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関東で出会うキツネっ子たち②

①の続きです!


荒地に入ると, 僕は匍匐前進をすることにした. 

荒地の入り口からは畑は見えないし, 

さっき畑の前を通ってきた時, 

狐っ子たちはいなかったけれど, 

この数分間で, 畑に姿を現した可能性もある. 

ノコノコ歩いて行って, 

逃げられてしまうなんていうのは

少し悔しい気がしたのだ.

地面の湿気と, そしてその冷たさが, 

匍匐前進をする僕の, 

肘や膝を通してしっかりと伝わってきた. 

土とその草の匂いは, 
立って歩いている時よりもよほど強く感じられる.

こうして地を這っていると, 
いつも思い出すことがある.

小学4年生の頃, 地面で休んでいるコミミズクに, 匍匐前進で近寄って行ったことだ. 

近づくにつれ, より克明に視覚に刻まれていく

あの翼や羽毛の質感,  

そして何と言っても, 

虹彩の黄色いあの鋭い目. 

人生を変えた感動体験があるとすれば, 

このコミミズクとの出会いは
間違なくそれに数えられるはずだ. 

そして時折, 彼に出会ってなかったら, 

今どんな人生を夢見て, 
どこでどんなことをしていたのだろう, 
と, 考えることがある. 

その時, 僕は人生の有限性にハッとさせられ, 

そして, また別のものに惹かれ, 

真っ直ぐに歩んでいる他の方の人生に触れる意味を, 強く実感させられるのだ. 

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話を狐に戻そう.

僕の予想は的中していた. つまり, 僕があの畑の前を通ってから, 荒地に入って匍匐前進をしている間に, 畑に彼らが出てきていたのだ. 一段高いところにいる彼らは, 僕に気づいていない. 

地に張り付いたまま, 一段高いその畑にひょこっと頭だけ出して, 彼らが戯れているのを眺めていた.

1匹が何かを咥えていて, 

後ろからもう1匹が追いかけていく. 

よく見る, 鳥の餌の取り合いみたいなやつかなぁ, なんて, 思っていた. 

けれど, 

獲物を持って走っていた1匹は突然立ち止まり, 
2匹でシェアをし始めた. 

そしてすぐまた食べ終えると, 
取っ組み合いを始めてゴロゴロ. 

とても仲がいいようだ. 


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狐っ子たちと過ごす時間は, 
ゆっくりとゆっくりとすぎて行った. 

でも, 僕には, ゆっくりとしていられない事情があった. 

今日は13時から東京で大学の授業がある. 

現在北関東. 時刻は4時半. 

車中泊の連続でしばらく洗えていない身体に, 
シャワーを浴びせないといけないし, 

千葉の自宅へ帰るには
車を4〜5時間は走らせなければいけない. 

あと数十分で, ここを離れないといけないのだ. 

時刻というのはなんて窮屈なものだろう.

彼らと向き合っている間は, 

今は何時何分だとか, 
どこから先が何の用途の敷地だとか*, 
そういった概念が力を無くしてしまう. 

どれくらい心地の良い温度だとか, 
今後はどういう天気になりそうだから, 
彼らはどんな動きをとりそうだとか, 

そして, どの生物が活動をしているから, 
いつがその生物にとって動くのに効率的かとか, 

あそこは水があるから, 水を飲めるよね, とか, 

そういうことしか, 意味を持たないのだ. 

突然, そういうものを数字で区切っていき, 

それでしか区別し得ない
「時刻」という概念を持ち出されると, 

何だか, 遠い場所に建っている
あの大学のキャンパスや, あの東京の街並みが, 
全く別世界の存在に感じられてしまうのだ. 

どこか, 滑稽な質感をも伴って.

自然と切り離された都会の中で, 
立ち上げざるを得なかった概念は, 
どんどん拡大して形骸化し, 

それが, 初めは便宜上設けられた区切りであることを忘れられて, たくさんのヒトがそれに縛られている. 

時間だとか空間だとかっていうのは, 
もっとそれよりも前に規定される, 
すごくすごく自然なものだ.

例えば, こんなことを思い出す.

