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行動の結果に執着しない 結果を行動の動機としない

自由になりたい。

会社をやめて自由になりたい。南の島でのんびり遊んで暮らしたいなど、一切束縛なく、自分の思い通りに生きれたら。

束縛とは、「従うべきルール」のこと。

束縛がない社会とは、誰からも指図を受けない「全てからの解放される」ということ。

束縛から解放されるというのはとても大事な考え方。

でも、ほんとうに自由な人は存在しない。

なぜなら、私たちが生きている物理世界そのものが束縛であるから。

会社から解放されても、物理法則から解放されることは叶わない。

では社会的な束縛からの解放というのは?

社会はどこまで許容できるのだろう。

孤立社会の現代人は至る所で「疎外」されている。

幸福や自己充実感はあなたのものだ。

「アメリカン・ドリーム」
「良い大学に入って大企業に就職」

資本主義はそう約束し、夢を見せたけれど、現実は悲惨な人生ばかり。

「充実した人」はテレビやインスタグラムの中にしかいない。

だれもが疎外感に苦しみながら生きている。

「疎外」は英語ではAlienation。直訳すればエイリアン化。

みんなふらふらとネットの宇宙でさ迷っている。

私たちが疎外感を持つとき、それを個人の問題だと考えてしまうけど。

資本主義社会での「疎外」は例外ではなく必然的。

それがいじめ、鬱病、孤立。社会に馴染めないとか、そういった現代の苦しみの原因となる。

ネット社会でもお金が絡むと苦しみを生みやすい。

現代社会の、エラーを吐く個人を矯正する産業システムにたいして、ただ「現状からの逃避」で満足していては、社会の疎外からの解放は得られない。

バガヴァッド・ギーターの一節に「行動の結果に執着しない、結果を行動の動機としない」とある。

疎外された自身を変えようと努力するよりも、良心に従って社会を変えようと行動しよう。

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