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未解決の真実を求めて③「時効」は誰のため? 熊谷ひき逃げ事件

※ここで書く内容は全て事実を踏まえたものです。ご遺族の許可を得て掲載しています。《追記》2019年9月にこの件はご遺族の活動の末に「時効延長」になりました。経緯は後々の記事に書かれています。
※連載記事です。第1回 第2回 第4回 第5回

時効まで残り1か月

やり切れない思いを、抱いている。
時効までついに1か月を切った。いよいよここまで来てしまったかという思いだ。連載3回目の今日は、事件をめぐる最新の動きと「時効制度」のあり方について書く。

時効目前、遺族の代里子さんは訴える。

時効は誰のためにあるのでしょうか。
時効があるから、逃げ続けるのではないでしょうか。
時効がない社会では、逃げることを諦め、自ら律する社会になるのではいでしょうか。

1人息子を奪われた母親の、叫びのような声がここにある。
この事件は「時効制度」のあり方を問いかけていると以前書いた。その思いは、さらに大きくなっている。なぜか?それが今日の記事のテーマだ。

時効撤廃の署名と嘆願書を提出

8月28日、遺族の代里子さんは法務省へ赴き、死亡ひき逃げの時効撤廃を求める嘆願書と署名を提出した。

雨の中、法務省へ入っていく代里子さんの姿が各社で報道された。
時効撤廃を求める声に賛同し、集まった署名はおよそ30000人分。コメント欄には、「時効」という制度に対する疑問の声が溢れていた。

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・逃げ得は許さない 。
・人の命を奪いながら、時間経過しただけで、罪に問われなくなるのは、どう考えてもおかしいし、犯人が許せない。
 ・大切な子供の命が奪われた。子供の将来もひき逃げによって断たれた…罪をなかったことにするのは許せません。一人という存在が、どれだけ大きな存在なのかを分かって欲しい…
 ・ただの感情論で論じるのでは本質的な解決はしないかもしれない。ただ少年法しかり、『誰の何のためにある正義なのか』はこれをきっかけに深く議論し、修正すべきは修正すべき 。
 (以上、署名コメントより)  

少年の命を奪い、その罪から逃げ続け、制度によって罪から解放される。

(こんなことが許されていいのか?)

数々のコメントに目を通していると、そういう当たり前の感情が呼び起こされる。この署名は、社会の中くすぶっている時効制度への疑問・交通犯罪厳罰化への声の一部をあぶり出しているように思う。

解決の目があっても捜査は打切られる

刑法上の「公訴時効」とは一定期間が過ぎた事件について、被疑者を公訴提起(起訴)出来なくなる制度だ。要するに、この制度によって9月末、事件の捜査は打ち切られる。

この半年あまりで、代里子さんの元には新たに82件の情報提供があったという。情報は入り続けているのだ。今も。

そしてこの事件では、証拠品の紛失という警察捜査の不備が明らかになった。警察捜査は尽くされたのか。疑問は残る。

真実を解明するチャンスがあるにも関わらず、捜査は尽くされないまま、制度によって捜査は打ち切られ、犯人は罪から解放されるー。

そんな理不尽が、許されていいのか?

「時効は誰のためにあるのでしょうか?」
この代里子さんの問いかけに、私たちは耳を傾けるべきではないだろうか。

「時効は誰のためにあるのでしょうか?」

そもそも、刑法上の時効制度がなぜ存在しているのか。

私は法律の専門家ではないので正確性を欠く記述の可能性がある点をご承知頂きたいが、「時効の存在根拠」はおおむね以下の通りだ。

・事件から長期間経過したことによる証拠の散逸。
・その結果による冤罪の可能性と、被疑者の法律的地位の安定。
・国民の処罰感情の希薄化。
・国税を投入して行われる捜査力の適正配置の必要性。

難しい言葉が並ぶが、つまるところは、解決見込みの少ない未解決事件に社会資源を投入し続けるのはナンセンスだということなのだろう。

社会はいま発生している事件の捜査・解決を要請するし、解決見込みのない過去の事件に、限られた捜査力を投入するのは適正ではないという考え方には頷ける部分はある。

だが今回の事件についてはどうか。

情報は今も入り続けている。証拠品の再鑑定や事件の再現実験で新たな事実や可能性も浮かび上がった。捜査が尽くされたとは、やはり言える状況ではない。

さらに、遺族の処罰感情は、一切減じていない。また国民の処罰感情が希薄化していれば、30000人もの署名は集まるだろうか?。28日の嘆願書提出の際は、多くの報道陣が詰めかけた。社会的な関心も高い。

