうとは思っています。

香川で関わってくださった全ての皆さん、今でもたまに連絡とってくれて、大事に思ってくれて本当にありがとうございます。
また。



岸本

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