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そろそろ一年が終わってしまいますね.


11月ももう28日.
2022年も,そろそろおしまいですね.


あと1ヶ月で,一区切りなのかぁ,,.


なんて思いながら,
変な時期で区切ってくれるよな,
と,文句をつけたくなります.


12月末.

それは,僕にとっては,“葦原真っ只中”の時期であり,“雪のカモシカ真っ只中”な時期です.

あっという間に山を駆け降りた紅葉は,その名残すらなくし,お山では,もう茶色に変わった落ち葉の中に,カモシカたちが餌を探している頃です.雪が降れば,木々は白い衣を身に纏うことでしょう.


関東平野の葦原はすっかり淡い黄色に染まり,一面が美しいペールトーンに包まれています.夕刻からコミミズクが舞うんだろうなぁ.


12月末.

フィールドにとっては,
なんの終わりでもなければ,
なんの始まりでもありません.

ここで区切りと言われても,
どこか違和感を覚えます.


じゃあ,区切りというのは,どんな時だろう.


3月頃,

それまでずっと見ていた
コミミズクたちのねぐらが,

ある日,もぬけの殻になってしまった時.


コミミズクがねぐらにしていた田んぼ.


4月頃,

それまでなかったクマのフィールドサインが目に飛び込んできて,

起きたんだ,

と,心臓の鼓動が速くなる時.

ツキノワグマの糞.木の枝を刺してみると,まだ十分に柔らかい.



5月末,ずっと見ていたフクロウ一家が,

その林から撤退してしまったあの日.

ずっとずっと,たった一人,

林でフクロウ親子を見つめながら,
彼らの成長を楽しみに生きてきた数週間が,
ある日突然,終わってしまう時.

一昨年巣だったフクロウの子ども.
6月のある日,彼らがいなくなったのを知った時,
林を駆け抜ける風の音が,やけに大きく感じられました.


自分の手ではどうにもならない力によって,

たった一人,取り残されたような気持ちで
フィールドに立ち尽くしたり,

突然,
なんの予告もなく始まった何かに,
胸をときめかせたり.


僕が終わりや始まりを感じるのは,
いつだってそう言う時です.


そして唯一,
自然こそが,そういった区切りをくれる.


高校生の頃,陸上競技部に所属していた時,怪我をして走れなくなってしまった時がありました.祈るようにアイシングをし,電気治療を行い,回復を切望したのを覚えています.

祈るように.そう,科学の力を身につけた僕らは,少しは工夫できるけれど,どれも,自然の流れに敵うことはできません.技術が進歩したからといって,重度の捻挫がたった数時間で治るか?それは不可能でしょう.人間の身体も,また自然の一部だからです.


話のスケールは変わるけれど,

ヒトが安産を祈るとき,
ヒトが自身の身体の衰えや死を意識するとき.
きっと味わうであろう無力感.

それは,自然が,
誰の願望に合わせるでもなく,
何かしら道徳のようなものに基づくのでもなく,
どうしようもなく流れていくものだ,という当然の理が,
肌に染みている証のようなものなのだと思います.


そろそろ一年が終わる,
と言う話から,
話が膨らみすぎてしまいました.


こんなふうに長々と書いておきながら,
心のどこかでは,
飾られ始めたクリスマスツリーにウキウキしたり,正月の雰囲気を楽しみにしていたりする自分がいます.今年はガキ使が放映されないみたいですね,残念,なんて思ったり.


フィールドに思いを馳せるナチュラリストを気取っていても,

僕は,ヒト社会で育った,一東京の大学生なのです.


いずれにせよ,
最近は環境に流される一生物であることが心地よく感じます.


生物は環境の中でしか生き残れない.


生物単体というのは,在り得ない.


だからこそ,見てきた自然も,僕らの身体を養うはずです.


冬の葦原を.雪のお山を待ち侘びながら.

自宅へ帰る満員電車の中で.


2022.11.28

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