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物理的に一番身体に近いメディアは、共感する哲学で満たしたい

前回のnoteで僕が大切にしている哲学の一つである、"do more with less"について資源循環の視点で記事を書いた。今回は少し角度を変えて、衣服の観点から書きたいと思う。

僕にとって衣服は、小学生の頃はこだわりまくったドラゴンの刺繍が入った服を着ていたり(おじいちゃんが刺繍屋で一点ものの刺繍を入れてもらっていた。今思うとめちゃくちゃ贅沢。ありがとうおじいちゃん。)、長ズボン&半袖のスタイルがかっこいいと思ってずっとそれを貫いたり、大学時代は古着屋でバイトしていたりするくらいに興味があり、好きなものである。新卒から入社したNikeでも、めちゃくちゃ端的にいうと靴と服を売っていた 。よく聞く話かもしれないけれど、衣服は物理的に身体から一番近いところで自分を表現するメディアであるので、自分らしさを伝達して相手の印象をコントロールするのにとても重要な役割を果たす。

そのため、自分のアイデンティティが更新されるたびに身に纏う衣服が変わることはとても自然なことだと思う。実際に僕も服装はたくさん変わってきた。学生時代はPOPEYEに影響されたり、社会人ではかっちょいい憧れの先輩の服を真似てみたり、先輩お姉様方からあんたの似合う服を着なさいとアドバイスをいただいたり(笑)しながら。

しかしつい最近まで僕のクローゼットは完成されていて、これからもずっと同じ服を着ていくのだろうって思っていた。肩幅の広い僕の体型にすごくあっていたし、友達が働いていて色々融通きかせてくれたりした、graphpaperの服たち。やっぱりいつみてもめちゃくちゃかっこいいし、何より服の品質がとても良い。Tシャツ類は3年以上毎日のように着ているけれど、首周りもヨレないし、発色も変わらないからまだまだ着れる。これはこれでずっとこれからも着続けると思う。

けれども、最近意図的に自分のアイデンティティをアップデートしたことにより、身に纏いたい服が変わった。昔から知っていたし、気になってはいたけれど手を出してこなかったブランド - 三宅一生さんの、ISSEY MIYAKEである。

2016年に新国立美術館で行われた「MIYAKE ISSEY展: 三宅一生の仕事」。
今になってもう一度見に行きたい。。。

2016年当時の僕にとっては、奇抜な印象が強く、単純に着こなせるイメージが湧いてなかったので自分が身に纏いたいとは思わなかったけれど、とても哲学に惹かれたことだけ覚えている。

三宅の衣服づくりに貫かれる思想が「一枚の布」です。それは洋の東西を問わず、身体とそれを覆う布、そのあいだに生まれるゆとりや間(ま)の関係を、根源から追求するものです。その研究は一本の糸を見つめることに始まり、独自の素材開発に拡がり、新たな衣服へと発展します。

https://mds.isseymiyake.com/im/jp/
イッセイ ミヤケ 1999年春夏コレクション。Photo: Philippe Brazil / Courtesy of Issey Miyake

三宅一生さんの「一枚の布」という思想は、僕の考えるdo more with lessを体現するものだと考える。僕自身のアイデンティティを更新してからというもの、彼のインタビュー記事やコレクションについてとにかく気になってしまって調べまくっていた。そして知れば知るほど、身に纏いたくなる。

結果的に、本日初めてHOMME PLISSÉ ISSEY MIYAKE / AOYAMAに伺った。オンラインではずっと完売だった目当てのものがたまたまあって、サイズもぴったり。衣服に対する物欲がここ数年あまりなかった僕が即買いした。

共感する哲学を身に纏えることがとても楽しみで嬉しい。




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