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時効制度のあり方をめぐっては、2010年に殺人罪の時効が撤廃されている。遺族の方々が社会的な議論を引き起こし、DNA鑑定など捜査技術の進展も背景に、時効撤廃に繋がった。殺人には時効がない社会に変わったのだー

署名欄のコメントの中に、こんな文章があった。

家族を失った人にとっては殺人と同じだと思います・・・

代里子さんからすれば、孝徳くんは「殺された」も同然だ。凶器が車だった。だから「自動車運転過失致死」という罪名での捜査となった。しかし「1人息子を失い、その犯人が分からない」ことによる悲しみは、殺人事件の遺族と変わるところはないのではないかー。

時効で最も恩恵を受けるのは犯人

捜査に繋がる情報は寄せられ、捜査も尽くされたとは言いがたい。国民の処罰感情も希薄化しているとも言えず、捜査力を割く社会的要請もある。ー現状の時効制度で、1番の恩恵を受けるのは誰か。

犯人だ。

それでいいのだろうか。
この事件のケースだけから、死亡ひき逃げの時効撤廃を主張するつもりはない。ただ議論は必要ではないか。遺族の感情を全て置き去りにして、事件を闇に葬っていいのか。

問いかけたいのだ。

捜査継続の方法はある「時効延長」という手段

実は、時効を延長させ、捜査を続けさせる手段がある。

「訴因(罪名)変更」という手だ。(以下は罪名変更で統一)。

簡単にいえば、容疑を「殺人」や「危険運転致死」に変えるということだ。それにより時効が延長できる。「自動車運転過失致死」の時効は10年だが、「危険運転致死」の時効は20年、「殺人」については時効はない。

この事件が、危険運転や殺人の容疑にあたる事件なのかという意見は必ず出るだろう。しかし、孝徳くんをひいた犯人は危険な運転をしていた可能性は否定出来まい。殺意を持ってひき殺したという可能性も、ゼロではない。とすれば「殺人」になる。

危険運転致死かもしれないし、殺人かもしれない。その根拠はない。そしていま適用されている「自動車運転過失致死」が適正な罪名だという根拠もまたない。事件当時の状況は犯人だけが知っている。

罪名を変更し、時効を延長する。
そして犯人を逮捕し、捜査の上で適正な罪名で処罰すればいいのだ。

代里子さんは今、この可能性に賭け活動中だ。

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28日、法務省への署名提出の際、担当官にこの点を確認したところ、罪名の変更は可能だという認識を示されたという。非常に大きな話だ。そしてその判断は、警察次第であるという話も出たという。

これもまた、大きな話だ。

「時効延長」判断は警察次第

時効延長=罪名変更の可否について最終的な判断を下すのは、捜査を行っている埼玉県警、さらに言えば捜査班のある熊谷警察署だとみられる。

代里子さんは近く、罪名変更の嘆願書を警察に届け出る方針だ。

熊谷警察署は、それにどう答えるのだろうか。

この事件の真実は未だ闇の中だ。

孝徳くんは車に轢かれた。その事実だけが確かである。そんな状態のまま、事件を闇に葬るのか。

この事件では警察捜査の不備があったし、初動捜査へも疑問も残る。繰り返しになるが、未だ情報が入り続けている中、捜査が尽くされたとは言いがたい。

前例がないことかもしれない。しかし遺族の声をどうか受け止め、対応頂くことは出来まいか。

あるべき時効制度のあり方とは

「時効は誰のためにあるのでしょうか」。

事件は千差万別であり、時効制度は必要だという意見もあるだろう。しかし、少なくともこの事件では犯人に資する制度になっている。
遺族の代里子さんの心情は、置き去りである。

ここまでお読み頂いた皆様はどう思われるだろうか。

切実に思う。
このままこの事件が終わって欲しくないと。

時効間近のこの事件を1人でも多くの人に知ってもらいたい。そして広げてもらいたい。そして議論をして欲しい。その先に社会が変わればと。

そう願わずにはいられない。
  
(第3回 了)。※掲載写真はご遺族より提供頂きました※

〈熊谷市ひき逃げ事件〉
2009年9月30日、埼玉県熊谷市の市道で、当時小学四年生だった小関孝徳くんがひき逃げされて亡くなった事件。警察は犯人の行方を捜査。発生から10年となる来月末に時効を迎える。遺族は死亡ひき逃げの時効撤廃を求め署名活動を開始。これまでにおよそ3万人の署名が集まった。
 
第4回は「未解決の真実を求めて④ナンバーに込められた思い」です。


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