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コロナ禍と音楽| 「弦楽器の新たな地平を拓きたい」 ヴァイオリニスト・吉田篤貴の試練と描く未来

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先月(6月)、東京・渋谷の地下駐車場。その奥まった場所にある音楽ホールで、ミュージシャン2人による演奏会が開かれた。

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しかし本来いるはずの「観客」は1人もいない。あったのはカメラやビデオ、PCなどの配信機材。これらを使い、「カメラの向こうにいる観客」に音楽を届ける。

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新型コロナウイルスの影響で、多くの演奏する場が失われる中、徐々に広がりを見せている「配信ライブ」の試みがこの日、行われたのだった。この「無観客の演奏会」を、私は無理を言って見学させてもらった。

目的は、あるミュージシャンの演奏。

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ヴァイオリニスト、吉田篤貴。

東京で実力派ヴァイオリニストとして鳴らす彼もまた、「コロナ禍」によって演奏の場を失っていた。

この日の無観客の演奏会は、彼にとっては3か月ぶりの舞台であり、私にとっては実に15年ぶりに聞く友人の演奏でもあった。高校のクラスメートでもあった彼の成長した姿を、私はどうしても見たくなったのだった。

初回から長らく時間が経ってしまったが、「夢に賭ける者」の第2回。

「弦楽器の新たな可能性を拓きたい」と語る若手ヴァイオリニストの足跡と現在地。そして、コロナ禍によってミュージシャンが「生きがい」ともいえる場を奪われていた現実について。

「次世代を担う若手ヴァイオリニスト」

「めちゃめちゃ上手くて、業界じゃ有名ですよ」

彼の名を久しぶりに耳にしたのは、コロナの気配など微塵も感じられなかった去年の秋ごろのことだった。あるミュージシャンとの何気ない会話で、吉田のことが話題になったのだった。

「日本の若手で今、指折りのヴァイオリニストです。次の世代を担う人だって、言われていますよ」。

ー吉田は高校のクラスメートだった。

吹奏楽部に所属し、教室で仲間たちと楽しそうにはしゃいでいた。卒業後、私たちは別々の大学へ進学し、その後の消息は知らなかった。だから久しぶりにその名を耳にした時の驚きは、小さなものではなかった。

ましてそのクラスメートが「次の世代を担うヴァイオリニスト」だと言われていたとあっては。

思い起こされたのは、15年も前になる高校時代の記憶。私は1度だけ、吉田のヴァイオリンを聞いたことがあったー。

15年前、地方の高校で

おぼろげな高校時代の記憶の数々の中で、その姿は今でもよく思い出すことが出来る。

なぜならその姿が鮮烈だったから。

ある日、全校生徒が集まる体育館で、吉田はヴァイオリンを持って一人で全校生徒の前に立った。音楽とは無縁の生活をしていた高校生の自分にとって「ヴァイオリン」という楽器自体、殆ど初めて目にするものであり、日常とはかけ離れた特別のもののように感じられた。

その「何だか特別に感じられる楽器」を手にした吉田は全校生徒の前でソロ・ヴァイオリンを披露した。何の気なしに聞き始めた彼の演奏。

ー衝撃を受けた、と思う。

(こんなに上手にヴァイオリンを弾く同級生がいる)

その事実に、素直な感動を覚えた。

弾き終わると大きな拍手が会場の体育館の中に響き渡った。自分も自然に手をたたいていた。

「すごかったな!びっくりした!」

演奏後そう伝えると

「ありがとう」

そう言って彼は笑った。

(あの篤貴がー)

「次世代を担う」と呼ばれるほどの音楽家になっているという。

私はすぐに連絡を取り、私たちはほどなくして再会を果たした。お互いに30代を迎え、すっかり働き盛りの世代になっていた。

「音楽家」という生き方

当時の私は知る由もなかったが、高校時代の吉田はすでにプロの音楽家を目指して走り始めていたらしい。卒業後に彼が歩んできた足跡、いわゆる「プロフィール」は以下のようなものだった。

