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フォトグラファーによる写真以外の創作

はじめましてこんにちは。

今回はフォトグラファーによる別の創作活動についてのお話です。

人物、物、風景、報道、分類したらキリがないほど写真活動は様々な分野があります。

今回は自分が関わっている人物や物を撮影している方に参考にしてもらえたらなと思った経験。

ある日とある海岸にビーチコーミングをしに行こうという事になりました。

ビーチコーミングというのは(以下Wikiより)

ビーチコーミング(Beach combing)とは、海岸などに打ち上げられた漂着物を収集の対象にしたり観察したりする行為。漂着物を加工したり標本にしたり装飾にしたりして楽しむ。本来の意味は売り物になる漂着物を拾い集めることで、骨董の世界では「海揚がり」と呼ばれてきた[1][2]。

とされています。

漂着物のなかには流木や石、ガラス、陶器があります。

人によってはゴミでも、自分の中では宝石のように思えてくる。つまり、

海岸にあるものの価値は自分のセンスで決まります。つまり、

拾っていく中で、自分の内面やセンスが表現されていき、それに気がつくことになります。

無数にある石の中でも目を引くものがあり、収集物を確認するとどこか共通点があります。

自分は

丸くツルツルになった石、模様が残っている陶器、個性のある造形をしたガラス、班目模様の石や、鮮やかな貝殻が多い。

ほぼ無意識に集めたそれらは、なぜ拾ったか、どこが良くて、似ていても拾わなかった石との違いを説明できるのです。

さて写真の話に戻ります。

写真を撮っていく中でいつでもシャッターを切れる状態があったとします。

でも常にシャッターはきりません。自分がなぜか良いと思った瞬間や物や空気感が見つかった時にほぼ無意識でシャッターを切ります。

現像して並べるとなぜ撮ったか全てに説明がつくじ写真ばかりになります。

そしてその中には共通点が隠れています。

ビーチコーミングに似ていませんか?

仕事での撮影では自分の考えだけでは撮らせてもらえません。商業としてどう振る舞うかが大事で自分の個性は7割出せたらいいところです。仕事の撮影なので、それを受け入れることは大正解です。

ただそればかりだと楽しいという気持ちは薄れていきます。色んな葛藤もしている時期でした。

ビーチコーミングをしてみてプライベートで撮る写真の感覚を思いだしました。仕事で叶えることのできない部分を写真でなくても叶えてしまいました。

拾ってきた漂流物を眺めていると自分のセンスが集められていて、それがあつまると共通点があって、好きなものに気がつき、それら全てが自分を表現しているのです。

これを写真に還元したい。そう思った私はさらなる創作活動に移ります。

好きなものを好きな様に並べて形にしたい

そう思い立ち漂流物をキャンパスに貼り付けて、絵具で色を置き作品を作り上げました

できた作品は素人ながらのクオリティではありますが、お気に入りになり、今では家のインテリアになっています。

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そして今度はそれを写真の力でさらに表現に変えたいという思いから、朝から夕方の様々な光で撮影するに至りました。

画像2

ひょんなことから始めたビーチコーミングが自分のセンスを客観的にみる事につながり、写真以外の創作活動につながり、最後は写真活動に戻ってきました。

これはとてもいい経験で、とても為になるサイクルだと思いました。

自分の好きなものがわからない人、共通点があるけど説明に至らない人、ブランクに陥ってる人。是非トライしてみてください。きっと幅が広がった写真に帰ってきます。


拙い文章ですいません、長文の拝読ありがとうございました。





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