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《夢に賭ける者》「陸上を一生の仕事にしたい」 32歳陸上指導者の挑戦と描く夢

社会に出て10年近く。

自分の全てを賭けて夢の実現に挑む。

いつしかそんな同世代が周りに増えていた。それはきっと偶然じゃなくて必然なんだと、最近気が付いた。彼・彼女らの目は例外なく輝きに満ちていて、話していて心地いい。そんな『夢に賭ける者』にスポットを当てた記事を書きたい。そんな思いを抱くようになった。

で、始めることにした。彼(彼女)らにスポットをあてた企画を。

人生を賭けられる夢や目標を持つ彼・彼女らは、夢を持つに至った強烈な原体験=ストーリーと、夢実現のために磨き上げた独自の哲学=「人生のメソッド」を持っている。そんな「ストーリー」や「メソッド」を紹介すると共に『夢に賭ける者』を応援したい。

第1回目は陸上無名校を「県制覇」に導いた32歳の若き指導者について。

「陸上を一生の仕事にしたい」
と話す彼の陸上に賭ける思いと、その夢とは。

ケース①無名校を県制覇に導いた32歳陸上指導者

岐阜県北部の雪国、飛騨高山にある進学校・斐太高校(ひだ)。ドラマ「白線流し」のモデルともなったこの高校で陸上指導にあたっているのが今回の「夢に賭ける者」小藪博史だ(こやぶ・ひろし)。

「作れる限りの実績をここで作るつもりでした」

そう話す小藪の赴任後、陸上無名校だった斐太高校の競技成績は一気に上がった。インターハイ選手を続々と輩出するなど次々と記録を打ち立て、赴任4年後には県新人大会で進学校初の男子総合優勝。そして赴任5年目にして遂に県総体で男子総合優勝、つまり「県制覇」を果たした。県の進学校としては実に64年ぶりの快挙だった。

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県総体男子総合優勝を果たした後、生徒たちと。

斐太高校が「県制覇」することの凄さを高校野球で例えるならば『かつての無名校が並みいる強豪私立を倒し、甲子園出場を決めた』という事になろうか。漫画のような話だ。推薦入試で有力な中学生徒をリクルートしている各地の強豪校を凌ぎ、普通科高校が県を制することは並大抵のことではない。そして成果の裏には、長年彼が磨き上げた独自の陸上理論・哲学があった。

15歳で陸上を仕事にすると決めていた

「陸上を一生の仕事にしたい」
そう話す小藪の指導者としてのルーツは15歳の時にまで遡る。当時、0.01秒差で全国出場を逃した悔しさが、少年の陸上熱をかき立てていた。

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「陸上に情熱を燃やす少年」ならば珍しくもないだろうが(かつて私もその1人だった)、彼が普通と違っていたのは、高校1年=15歳の時に「陸上を仕事にする」と決めていたことだった。

勉強ではどう逆立ちしても東大に行くような奴らには敵わない。どうすればそういう奴らに伍して社会に貢献出来るのかを考えていました。そう考えた時、自分が得意な陸上ならば、負けない貢献ができると考えたんです。

おそろしく現実的で大人びた高校生だが、こうして「陸上を仕事にする」=「教員になって生徒の陸上指導にあたる」という確固たるキャリアプランが一人の陸上少年の中に出来上がった。

それから15年あまり、青春を陸上に捧げた小藪がどれだけ真摯に陸上に向き合い、そして没頭してきたか、語ればきりがないので詳しくは書かない。

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100メートルのベストは10秒92。専門の110Mハードルではインターハイ準決勝進出、日本ジュニア大阪室内陸上7位、西日本インカレ6位・・・これらの成績を残しながら競技に熱中する間も、彼は「陸上指導者になる」ことを常に視野に入れていた。

速くなるための情報収集を欠かしませんでした。「陸上マガジン」は毎月必ず読み込んでましたね。それに色々な先生の教え方をよく観察していました。いい指導方法はマネをするんです。沢山の尊敬できる先生方の「良いところ取り」をしながら、自分の指導哲学・理論を作り上げていきました。

「陸上指導者」という目標がぶれたことはなかったのだろうか?