獣道を追って山を歩いていると, 

時折少しばかり開けたところに通じることがある. 

長時間の運転と山歩きで疲れた僕は, 
なんだか休みたくなって, 
カバンに入れていたおにぎりを取り出して, 
少しだけ座ることにする. 

でもね, 

こういう時は注意しなければいけない. 

大概そこは誰かの休憩所で, 

下にはシカやカモシカたちの糞が
たくさん転がっている. 

画像はツキノワグマの糞
画像はツキノワグマの糞



鼻の悪い僕だけど, 少しよく嗅いでみると, 
あのー動物園のヤギなどとのふれあいコーナーみたいな匂いといえば伝わるのだろうかー独特な匂いが, 感じられる. 

僕が居心地の良さを感じる場所は, 

体の大きさが同程度の動物たちにとっても, 

休みたくなる場所なのだ. 

そしてそれを規定しているのは, 

僕らの体の大きさと, そこの地形に他ならない. 

体も, 地形も, それは自然の造形. 

僕らが線をひかなくたって, 
何かしら名前をつけなくたって, 

場所の役割なんてものは, 元々そこにあるのだ. 





狐くん, そろそろ行かなきゃなんないんだ. 

君たちの感覚でいう、、
そうだな, あの今はオレンジ色のまぁるい光の源が一番高く上がった頃, 僕は, 走り続けたとしても, 暗くなってしまう頃にしか辿り着けない, 遠い遠い場所に, いないといけないんだ. じゃないと「進級」ができないんだって. 

狐っ子は, また新しい獲物を探してか, 
こちらに近づいてきた. 

僕は愛機のファインダーを覗いた. 

シャッターを切るのには少し抵抗があって, 
今まで愛機を構えていなかった. 

警戒心を持つ生き物と, 
今なんとかこの距離で対峙できている時, 
その繊細な, 絶妙な緊張感を, 
シャッターの音が壊してしまいそうだったのだ. 

右手の人差し指に力を込め, シャッターを切る. 

その空間に新しい要素を投入する緊張感に, 

息が詰まる. 

聞きなれない音に, 
彼にも緊張が走るのがわかる. 

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驚いてこちらを見る彼に, 
僕はまたシャッターを切った. 

そこにうずくまる”何か”を, 
彼はよく観察しているようだった. 

やがてもう1匹が近づいてくると, 
彼はそれをそれとなく遮り, 
少しずつ僕から遠ざかっていった.

 “ちょっと, こっちは危ない.” 

そんなふうに言っているようだった.

そしてまた幾分か離れると, 
忘れたように戯れ始める. 

しかし, 農家の方が来たが最後, 
彼らはすぐに藪のなかへ消えていった.

ヒトのいない時間に動き回り, 

ヒトの姿が見えたら, すぐに姿を消す. 

ここの家族は, 
きっとそうやって他生物と
絶妙な距離を保っているのだろう. 

農家の方は, 
狐がここで子育てをしていることを, 
知らなかった. 

そう思う時, 
一見誰もいないかのような里山に身を置いていても, どこかで誰かがこちらを覗いているような気がしてならないのだ. 

1, 2時間もしゃがんでいれば, イノシシが横切り, ノウサギが跳ねてくるかもしれない.  

彼らの生活を, 一瞬だけ垣間見ることができるかもしれない. 


ここの里山には, ツキノワグマの足跡もあった. 

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捨てられた農作物の匂いに
惹きつけられたのだろうか, 

冬眠から目覚めて, あてもなくぼーっと歩いているだけだったのだろうか.

あたりはもう, 
昨日のような美しい朝日に包まれていた. 

僕は, その美しい朝日があの黒い毛を照らし, 藪を抜けてきたのか, 少し濡れてしまっているその体表が, 夜露の輝きで縁取られるのを想像し, その生き物がこの里山を歩く姿を思い浮かべた.

ここには通うことになりそうだ.

あの狐っ子たちの可愛らしい姿の記憶と,

叶えるどころか, また膨らんでしまったその妄想を,

何とか身体にしまい込んで, 

僕はその美しい里山を, 後にした.

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