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ペットとテクノロジーに思う

ペット、、、Wikiペディアによると、

「ペットは、人の心を和ませたり楽しませてくれる、といった理由で人が飼っている動物のことである。人はペットとの様々なやり取りを楽しんだり、その姿や鳴き声などを鑑賞したりする。」

とある。

ペットのことを、愛着を込めて「家族」「パートナー」「兄弟」「友達」などとイメージされる方も多いのではないだろうか。

孤独の解消、愛くるしい立ち振る舞い、スキンシップで癒しを与えてくれる、素敵な存在。
毎日が楽しくなりますよね。

一方、そんなペットと暮らすにはある種の覚悟も要求されることも現実。
生物なので、食事の世話、健康管理、周りの人への配慮等々、そして何よりも、”生”への責任。

こういった覚悟や責任をわかった上で、ペットをパートナーとして迎え入れる。
それが何よりペットを飼うという意思決定における心の障壁ともいえましょう。

しかしながら、各種メディアを通じて映し出されるペットたちの愛らしい姿、表現されるライフスタイル、幸せそうな顔たちをみると、そういった障壁を下げることにつながっているのもまた事実。

覚悟や責任は何も変わらないのに、障壁が下がると何が起こるのか?
それはみなさんがよくわかってらっしゃると思いますので、ここでは触れません。

近年、ペットを飼うことによって得られる”幸福”を、ロボティスク・テクノロジーの力で実現する試みが増えてきています。
言い換えると、ペットで得られる”ベネフィット”はある程度担保しながら、”覚悟や責任”という障壁を無くすということです。

犬型ロボットとしてソニー社のaiboが有名ですが、人でも動物でもない、全く新しい生き物として定義している、GROOVE X社のLOVOTはさらに本格的です。
これらのプロダクトの共通点としては、「人の役に立たない、世話がかかる」ことです。

「人の役に立たない、世話がかかる」ということは、人から見て、「何もしてくれないし、世話をしなくてはならない」ということになります。

この考え方は非常に重要です。
人は、「何もしてくれないし、世話をしなくてはらない」相手に対して、ペットであるが故に世話をします。(貢献)
一方、ペットは愛らしい仕草で応えようとします。(お礼)本人はそうではないかもしれませんが。

自分(達)だけのペットが、自分の貢献に対して、自分に対してだけ、反応(お礼)する。
言語だけでなく、仕草や泣き声を駆使して精一杯表現する。
抱き締めるとあったかい・・・

その積み重ねが、愛着として積み重なる。深みを増していく。

そういった体験を繰り返すと、生物であるとか、ロボットであるとか、物理的な概念はそう重要なのではないのかもしれません。

そういった事実に気が付きつつある人が少しずつ増えてきている気がします。
ペットで得られる”幸福”を”生への責任”を背負わずに、享受する。

そういったライフスタイルも、テクノロジーの力でまた一歩近づきました。

テクノロジーの進歩を想いながら、ゆっくり彼らを愛でてみるのも良いものです。



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