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京都国際と関東一高の決勝に見る高校野球の今後

1.打つ技術の進歩か衰退か

 低反発バットが導入され、ホームランが激減し、打撃戦や後半の大逆転も中々見られなくなりました。

【1大会本塁打数】
2022年 28本
2023年 23本
2024年 7本




 そこで指導者がどちらに舵を切るかです。小技と足で渋い野球をするのか、打撃技術を見直して、低反発バットや木製バットで今までのように打てるようになるのか。

 来春、来夏、もっと言えば3年5年くらいの目で見ないと一定の答えは出ないと思いますが、打撃技術の向上という良い影響が出ることを願っています。

 これによって、この10年くらいのブームだった“※フィジカル特化”のチームが間違いなく淘汰されていくのは良いことと思います。


(※『とにかくフィジカルに振り切り、身体を大きくし、出力を上げてバットをとにかくボールに強くぶつける』という打撃スタイルのチーム。打撃スタイルの一大派閥)

 このスタイルの何が良くないって、一番は打撃理論無視な部分。ベースとして基本的な打撃理論があった上で、フィジカルを乗せるのが理想なのに対して、打撃理論無視(わからないor間違った解釈)で打撃を形成している点。


 実際、甲子園でもスイングバグってるのに勝ち上がるチームは何チームもあります。それでも打てちゃうのが従来のバットでした。

 そう考えると約10年続いたおかしな状態を打破する、“スーパーな企画”としてはかなり高野連有能かもしれないと最近思ってきました笑


 したがって否が応でも打撃技術を見直さざるを得ない状況に立たされたということ。選手は変わらずにホームランを打ちたいと思って練習すると思いますが、問題は指導者。

 突き付けられた本塁打7本という数字。近年の投手の急激なレベルアップを差し引いても少ないこの数字。

 正しい技術を教えられる指導者がより求められていて、結果を出せる指導者の需要は高まっていくはず。良い指導者と悪い指導者の線引きがよりシビアになるんじゃないかなって思います。

 気合と練習量で凌駕する手法が通用しなくなってくるので、学ばない、技術のベースや知識がない指導者が淘汰される時代がきます(投球では既にその波はきています。)

 そこに従来から引き続き、正しいフィジカルトレーニングの指導を合わせて、最強打者を育てていくのが、指導者に求められること。

 間違ってもその場凌ぎの小さい打者に育ってほしくないものです。

 おとなりの韓国では既に2005年から高校野球に木製バットが導入されていて、それが近年の国際大会低迷に繋がっていると金泰均氏がコメントしています(引用)

 そういった例もありますので大事なのは現場の指導者のプライド、拘りかな?と。


 今はもうお亡くなりになられた東海地方の名将は『あんな打ち方で優勝しても面白くねえ、選手が育たねえよ』とよく甲子園常連校の打撃を酷評していました。

 『おめえんとこの選手の方がよっぽど良い打ち方してるよ。あそこ(名将いわくクソみたいな打ち方をしている甲子園常連校を指して)みたいな打ち方した方が短期的には結果出るけど木になったら打てないし、本質じゃねえ、これで良いから流されんなよ』

 と言われ、本当の指導者としてのプライドみたいなものを感じたものです。


 このバットの企画ん変更が良い方向にいくことを切に願っています。


2.選手選考の基準が変わる

 決勝に残った2チームに共通することは?


 ”ミスをしない野球”の我慢比べで決勝まで”残った”(”勝ち上がった”というより”残った”というほうがしっくりくる)

 それを可能にしたのが『守れる、走れる、バントができる、”野球”が出来る』でしょう。

 ”野球”が出来るとは野球脳とが野球IQとかいわれますが、『考えてプレーできる選手、思考能力、状況判断のスピードが早い選手』などと表現したらわかりやすいでしょうか。


 となると必然的にそういった系統の選手が重宝され、打てるけど走れない、守れない選手とか、能力あるけどノロマな選手とかは、出場できる可能性は低くなってきます。


 ただ両校ともスカウティングの際からそういった選手を選んで勧誘しているので、何ら今までと変わらないと思います。

 ですが問題は他のチームの動向です。野球の形が両校寄りに変わっていった場合に選手の需要が大きく変わり、全体に占める人気の選手、不人気の選手のバランスに大きな変化をもたらします。


 足が速くて守れる選手を求めにいったりするんじゃないですか?今まで以上にそのタイプの選手の人気は上がるでしょう。

 逆に不器用だけどパワーはある、みたな選手の需要が低くなることも考えられます。

 これをどう捉えるか、ですよね。

 僕は良いんじゃないかなと思うんですよね。

 かねてから”野球選手は打って、走れて、守れないと野球選手といわない”派の考え方でしたので、”守れるけど打てない”とか、”打てるけど守れない”選手は良くないと思っていました。

 日本は聞こえの良い『適材適所』とか『長所を伸ばす』で苦手な部分に目を瞑る傾向にあります。これが嫌いできらいで。


 高校生の指導者は3年間では短所をつぶすのに間に合わないというのですが、『間に合わなくても良いじゃん。そもそも18歳で区切るからそうなるんだよ』と思います。


 今では中学校でも選手の特徴に合わせて、『武器を作る』という聞こえの良い言葉のもと、一部のスーパーな選手を除いて、敢えて偏った選手になるように指導している様子を目にします。

オール4の中に5があって武器ですっていうのが本来。

でもオール2の中に5を作ってそれで良いよって。

一生スタメンで出れないじゃないですか。

だから小学生の頃から、その“逃げ道”を作らない!これと思います!

守備苦手だからファーストで良いや。
とか無しです。

内野は約束ごとが多くて大変だから、外野が良い。とかも無し!


中南米の選手はみんな二遊間やります。
外野やるのはスーパー足速くて、肩が強くてバッティング良い選手が例外で、みたいなテンション。


逃げずにやれば出来るはず、というのが僕の考え。日本はその逃げ道を早い段階で作りすぎるからが良くない。


この辺の判断や育成プランは今の日本の育成年代の課題だし、高校野球、とりわけ甲子園が大きくなりすぎた弊害かなとも思いますね。


3.野球の質が勝負を分ける

 先ほども少し触れましたが”野球の質”
 より細かいこととか、1球ごとの意味とか予測とか準備とか。


 こういった部分をチーム落とし込める指導者がいるチームが勝つのではないでしょうか。選手の需要も同じくです。


  より”野球”を学ばなければなりません。『エイヤー』でどうにもならない野球になってきています。これこ日本野球の本質である『本来野球とは頭をつかってやるスポーツ』(イチローさんの引退会見にて、MLBの野球の変化に苦を呈した一文)という原点なのではないでしょうか。



 京都国際高校優勝決定の瞬間、BS朝日の実況の方が言った『高校野球の原点』というワード。

 この意味とは『バントと守備を大事にする昭和野球の再来』を指すのではなく、『考えて考えて、準備して準備して』という”野球”の基本中の基本を指している(指すべき?)と解釈した方が自分のためになります。(彼がどんな意味合いであのワードを使ったのかはわかりませんが)



 何か外的に大きな変化がもたらされた時は、チャンスでもあり、ピンチでもあります。日頃から研鑽を積み、いくつかの未来を予測し準備してきた人にとってはチャンスになりますし、現状に満足し、変化することをせず、時代の後追いしかして来なかった人にはピンチが訪れます。




 はたして皆さんはこの現状をどう捉えているのか、是非是非聞かせてほしいです。
 感想お待ちしています。



Hiroki Iijima


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