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「モード後の世界」と日本ファッションの見方

ユナイテッドアローズの栗野さんによるファッションと社会潮流に関する本「モード後の世界」を知人に薦められて読んでみた。多摩美のTCLを終えてから自分の感性の元になっているものを辿る中でファッションに関する自分の中の思いやそのトレンドを追っており、かなり自分も共感するところがあった。

特に共感したのはラグジュアリーブランドの位置付けの変容だ。ルイヴィトン、グッチ、シャネル、ディオールといったブランドがエスタブリッシュメントな価値の序列のトップにあったのが、グランジファッションやインターネットによる価値の多様化でヒエラルキーが壊され、昔ほど意味を持たなくなってきていることを指摘する。
一方でLVMHやケリングなどに代表されるファッションコングロマリットが巨大資本による覇権を握っていることに対して筆者は批判的な目を向ける。
自分としては、ラグジュアリーブランドがストリートカルチャーの文脈をファッションに取り入れ出したことも本論を読むと合理的なビジネス戦略であることがより納得できた。自分たちを脅かす価値を自分たちの中に内包してしまえば、引き続き自分たちの価値を維持し続けられるのだ。

こうした状況の中で、辺境から生まれてくるファッションの価値として、筆者はアフリカのファッションに目を向ける。また、川久保玲やマルタン・マルジェラも上記のようなラグジュアリーブランドの価値を「デストロイ」してきた存在として捉えている。また、欧米中心に服の小売が淘汰されていく中で、それをeコマースの普及に原因を求める短絡的な態度に対しても、接客や顧客に新たな価値を提案できていない、店舗の小売業自体の劣化によるところが大きいと著者は指摘する。これも現地のマーケットを自分の足で見てきた筆者だからこそ言える言葉で、説得力がある。

その中で日本は、まだ若者がファッションに対してお金を落とす割合も相対的に高く、地域に地元の顧客に対して丁寧な接客、価値提案ができる店舗が多く残っていることが、ファッションでも新しい多様な価値を提供する中心地となっていると言う。
この点も納得感がある。日本はデフレだと言うが、日常品の品質が高いために、低価格でもそれなりの生活ができる。思うに、同じ給与水準での生活の品質で比較した場合、日本は他国に比べても高いのではないか。こうしたベースの生活水準の高さが、趣味にお金をかけられる余地を作り、新しい文化の創出につながっている可能性がある。
加えて、筆者は80年代のバブルの時期に日本人が様々なモノを海外から買い漁って、そのコピーのようなものを着ていたことを批判的に見ているが、実はその結果として世界中のカルチャーが日本に集積・ミックスされ、現在の日本のファッションシーンのベースを作ったとも言えるのではないか。その多国籍性が、グローバル化とフィットしたことで、日本のファッションカルチャーが海外でも市民権を得ている部分もあるだろう。日本がテクノロジーでは遅れをとる一方で、バブル期とそれ以前の日本文化のミックスによる現代ファッションの成熟が日本の海外躍進を支えている。スニーカーブームや、デニムのボロなども日本から発信されたものだ。

本書は栗田さんのファッションに対する姿勢や、物の見方が経験とともにクリアに書かれているため非常に読みやすく、スッと内容が頭に入ってくる。新国立美術館のファッションインジャパン展を見た方なら、リアルにその現場に携わってきた方が、その先をどのように見ているのか、1つの見方として参考になるだろう。



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