ー東京音大のヴァイオリン専攻を首席で卒業

音大在学中からライブ活動をスタートさせ、ジャズやタンゴなど幅広い分野で活動。作曲、編曲にも挑戦し、今ではゲーム音楽やドラマ、CM音楽のレコーディングに携わるなど活躍の場を広げる。そして3年前、満を持して仲間たちと弦楽器集団「EMO strings」を旗揚げ。

ミュージカル「レ・ミゼラブル」オーケストラのコンサートマスター、グラミー賞ノミネート作へのアルバム参加などの実績を積み重ね、今後さらなる飛躍が期待される若手音楽家の1人ー

ネット上にはかつてのクラスメートが紛れもない「プロミュージシャン」として活躍している姿があった。そしてその演奏は、高校時代の彼を知るだけに特別な音として自分の中に響いた。

「好きを仕事」にというのは、誰もが望みながらもそれを叶えられる人間は限られる。まして「音楽家」として生きられるのはほんの一握り。その道で生きると決意することに「おそれ」はなかったか。その問いに対する吉田の答えはこうだった。

とにかくヴァイオリンが好きだった。やり続けたいと思っていた。だから、迷いはなかった。

高校時代ー

まだ何者でもなかった高校生の吉田は学校が終わった後、毎週電車に乗って岐阜から名古屋のレッスンへ通った。月2回は新幹線で神奈川まで赴き、師事するヴァイオリニストに教えを乞う生活を続けていた。その時から今に続く道を歩いていたのだ。

全然まともに弾けてないし下手だけど、音楽センスに光るものがある。

師事したヴァイオリニストからはそう言われていたという。「下手なりに」直向きにヴァイオリンの技術を磨いたそうだ。努力を続けられたのは「ヴァイオリンが好きだったから」。そして吉田は東京の音大に合格し、在学中から「音楽一本で生きていく」ために様々な活動をスタートさせた。

音楽家として生き残るためにどうするかをずっと考えていた。自分でコンサートを作ったり作曲したりという活動を在学中からスタートさせた。同じ志を持つ仲間にも恵まれたことも大きかった。音大には高い志の同級生が周りにたくさんいて多くの人に助けられた。

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「好きだ」ということはそれ自体が大きな才能なのだとやはり思う。そしてその道を信じて努力を続けられるかどうかが「なりたいものになれるか否か」を決めるのではないか。音楽について話す吉田は「好きを仕事に」している多くの人と同じく生き生きとしている。

再会して酒を酌み交わしたとき。

「今度、演奏聞きにいくよ」
「是非ぜひ」

そう約束して私たちは別れた。

だがその約束は中々果たされなかった。

音楽業界を揺るがした「コロナ禍」

社会のあらゆるものに襲いかかった新型コロナウイルスは、音楽業界も大きく揺るがした。「密」だとされた演奏会が次々と中止に追い込まれ、ライブハウスの閉店がニュースとなる。ミュージシャンたちの演奏の場も次々と奪われ、吉田も演奏する舞台と仕事を失った。私との約束を果たせるような状況でもなくなっていた。

この間、吉田は作曲や編曲などの仕事で凌いだというが「演奏の場がない」ということは音楽家にとっては決定的なことだったと語る。

音楽をする場」がどれだけ自分にとって大きかったかを実感した。録音で演奏を組み合わせて曲を作ることはテクノロジーで出来るけど、その場で「一緒に作り上げる」ことでしか生まれないものがやはりある。それが遠ざかってしまった…

こうした状況を克服する手段の一つとして出てきたのが、冒頭の配信ライブ「無観客の演奏会」なのだった。

感染拡大が収まる気配を見せていた6月、このイベント開催が決まる。

吉田にとって3か月ぶりの、そして私にとっては15年ぶりに聞く吉田の演奏だった。

コロナの夜に 無観客の演奏会

公園通りクラシックス」は渋谷の公園通り沿いの地下駐車場の、さらに奥まった一室にあった。予定より少し遅れて始まった演奏会は、吉田の作った曲「Eternal Senses」から始まった。

