見出し画像

ノッってますか。

マスクが当たり前になってきたのはいいけど、乾燥するのに蒸れるせいかマスク形に肌荒れするのがしんどい今日このごろです。

段々以前の日常に戻ってくるのかなと錯覚しそうなタイミングでまた外出自粛しましょうと言い出して、行ったり来たり、踏んだり蹴ったりだなと思ってなりません。

そんなことを思いながらテレビを付けるとスポーツニュースがやっていて、ソフトバンク優勝について桑田真澄さんがコメントしていました。「両チームとも選手は揃っていたんですけど、ソフトバンクの方が、楽しんでいました。どうしたらいい試合ができるかと選手一人一人が自発的に考えながら動いていたのが、試合を見ていて伝わってきました。それが大きな勝因だと思います。」という内容を言っていた。

スポーツってのはルールや集められたメンバーの中でいかに「個」のポテンシャルが出せるかと縛りが多いと思う。どれだけ練習で正確な素振りやピッチングができても、試合の緊張とプレッシャーとリラックスの局面で「よいしょー!!」って自分の「ノリ」をどれだけ出せるかって部分もとても大事だと感じます。

話変わりますが、ラップやダンスが好きです。最近あまり行けてないですがバトルを観るのが好きです。動画はしょっちゅう見ています。ラップでは先日大好きなラッパー、鎮座ドープネスさんがKOKに出てて全身がヒップホップ、その「ノリ」を魅せつけてくれました。フロウにトレンドなアプローチもしてたり、パンチラインばかりで、「ノ」ってるわーと圧倒されました。

ダンスでは大阪のCo-thkooのお二人も未だ現役、ジャッジ側でいいはずのレジェンドさんがバトル出まくって勝ちまくって、何が違うってムーブのスキルが別格はもちろん、その時かかる曲、会場の空気に「ノリ」まくってます。何より本人たちがとっても楽しそうです。

思えば、マイナーカルチャーだったラップやダンスも、教える人も増えて、youtubeで見れて、その「ノリ」を知るきっかけはとんでもなく増えたし、いいことだと思ってます。だけど、ラップの仕方、ムーブの仕方が上手になっても、「ノル」ってことに関しては教えようも教えられようもないと思っています。

気付けば「フリースタイル」って言葉すら定着して、「フリースタイル」っていう「フォーマット」ができるっていう矛盾が生じてると思ってます。フリースタイルのはずが「ノ」れてない。フリースタイルしてるんじゃなくてフリースタイルになろうとしてしまうっていう矛盾。

多分黎明期を体感してる人は、マジかっけー、俺も「ノ」りてーって思って始まってるから「ノ」れるし、楽しそうなんだと思う。しかも「ノ」るだけなら寿命がないから、年食って、いくつになっても、自分の「ノリ」を見せつけることができるし、その「ノリ」がカッコイイが正義で、ずっとカッコイイし楽しそう。

k−popプロデューサーのJY.parkさんも、若い時に桑田佳祐さんの音楽を聴いてアジア人もブラックカルチャーの「ノリ」ができるんだ。と感じて、マイケル・ジャクソンのコピーを始めたという話を聞いたことがあります。確かに二人とも今歌ってる姿見てもすごい「ノ」ってるし楽しそう。

また話変わって、お笑いも好きです。深夜ラジオも好きだし、ネタ番組も好きです。ラジオの何が好きって、全体の進行はおそらくあるんでしょうけど、その時のリスナーの手紙や、たまたま出てきたワードに引っ張られて、自然発生の漫才を聴いてるみたいで、その時の「ノリ」でこんな話が、こんな笑かし方が!と聞いてて驚きながら爆笑してます。

漫才を観るのも好きです。先日大好きな芸人さんがネタを飛ばしてる動画を見ました。
ボケの方が完全に飛ばしてて一瞬止まります、でもツッコミの方がそれを察して「どないしたんw?」とリズムよく返します。その後ネタを飛ばした事を引き合いに出しながら軽快に突っ込んで漫才を成立させてる姿を見て「ノ」ってると感じました。多分漫才って制限時間とか、笑かすために練られたネタの流れとかがあると思うのに、多分普段から二人にそういう「ノリ」とかリズムがあるから、フォーマットから外れても「ノリ」で回収できるんだなと感じてます。

絵でもそうです。やっぱり「ノ」ってる絵が好きです。近代で続くロジックにロジックを重ねたアート界ですが、そのロジックの中にも「ノリ」があると思っています。

建築的に準備して、下絵があって、精密に描かれた絵で素晴らしいものも、もちろんありますが、ロジックの中に、画面に筆を落とす中に、その計画を外れて作家の「ノリ」を感じる節があるとすごいアガります。自分の中でその最骨頂はゴッホなのですが、どんな被写体を描かせても、その人の「ノリ」の強さ、グルーブがあると「うわー」と感じます。

画角の中にその人の捉えた世界を封じ込める。人は神業とか、超人的とか、奇跡とか、人あらざることに関心を持ちますが、自分はこの「ノリ」を表現に落とし込むことほど、超人間的で超感動的なことはないと思ってしまっています。

ここまでこうやって書いておいて、「ノリ」なんていう抽象的なことは説明しようがありません。でもそれを目に見える、耳に聞こえる、空気が変わる、という肉体的な形になることが表現というようなことだと思っています。

今日は「ノ」った絵が描けるかな〜。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?