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中国軍事誌に掲載された「列島線突破」に関する中国空軍パイロットの手記(上)

中国の軍事雑誌「航空知識」誌2022年6月号において、中国空軍Tu-154MD偵察機のパイロットによる第一列島線〜西太平洋へ進出した際の回顧記事が掲載されました。その仮訳について掲載します。みなさんのご参考になれば幸いです。


(以下、本文)
TIPS:列島線とは?

 列島線とは、太平洋に連なる一連の島嶼という一種の地理的概念であるが、我々が語る列島線は、20世紀中盤に米国人が提起した政治的、軍事的な概念である。列島戦戦略とは、①韓国・日本・台湾・フィリピンを核心とした第一列島線、②グアムを中心とした第二列島線、③ハワイを中心とした第三列島線から構成され、中ロを取り囲み、米国を防護するための3枚の障壁とされている。


2015年〜列島線に突撃

 2015年、中国空軍は太平洋の第一列島線から抜け出し、体系的かつ構造的な遠洋訓練を組織し始めたと言える。私は光栄にもTu-154を操縦して人民解放軍空軍初のバシー海峡〜宮古海峡における作戦行動に参加した。

 威勢よく“突撃”などと言ったが、別に突撃する必要はなく、ただ出て行くだけだ。列島線とは、その名の通り島が連なり、その間に海峡と呼ばれる隙間がある。いわゆる第一列島線には、バシー海峡、宮古海峡、対馬海峡など、いくつかの航路がある。国際条約によれば、これらは自由に往来できる航路であり、通過するのに誰の許可も必要としない。われわれはルールを厳格に守り、それに合致する行動をとり、恐れるでもなく、威圧するわけでもなく、自らの意思を表明するとともに大国の風格を示してきた。

最初はバシー海峡

 とはいえ、このエリアに中国軍機が現れたことはかつてなかったため、関連する国家は非常に動揺したことは間違いない。最初の列島線越えにはバシー海峡を選択した。バシー海峡は中国の台湾島南部とフィリピンの北部に挟まれた海峡で一見すると幅が広そうに見えるが、海峡上に小さな島が多いことから、実際に航行できる範囲はあまり広くない。我々は長いこと南シナ海で活動してきたが、フィリピンに接近しても相手側の反応はほぼなかったものの、台湾に接近した場合の反応が如何なるものかは未知数だった。

 初の列島線突破洋上訓練においては、Tu-154偵察機1機及びH-6K爆撃機×4機により行動した。この当時、Tu-154MDは釣魚島(訳注:尖閣諸島の中国名)方面の進出行動により世界の主要メディアのニュースに度々登場していた。しかしH-6Kは「琵琶で顔を隠したまま、呼ばれてようやく姿を現した」ような状況で、相手側にとっても初お目見えどころか、我々自身も初めて肩を並べての作戦である。H-6Kは、私がかつて所属していた部隊の機体だが、当時のH-5(訳注:IL-28爆撃機の中国ライセンス生産版)と比べるとこの古顔の後輩は何倍も強力だ。忖度抜きで言えばH-6Kは本格的な戦略爆撃機とは呼べないかもしれないが、大国の兵器としては相応しくライバルを震え上がらせるに十分だろう。H-6Kの参加があるからこそ、我々自身も突破能力を具備したと認識できるのだ。

 離陸時の天候は良好で、台湾の最南端の岬や歌で数え切れないほど聞いたことのある緑豊かな島を眺めていると、たちまち台湾の南方空域に近づいた。母なる祖国の「宝島」にこれほど接近したのは初めてで、緊張しつつも親しみも感じ、まるで長いこと行方不明だった兄弟に出会ったような感情であった。

 夢は美しいが現実は残酷だ。台湾がいうところの「防空識別圏」に進入したとたん、台湾の対空無線を受信した。親しんだ北京語によるもので日本の対空無線よりもはるかに優しいが、とどのつまりは非友好的な警告である。間もなく、後方を飛行するAWACSから「戦闘機が接近している」ことを知らせてきたので、全員で首を伸ばして機影を探した。やがて遠方に古いミラージュ2000と思しき2機の小さな機影を発見したが、彼らは余計な機動を行うこともなく、いつものように距離をとって我々の後方から追尾するよう飛行していた。我々が台湾の防空識別圏を抜けると、2機のミラージュ2000は引き返していった。

 眼下にはバシー海峡が広がっている。この海峡は子供の頃にラジオの天気予報でよく耳にした名前だが、太平洋で発生した台風もこの海峡を通過して大陸に接近する。気象学的に見ればこの海峡はさほど穏やかというわけではない。帰投中、海峡上空で遭遇した大嵐により気象学をみっちりと勉強することとなってしまった。ここは多彩な気象のみならず、政治、経済、軍事のホットスポットでもある。軍事的な観点から見れば、バシー海峡はわが海軍が太平洋に進出するための主要経路であるとともに、米軍が南シナ海に入るための主要ルートでもあり、この海峡を制圧できるかどうかが海軍の生死を決する生命線とも言える。中国空軍は列島線を往来するために海峡を通過する必要はないが、大国の規律と責任を有する空軍として、目的を達成する一方で周辺地域への影響を最小限に抑えることに特に着意し、あえて海峡の最も広い部分を通過することを選択した。