自分の得意なもの、適性のあるものを仕事にすることが自分の価値の最大化に繋がるとずっと考えていました。自分の得意は陸上。だから教員になって陸上指導者になる目標がぶれたことは一度もありません。

「陸上一筋」を絵に描いたような男だ。その後、彼は教員採用試験に見事合格。念願の陸上指導者となった。15歳の時に描いたプラン通り「陸上を仕事にした」のだった。

人生を賭けられるものに高校時代に出会えたことはとても幸運でした。

そう語る彼の人生に対する納得感は高い。「自分で自分の人生を選んだ」という思いが納得感を高めているのだろう。陸上が、好きなのだ。

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そして常に「陸上指導者」を見据え、15歳から蓄積してきた彼の膨大な陸上理論が、陸上無名校を県制覇に導く実績へと繋がっていく。

無名校を強豪校に導いた指導論とは

彼が積み上げた陸上指導論、それは「哲学」とも言えるものだが、それはそれは凄まじいものだった。彼はその「哲学」を一つの文章にまとめていた。インタビューにあたり渡されたその文章は3万字(!)にも及ぶ「一大論文」だった。

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一読して、圧倒された。

「哲学」の内容のあまりの濃さに。1つの目標に向け20年真摯に取り組むとこれだけの理論ができるのかと度肝を抜かれた。

一端を知ってもらうため文中の「陸上指導の15のポリシー」を引用する。

一、目標を明確にし、モチベーションを持続させること
二、最小の努力で最高の成果をあげること
三、見本やヒントを提示してから考えさせること
四、理屈を通すこと
五、勝ちたかったら距離を伸ばすか、ものを使え
六、欠点を矯正する指導ではなく、選手の良いところを伸ばすこと
七、自分の動きを改善するとき、頭の中に理想のイメージを持たせること
八、自分の動きを改善するときの意識ポイントは一つまで。しかも、肯定的に単純な体への呼びかけをさせること
九、自分の動きを改善するとき、パワーは技術、技術はパワー
十、大会でベストパフォーマンスをする方法
十一、勝者の言い訳「たら・れば」の言い訳をすること
十二、「先生」と呼ばれ、驕らないこと
十三、礼儀を重視すること 礼儀を重視しすぎないこと
十四、自分のやっていることを社会に還元させること
十五、諦めるのはやるべきことをやってからすること
(引用:『人に育てられ、人を育てる』小藪著)

これが無名校を県制覇に導いた小藪の「陸上哲学」のエッセンスだ。この中で特に威力を発揮している理論の神髄を紹介したい。

「最小の努力で最大の成果を出す」 

小藪を貫く一環した哲学は「最小の努力で最大の成果を出す」ことだ。その考えは県制覇した年の斐太高校の得点種目を見るとよく分かる。

県制覇した高校総体において斐太高校の得点源は、3000M障害と、400Mハードルだった(陸上競技では種目ごとに1位から6位までポイントがつき、その総合得点で争う)。

高校における陸上の王道種目はやはり短距離は100M、中長距離では1500Mだ。が、その種目は激戦区だ。簡単には勝てない。そこで小藪は激戦区を避け「勝てる」種目に選手を出場させることに徹した。

大切なのは選手のポテンシャルを最大化することです。100Mなら予選落ちする選手が、ハードルや跳躍種目では入賞できる可能性がある。「勝ちたかったら距離を伸ばすかものを使え」ということです。選手のモチベーションを保つ最大の薬は結局は「勝つこと」。勝つ喜びを味わわせることでその選手のモチベーションが上がり、ポテンシャルを最大化できる。

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中には、特定の種目にこだわる選手もいる。そういう選手にも、小藪は適性を見極めた上で「勝ちやすい」競技を勧めることにしている。

適性がない種目を幾ら頑張っても勝つのは難しい。努力しても勝てないのでは選手は陸上を嫌いになってしまいます。それはもったいない。努力の方向性を変えて、同じ努力でも『勝てる方策』を示すのが指導者の役割。選手にとっての『いい指導者』とは記録を向上させ、『勝たせてくれる指導者』です。選手の適性を見極めいかに勝たせるか。指導者の力量が問われていると思っています。

