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読書メモ「三教指帰」(空海著)

平安時代に真言密教をもたらした空海が、唐に渡る前に著した「三教指帰(さんごうしいき)」(人間の生き方を示す三つの教え)の読書メモを作成しました。若き日(当時24歳)の空海が、人生の目的とは何か?という視点で、儒教・道教・仏教の違いを明らかにした物語です。そんなに分厚い本ではないので、このメモを機に空海や仏教について学ぶ端緒となれば幸いです。

著作の二つの動機

仏道に向かおうとする空海に反対する人々への反骨精神と、放埓な甥に対する憤りが、物語作成の動機となっています。

①仏道へ向かおうとする空海に反対する人々への抗議
空海は官僚になることを期待されていましたが、仏教への道を志して大学を中退。周囲から忠孝の道にはずれるといわれました。儒教・道教・仏教ともに聖人が説かれた教えで、忠孝に悖ることはないと考えていました。

②放埓な生活を送る甥への憤り
狩猟にうつつを抜かしたり、酒色に溺れて悪い仲間と付き合う甥がいて、憤る気持ちがありました。

あらすじ・登場人物

<あらすじ>
放埓な男に、儒教・道教・仏教の賢人が説教を試みるが、男を一番納得させたのは仏教の賢人だったといったあらすじ。動機がそのまま物語に反映されてますし、仏道を説く修行僧は空海自身を表しています。

<登場人物>
兎角公(とかくこう):屋敷主人
蛭牙公子(しつがこうし):兎角公の甥
亀毛先生(きもうせんせい):儒家の先生
虚亡隠士(きょぶいんじ):道家の先生
仮名乞児(かめいこつじ):青年修行僧(=若き日の空海)

亀毛先生の主張(儒教:善い人生とは何か)

蛭牙公子の生き様は、両親を馬鹿にし、まわりの人々を見下し、相手の痛みや感じることがなく、狩猟や魚釣りで毎日を過ごし、博打に夢中で浸食を忘れており、それで生涯を終えたとしても、獣の生涯と変わらず、空しい。

善い人生を送るためには、
 ・親孝行に努めること
 ・自分の心を忠義に向けること
 ・是非を直言して生命をかけて努力すること
 ・これまでに大成した優れた人々を見習ってその道に熟達していくこと
 ・善い環境を選んで家を作り、善い郷土で暮らすこと

を心がけるべし。もしこの境地に達することができれば、人々からも尊敬され、庭に倉が建つほどの贈り物が届く。自分から求めなくても要職に就くことになる。また、善い配偶者を持つことで、互いに喜び楽しみ合うこともできる。

「忠孝と立身出世」が善い人生であると亀毛先生は結論づけた。

虚亡隠士の主張(道教:世俗から離れて得る喜びとは何か)

儒教は「人の欠点」を暴き出して直そうとしている。儒教のことばを実行して得られるのは「世俗の喜び」であり、人々はそれを得るために、営々と働き、いつも苦労している。

はかない生命であるのに、いつまでも続くと思い込んで、やがて散っていく身であることを忘れていることはなんと痛ましいことか。

道教においては、世俗の人々がもっとも楽しみにし生きがいとしている事柄(肉を食べる、美人と戯れる、歌ったり踊ったりすること)は、してはいけないこと。世俗から離れることで、仙人となれる。

具体的には、
 ・仙薬(黄精・松脂・穀実など)を飲んで内の病を除く
 ・御守/まじない/葦の鉾/蓬の矢を用いて外部からの災難を防ぐ
 ・呼吸を整え、季節の合わせて調整する
といったことを仙術の修行として行う。

仙術を身に体得できた暁には、自身の姿を変えることも、白髪に若返らすこともできる。自由に生命や寿を伸ばすことができる。

「世俗の喜び」を得る儒教より、「天上の喜び」を得る道教が優れていると虚亡隠士は結論づけた。

仮名乞児の主張(仏教:無常を悟ることで得られる境地とは何か?)

亀毛先生と虚亡隠士の論争を聞いていた仮名乞児は仮の世界において幻の城を築きあげて戦っていると思い、仏教の真理を語りだします。

①無常(儒教・道教で得られる真理は仮の世の刹那的なものにすぎない)
大昔から今にいたるまで、初めというものがなく、数も無限。私たちはまるで輪のように、すべての生物の間を迷いながら生まれ変わる。かわるがわる生まれ、死んでいく身であり、すべてが変化しながら連続していく無常なものなのです。

無常という暴風は、神仙さえも容赦しないし、死神は貴賤の身分などまったく区別しない。寿命を延ばす仙薬を飲んでも、失われた生命を戻すことはできない。

②最高の境地=涅槃
本能のままに快楽を求める生き物は、迷いの海をさまよっている。この海から抜け出して最高の境地である涅槃にいたるためには、
 ・六つのおこない(六波羅蜜)の筏を整備して出発する
 ・あるいは八つの正しい生き方(八正道)という大船に乗って船出する
 ・精進という帆柱をたて、禅定(心の静けさ)という帆をあげて進む
 ・苦難にあっても忍辱(にんにく:耐え忍ぶこと)の鎧を着る
 ・群がる賊は智慧の剣で威力を示す
 ・七覚支(しちかくし:悟りを得るための修行)という馬に鞭をあてる
 ・四念書(しねんじょ:世俗を乗り越えるための修行)という車で進む
ことが必要。

涅槃の境地においては、真理と主体が一つになった世界であり、もはや親しいとか遠いとかの差別が心から無くなります。増減を超えていて、盛衰もない。無限のときを超えた円満な静けさであり、過去・現在・未来の三際を通じて変化を超えた無為の境地である。

この世界は無常であり、涅槃の境地にいたることが最高の目標であると結論づけた。

感想

24歳のときにの空海の熱き想いが伝わってきました。こういった物語を書きあげるだけでもすごいのに、四六駢儷 体(4字または6字の句を基本とし、対句を用いて句調を整え、典故を多用した華麗な文章)を使いこなした漢文で書かれており、漢文としても優れた作品だそうです。感服しきりですね。



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