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関東で出会うキツネっ子たち①

今日訪れるのは, 珍しく初となるフィールドだ.

本当は昨年の秋に通ったところへ行く予定だったのだが, どうも予感がして, 突然行き先を変えてみたのである. “予感”というのはもちろん会える予感. 冬眠は明けているはずなのに, 僕の前に一向に姿を現さない, ツキノワグマに.

日の出と共に山へ入り, 暗くなってから出てくる. 

彼らが起きてから
週末のたびにそれを繰り返しているが, 
なかなか出会えない. 

シカ, サル, アナグマ, タヌキなどの哺乳類, 

オオルリ, キビタキ, クロツグミ, コサメビタキ, コルリなどの夏鳥にわんさか出会っても, 

奴だけに出会えない. 

コルリ


キビタキ



さんざん歩いてきたフィールドの中に, 

あの真っ黒な姿が在る妄想は, 

脳内で何度も再生されている. 

あるものは, 
川の流れの音に溢れる沢の場面であり, 

またあるものは, 
霧の濃い早朝の山道の場面であり, 

またあるものは, 
雪積もる向かいの山の斜面を歩いているのを, 遠くから目撃する場面である. 

僕に, 絵画としてそのイメージを放出する能力があれば, と, 時折考えることがある.

今日は, そんな妄想の一つを叶えにきた. 

里山の斜面林を歩く姿の妄想である. 

車中泊を済ませた場所から10分も車を走らせると, 斜面林に田畑が囲われた里山に着く.

朝日が, 草たちを濡らした夜露を煌めかせ, 

新緑色に染まる葉はその光を透かし, 

自らが発光しているかのように輝く. 

キジの甲高い声が四方から聞こえ, 

上空からは, 
空高く舞い上がって囀るヒバリの声が降ってくる. 

早朝ならではの, 里山の姿だ.

自然というのは, 本当に一瞬で姿を変えてしまう. 

鳥たちの囀りはすぐに落ち着くし, 

日光は角度を変えれば, 

また異なった雰囲気を演出する. 

朝日にしか為し得ない美しい光, 

朝でしかあり得ない鳥たちの活発さ. 

ああ, 早朝だ. 

生き物が活発な, 貴重な一瞬だ. 

僕がこの一瞬にときめきを覚えられるのも, 

少しすればもう姿を変えてしまうことへの焦りみたいなものが, 僕の身体の中にあるからだろう.

都会には, 
たくさんのコンテンツが溢れているけれど, 

時間と共に, 
そして季節と共に, 
その姿を変えていく, 自然の造形を見ていると, 

僕はなんだか, 
もうそれだけで十分な気がしてしまうのだ.

生き物を探しにきたのに, 
結局は景色を眺めているだけじゃないか. 



でも, それもまたいい. 

早朝の匂いと, 夜露に湿った空気を吸いながら, 
のんびりとその里山を眺めていた.

その時, 視界の奥で, 何かが動いたのが見えた. 

遠くで, 何か小さいのが.

そして, それはコンマ数秒で確信へと変わった. 

あの赤っぽい茶色. 
そして, あの遠さでここから見える大きさ. 

間違いない, ホンドギツネだろう.

200mは離れているだろうか. 
カメラをむけて, シャッターを切ってみた. 

再生された画面には, 
真ん中に小さな赤毛の塊が写っている. 


そして拡大してみると, 
それはやはり, 戯れる2匹の狐っ子だった。

おお!


この時気付かされたのは, 
ホンドギツネの体色のアイデンティティの強さだ.

そこに現れるかもしれない

トビやノスリ, フクロウなどの茶とも異なり, 

畑に広がる土の色とも異なる. 

赤でも橙でもないが, 
それは相対的に見れば赤毛と呼ぶに相応しい. 

ホンドギツネにしか反射し得ない色である. 

その日は, 幾分が近づいて狐たちを撮ったが, 
明日また出直すことにした.
彼らは三匹いて, 仲が良さそうに遊んでいた.

そして翌日, 車中泊から目覚めたのは3:30. 

あの美しい朝日が注がれる前の里山は, 

草, 地, そして空が, 

どれも群青のヴェールで包まれているように

均質に感じる. 

少しばかりヒヨドリが鳴いているが, 

ヒバリたちはまだ息を潜めているようだ.

狐っ子たちのいたあの畑は, 

隣の荒地より一段高いところにある. 

荒地で身をかがめ, 
ひょこっと頭だけ出して畑を覗けば, 

狐っ子たちをよく観察できるはずだ. 

荒地に入るには, 
あの畑の前を堂々と通り過ぎないといけないから, 
彼らがあの畑の中にいた昨日は, これができなかった. 農家の方にも挨拶をしていなかったし.

今日こそはもっと良く観察してやろうという気で, 彼らのいない昨日の畑の前を通り, 意気込んで荒地へと足を踏み入れた. 

②に続きます🦊

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