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未解決の真実を求めて⑥『事件は未だ解決せず』 遺族の訴え

《熊谷死亡ひき逃げ事件》
2009年9月30日、埼玉県熊谷市の市道で、当時小学4年生だった小関孝徳くんがひき逃げされて亡くなった事件。時効直前のことし9月、時効が延長された。遺族は引き続き解決に向け活動を続けている。
(過去記事・第1回 第2回 第3回 第4回 第5回

現場にて

時効延長が決まり、最後の記事を書いてから長らくこの事件のことから離れていた。色々なものに追われていたし、時効延長で最悪の事態は回避したという安心感もあった。

年明け早々、熊谷市の現場へ行って手を合わせてきた。現場には誰かが供えてくれた花とともに、情報提供を求めるビラが貼ってあった。

「まだ犯人が見つかっていません!」という文字に目が留まった。

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時効延長になったからといって、事件が解決したわけではない。そんな当たり前の現実をそのビラは突きつけていた。

(そう、まだ解決していないんだよな)

そんな当たり前のことを考えながら、脳裏にはこの一年間にあった様々な出来事が駆け巡っていった。

不祥事発覚から1年

ちょうど1年前も、私は同じように現場を訪れていた。その直後からこの事件に関する新たな事実が次々と明らかになり、長い間進展のなかったこの事件は大きく動き出していったー

1月早々、私が熊谷を訪れたのと時を同じくして、この件に関する証拠品を警察が紛失していたという信じられないような不祥事が明るみに出た。のちに紛失の事実を隠蔽するため、証拠品に関する書類を警察が捏造していたことも発覚。関係した警察官は処分された。

遺族は憤慨し、立ち上がった。

情報収集を目的にブログを立ち上げ、積極的に情報の発信を始めた。遺族の必死の訴えを聞いた報道の力も加わり、ブログは徐々に注目を集めるようになった。情報が次々と寄せられるようになり、捜査は進んだ。

当時の遺族は、鬼気迫っていた。「このままでは絶対に終わらせない!」という覚悟が伝わってきた。

民間の交通事故調査会社にも独自の調査を依頼した。証拠品を詳しく調べると、それまで見えてこなかった事実が次々と浮かび上がった。一台だと思われていた被疑車両は、実は二台だった可能性が浮上。孝徳君が来ていた服を詳しく分析すると、曳かれた痕跡らしきものが残っていた。10年近くも警察は何を調べていたのか。不信が高まっていった。

時効が迫る中、事件は注目を集めていく。この頃、ブログのアクセス数は最高で1日40万を記録。遺族は時効撤廃と時効延長を求め、署名活動を開始。8月には法務省へ赴き、嘆願書と3万人分の署名を提出した。

新聞、テレビ、週刊誌、ネット記事・・様々な媒体に10年前の未解決事件のことが掲載された。時効制度の是非についても、議論が交わされた。

そして時効直前の9月。罪名が「過失運転致死」から「危険運転致死」へと異例の変更がなされ、時効は10年延長された。遺族の戦いが、最終的に警察を動かしたのだった。

(本当に、激動の1年だったな)

久しぶりに訪れた事故現場で、寒さに凍えながら感慨にふけった。

現場には誰が作ったのか、「孝徳君 お母さん頑張っています お父さんと一緒にお母さんを守ってね」と書かれた紙があった。その通りだと思った。

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「孝徳の命と引き換えに、私は社会を変える」

時効直前、そう話していた彼女の言葉を思い出した。この言葉は、これからもきっと忘れられないだろう。

時効延長後 情報提供が減少

「情報提供が減ってきてしまいました。このまま情報提供がなくなるんじゃないかと、不安です」

再会後、遺族は開口一番にそう打ち明けた。

「発生から10年」の節目を終えると、報道の量はやはり減った。覚悟していたことではあったが、情報提供の数もそれに比例するように減ったという。このまま情報提供が少なくなり続ければ、捜査体制の縮小もあり得るとの事だった。

「事件は解決していない。解決のためにはどうしても情報提供が必要なんです」

遺族の訴えは切実だ。遺族は今も定期的にビラを配り、情報発信を欠かさない。だがそれでも、世間の注目を集め続けることは難しい。一時は40万を突破したアクセス数は今では1000を切る日も出てくるようになった。

「これが『10年』という月日の難しさですね。正直孤独な思いはあります。でも、やり続けるしかない」

どんな事件でも風化する。残酷な事実だが、この事件も例外ではない。だからこそ、忘れてはいけないことは忘れないよう努力することが必要だ。多くの人に知ってもらう努力、覚えていてもらう努力を続けていかなければならない。それが、報道の役割でもあるはずだ。

「事件は未だ解決せず」 情報提供を

「犯人はまだ見つかっていません!」
こう書かれたビラは、今もあちこちに張り続けられている。もちろん現場にも。事件が解決する日まで。

「事件は未だ解決せず」

改めて、この事実を多くの人に知ってもらいたい。そして事件について関心を持ってもらいたい。歯がゆいことに自分にできるのは、これくらいのことでしかない。だが、呼びかけ続けていくしかないのだ。

情報提供を呼びかけるビラを、剥がすことが出来るその日まで。

以下、ご遺族の切実な呼びかけ文を転載する。

どんな人なのかわからない犯人を探しています。
【次のような情報をお寄せください】
事故が発生してから10年、犯人は遠く離れた他県で生活しているかもしれません
突然ハッキリした事情もなくいきなり引っ越しをした家を知っている方
運転していた車を突然、廃車した人を知っている方
車を突然買い替えた方
何年も車両を放置している車を知ってい方
事故当日、目撃された方。
「事故を見たことがある」という話を聞いた方
事故について、以前警察に話をしたことがある方再度お聞かせ下さい。
行政機関でお話した方で同じ話でも構いません
事故について伝えたいことがあるけど警察に連絡するのは難しい方
再度ご存知の情報をお寄せください。

犯人は秘密を抱えて生きていくのは難しいと思います。
きっとどこかで誰かに話をしていると思います。
どんなささいな情報でも構いません。ご連絡して頂いた方のプライバシーは守りますのでどうぞ、よろしくお願い致します。

・・・少しでも、拡散に協力頂けたらありがたい。

(第6回 了)

《過去記事はこちら↓》

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