苦い
フッサールは、客観を失くした。
そこにあるりんごは、「赤い」だろうか?
いわゆる、客観的に見ればそれは「赤い」。
この客観的とは、どの立場からの視点なのだろう。
例えば、あなたが犬だとしたらそれは「赤」くは見えないだろう。
犬は検知できる色は2つであって、りんごは我々の思う「赤」には映っていないらしい。
これは少し極端な例である。
しかし、意識的・無意識的にしろ、「客観」は人それぞれが決めていて、人それぞれが決めている以上「主観」ではないだろうか。
フッサールは、
人間が考える以上、客観などなく、
「主観」と主観と客観の間である「間主観」だけがあると言った。
あなたの客観は「間主観」なのだ。
重要なのは、それを理解し、客観に捉われず、それを受け入れ寄り添うこと。
常識も人それぞれが作り上げていて、人それぞれの常識がある。
コーヒーが飲めない友人に、私はエチオピア産の華やかなコーヒーを淹れてあげた。
この果実味があって、甘みの強いこのコーヒーなら飲めるだろうと思った。
淹れている時には、ベリー系の上品な香りで癒されるような浅煎りのコーヒーだ。
そのコーヒーを飲んだ彼は、私にこう言った。
「このコーヒーは苦い。」
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