初の太平洋進出

 バシー海峡を超え太平洋の奥に進出した際、特に天候に恵まれ、空は抜けるように高く、海は穏やかで空に浮かぶ白い雲を鏡のように映し、さながら童話の国のような美しさで、初めて訪れた中国空軍を歓待してくれた。太平洋という名の由来は、古代の航海士が大西洋の荒ぶる波に耐えながら苦難を乗り越え、荒れた海峡を越えた先の広大で静かな海であり、その穏やかさから太平洋と名付けたと言われる。実際、他の海域と比較すると太平洋は赤道付近には無風地帯があり特に穏やかなのである。

 地球上で最も広大で穏やかな海に、人為的な3本の鎖が引かれ、何を閉じ込めようとしているのか本当に理解できない。海の果ての西側で数千年続いた文明を封じ込めるのか、それとも地球上で最も人口の多い国家の人々の進出を封じ込めたいのか?我々の一帯一路で世界を共通の富裕につなげようという美しい感情を閉じ込めるためなのか。太平洋は、異なるイデオロギーの存在と沿岸各国の人民がともに豊かになろうという願望を受け入れるのに十分な広さを持っているはずだ。太平洋は平和な場であり、そこには強権も不正義もあってはならない。海峡を超え、我々はある地点まで何千キロも進み、まず我々が到達できる均衡点に達する。将来、その均衡点はさらに遠くへと延びていくだろう。

 計画通り任務を完了しバシー海峡にとって返した。この時、地上の指揮組織から「前方の航路において天候が急変、計画飛行場への帰投は困難、予備飛行場へ針路をとれ」との指示が届いた。我々はそれを聞き最初は「不可能だ、この穏やかな天候が急変するのか?」と感じた。ちょうど我々は海峡の中間を飛行中であり進路の変更は困難であった。指揮組織に対して「現在天候は良好、計画通り飛行する」と返答したところ、指揮組織は同意するとともに、編隊は天候の変化に注意せよとの指示が返ってきた。同じ頃、H-6K編隊はちょっとした問題に直面していた。台湾の防空システムが対応を開始したことから若干の臨機な調整が必要となっていたのだ。天気の急変に加え台湾による妨害と、天災と人災が一度に降りかかってきた。機内のディスプレイが煌めき警報が鳴り響いたが、幸い航空機には多くのクルーが搭乗しているためなんとか乗り切ることができた。その頃、私は天候の確認に注力しており、並んで飛行していたはずの台湾機を確認することすら忘れていた。

 バシー海峡を抜け、気象レーダーにより天候を確認してみると、前方に巨大な雷雲が出現、明らかに予定の飛行場に帰投することは無理で予備飛行場へと針路をとった。前方の雷雲の巨大なエコーはディスプレイいっぱいに広がっており、その大きさは数百キロほどもありそうだった。本土上空でこれほど強烈な雷雲に遭遇することはまずない。回避のため、西へ南へと針路を変え続け数百キロも飛行した後、ようやく比較的広い雲の間隙を見つけ予備飛行場がある北へと針路を変更することができた。着陸後に確認してみると、残燃料は規定値ギリギリであった。太平洋はその気まぐれさと巨大なエネルギーで我々に本物の気象を教えてくれたのであった。

訓練あるのみ

 列島線越えの遠洋訓練の目的は、組織においては戦略的な考慮や戦術的意図だが、実際に任務を遂行する部隊やクルーにとって、より重要なのは訓練としての価値である。最大の価値は内心から生ずるものであり、このエリアに来たことのある者とそうでない者とでは心理的な感覚が完全に異なる。現代の航空テクノロジーやクルーの水準では洋上を飛行すること自体は容易だが、パイロットにとって慣熟していないエリアに赴くことはプレッシャーとなる。

 まして、このエリアは祖国から遠く離れ、生存の拠り所とする大陸からも遠く、トラブルがあれば対処の余地は小さく、心理的な負担は大きなものだ。我々は列島線突破訓練について常態化することを提案したが、これにより多くのクルーが訓練の機会を得て、前述のプレッシャーを効果的に解消させることが可能となるだろう。

 (列島線突破について)とある関係方面の過剰な反応に対して、空軍のスポークスマンが「以前は来る回数が少なすぎた」と述べたのをご記憶と思うが、それは我々にも当てはまることであり、将来の戦場について熟知していればいるほどいいのだ。

 訓練の価値は他にも多くを挙げることができる。例えば、地理的環境のほか、政治的・軍事的環境を含むエリアに慣れることだ。我々の活動エリアは国際公共の空域であるがさほど遠いわけではない。典型的なのは韓国と日本に挟まれた対馬海峡である。航路は非常に狭く、通常の通過ですら相手方を緊張させるだろうし、わずかなミスが国際的な事件となりかねない。

 更に挙げれば、洋上における気象の法則や特徴を学ぶことは我が空軍にとっての新しい科目である。私のような気象について熟知しているつもりの“ベテラン”であっても、広大な太平洋の上ではただの“小学生”になってしまう。学習をやり直すことは重要な職務であり、少なくとも自身の安全を確保するためには、太平洋は穏やかではないということを厳粛に思い起こさなくてはならない。静かな波の下に隠されているが、太平洋の天気は急速に変化する。眼前の美しい光景に見とれることなく、常に最悪に備える感覚を保持し、事前に腹案を持ち先手を打つのだ。

 天候の急変に遭遇したり、強い雷雨で海峡を塞がれたらどうするのか?事前に備えがあれば自らを守ることができる。安全を確保するということは高いレベルに到達するということではなく、天候を活用して自らを守ることを学び、目的を達成するところに遠洋訓練の価値がある。

列島線を出る道のりは長い。
我々の任務は重大で、その道は遙か先へと続いている。

(以下、中編へ続く)


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