この日、吉田と共演した林正樹も、実力派のピアニストだった。

ピアノとヴァイオリン。実力派の2人のミュージシャンが互いに生み出す音に互いの音をのせて、時折互いに目線を交わしながら、その場でしか生まれない「音楽」を紡ぎ出していく。

その時、その場にしか存在しない二重奏。

「楽しいですね」

ピアノの林がしみじみと言うと、

「一緒に誰かと演奏することに飢えていたなって感じます」

と吉田が返す。演奏中の2人の笑顔が素敵だった。

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私には音楽の知識は全くない。その私をして、この日の演奏では「ライブ」の魅力を感じずにはいられなかった。複数の奏者の共演によってその場でしか生まれない音楽があることを知った。

そして「誰かと演奏することに飢えていた」と、吉田がそう語ったように、コロナ禍で誰よりミュージシャン自身が「音楽をする場」を求めているということも。

生身の人間が集まって、その場で音を出し合うことでしか生まれない音楽がある。お互いがお互いの音を聞きながら演奏することで、化学反応みたいにいろいろなことが起きる。反応しあうことでよくなる。それが出来ないのは、僕たちミュージシャンにとって『生きがい』がなくなるようなこと。コロナ禍の影響は、本当に大きい。

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この日、2人の音楽を、カメラの向こうの視聴者170人ほどが聞き入った。対価として次々とお金が振り込まれていく。カメラ越しの演奏で「お金を払ってもいい」と思わせるだけの価値を楽器一つで生み出す吉田は、紛れもない「プロのミュージシャン」なのだとこの日、私は改めて理解した。そしてコロナ禍という厳しい状況下で音楽家として生き抜いている吉田の力強さに、やはり胸打たれた。

「弦楽器の新しい可能性を拓きたい」

音楽家は息の長い職業だという。

吉田はまだ30代。業界の中では最若手の部類に入る。その彼の今の夢は何か。よくよく聞いていくと「ヴァイオリンをはじめとした弦楽器の魅力をもっと多くの人に知って欲しい」ということだった。

ヴァイオリンといえばクラシックというイメージを持つ人が多いけど実はもっと幅が広い。ケルト、ジプシー、タンゴ…世界中のいろいろな音楽の中にヴァイオリンは入っているし、ポストクラシカルやチェンバージャズとか、今はさらに広がりを見せてきている。そういう幅の広さ・魅力をもっと広めていきたい。

その夢を具現化するために吉田が3年前に旗揚げしたのが、弦楽器集団「EMO strings」だ。

心から信頼する仲間たちと、3年前に立ち上げた弦楽器集団。吉田自ら作曲した楽曲を中心に、ケルト、ジャズ、ミニマル、プログレ、クラシックといった多様な音楽表現をこの集団で生み出していく。この中で吉田は自分のやりたい音楽を追及していきたいと語る。「弦楽器の新しい可能性を拓きたい」と。

売れるにこしたことはないけどそれだけが目的じゃない。本当に自分がやりたいと思った音楽で弦楽器の魅力を引き出して多くの人に知ってもらいたい。

高校時代、共に机を並べて勉強していた彼は、今や立派なプロミュージシャンとなった。厳しい状況下でも彼は生き生きと自分の夢を語る。小さなころから続く夢の延長線上を、今も歩いている。(了)。

吉田篤貴 公式サイト。

会場となった公園通りクラシックス。素敵なライブハウスです。ここもまた、コロナ禍の影響とは無縁ではなく、危機に立っています。

本日、このライブハウスの苦境を救おうと音楽家の有志が立ち上がり、10時間に及ぶライブ配信が行われるとのこと。詳しくはURLをご覧ください。

【夢を賭ける者】、第1回はこちら。

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