適性種目に変更させて「勝つ」経験を積ませることで、見違えるように強くなっていく高校生は多いという。結果的に競技力の底上げがされ、100メートルや1500メートルといった王道種目でも勝負できる可能性が出る。事実、総合力が問われるリレー種目(4×400R)でも今年度は県ランクトップ、県高校歴代4位というトップレベルのタイムを叩き出している。

「最小の努力で最大の効果を得る」というのは、勝つための最短距離を見極めて努力することの大切さが見えてくる。それは陸上に限らず人生に適用できる有効な「メソッド」だろう。

「30代は勝負の年代」

32歳と脂がのりはじめた小藪の挑戦はこれからが本番だ。来年度の目標は県総体2連覇・インターハイ出場選手10人以上。当然、簡単ではない。

そもそも斐太高校の練習は週4日。1回の練習時間も短い。雪国のため冬季練習も制限される。強豪校と異なり推薦入試によって選手を集めることも出来ない上に、飛騨地方はもともと生徒数が少ない。この「厳しい」環境でどれだけの選手を育てられるか、彼は燃えている。

30代は自分が指導者としてどこまでいけるか勝負の年代。ここでの実績が人生を決める。全てを賭けるつもりです。今はまだまだ実績が全然足りません。もっともっと強い選手を育てたい。そして岐阜の陸上界を自分がもっともっと盛り上げていきたい。

生粋の「陸上バカ」なのかもしれない。
しかし陸上を語る小藪は、いつも魅力的だ。

陸上界を盛り上げるために出来ること

年明け早々、斐太高校の体育館では練習始めのバスケ大会が行われていた。卒業した陸上部OBも多く参加していた。毎年恒例行事にしたという。小藪は卒業後も陸上に関わってくれる生徒を意識的に増やそうとしている。それが陸上界を盛り上げることに繋がると信じているからだ。

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みんな最初はやりたくて陸上を始めます。でも理不尽な精神論を押しつけられたり、量をこなすだけの非効率な練習を強制させられて、陸上を嫌いになって辞めた子たちが沢山いました。残念でした。せっかく陸上部に入ったからには陸上の楽しさを知って欲しいですし、好きになって欲しい。卒業後も陸上に関わる人間を増やすことが、陸上を盛り上げることに繋がると思っています。

彼の教え子からは、徐々に陸上指導者の卵が生まれ始めている。この5年の教え子のうち10人以上が指導者を目指して大学で学んでいる。高校生の中にも指導者を目指す生徒は多いという。長い目で考えたとき、指導者層の充実が陸上界を盛り上げるためのカギだと小藪は指摘する。

やはり子どもの数が減っています。サッカーや野球、ほかの種目との子どもの奪い合いが起きています。その中で陸上が一定数の競技者を確保するには、陸上の魅力を伝えられる指導者を増やすことが大切です。指導者がいないスポーツは結局は広まりません。子どもが『やりたい』と思っても、教える人がいなければどうにもならない。いい指導者の育成が鍵です。

将来的には、教え子たちを集めた勉強会や合同練習会を開き、自分が作り上げた「陸上メソッド」を広めていきたいと考えている。とても楽しそうだ。そして近い未来、それは現実になるだろう。

「陸上を一生の仕事にしたい」。
そう話す32歳の陸上指導者の挑戦は、まだ始まったばかりだ。

《取材後記》
「スター選手を育てる」「学校を強豪校に育てる」「陸上界を盛り上げる」「地域も盛り上げる」。全て夢があり、やり甲斐のある仕事だ。そういう仕事に出会い、そして熱中している小藪を羨ましく思った。人生の大半は仕事だ。その仕事を充実させることが納得度の高い人生に繋がる。彼が育てた選手からいずれ「スター選手」が生まれることを期待しつつ、これからも彼の活躍を見守りたいと思う。

(了)。

私も陸上やってました。ぼんくら選手だったけど、忘れられない時間です。陸上についてはこんな記事も以前に書いています。よければご覧下さい。

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