大木隆生チャネル 視聴メモ#1、#2

慈恵医大の大木隆生先生がyoutubeに「大木隆生チャネル」を開設され、本編だけで10本のコンテンツを公開しています。

新型コロナに関して日本の政治、行政、メディア、一部の専門家の言うこと、やることがおかしい。人々の意識も理解できない。それは時間とともにますます募る、と私は思ってきましたが、大木先生の発言と解説を聞くと、合点のいくことばかりです。

私が疑問を感じるようになったのは昨年4月の中頃からでした。Facebookには4月から細々と発信してきました。

立場もレベルも言動の重要度も比較になりませんが、時期だけで言うと大木先生がご自身の見解に確信を持たれたのは同じころだそうです。以来、大木先生は正しい理解を広めようとリスクを背負って努力し、所属する大学だけでなく政府にも働きかけを繰り返し行ってこられました。

大木隆生チャネルの本編10本の視聴で2時間くらいと思います。多くの方に視聴していただきたいと思いますが、何かの足しになればと私が作成した視聴メモをいくつかに分けてnoteに置いておくことにします。

何人かでも、このnoteがきっかけでyoutubeを視てみようと思われたら幸いです。

今回は本編の#1と#2の視聴メモです。

以下

#1  なぜ大木隆生がコロナを語るのか

自己紹介
慈恵医大の外科の統括責任者。
対コロナ特別院長補佐職は返上した。炎上のため。
ここで言うのは個人的な見解であり、慈恵医大を代表しての発言ではない。
帰国子女で子供時代の8年間ヨーロッパ。日本の小学校には在籍したことがない。

日本で高校、大学。その後アメリカで医師になり、最終的に大学教授まで勤めた。
慈恵に請われて慈恵医大と外科の立て直しのために日本に。
アメリカでの報酬は1億円、慈恵では880万円になった。

20年間海外に住み、英語は得意なので新型コロナに関しても英語の論文を早くから読んでいた。
2020年1月に新型コロナに関する最初の論文が医学誌に載った。
読んでこれはスペイン風邪の再来、パンデミックになると直感した。世間も医局員ものんびりしていたので自分が勉強して警鐘を鳴らそうと思った。
300人の外科医を36の病院に派遣している立場なので、若干の使命感もあった。

医局員にはアルファ米やティッシュペーパーを買っておきなさいなどとアラートを出した。
1月28日に大木レポート第一報を書き、以後80本くらいのレポートをメールで出し続けてきた。
グローバルな友達ネットワークからの情報もある。中国の生の情報も聞いていた。
そんな経緯で慈恵ではコロナ対策のトップランナーになった。

新型コロナに関する勉強は全員同時スタート。感染症専門医でも同じ。
外科医でもあまり不利と言うことはない。

最初は新型コロナは死の病だと思った。欧米ではそうだったが日本ではそんなことはなかった。
欧米のデータに基づくWHOの勧告等は無駄なものが多い。
日本人(東アジア人)にとってのコロナは欧米とは違う。
WHOの知見がそのまま日本に当てはまらない。

30年、40年感染症の勉強をしてきた人たちはそういう知見に引っ張られてしまうので逆に不利という側面もある。

私は外科医で先入観なく見れたのでコロナの正しい姿が見れたのかなと考えている。
それで慈恵の教授会でもコロナについて見解を発言したり対策について提起したりした。

#2  なぜマスメディアでなくyoutubeなのか

昨年4月には空騒ぎだとわかった。
日本では感染爆発は起こらなかった。

世界的パンデミックになると予測して、慈恵は2月中旬には急ぎではない 手術をやめてICUやベッドを空けて東京の武漢化に備えようとした。病院として当然やるべきことと提起。
慈恵は1000床のうち600床を空けた。

3月も4月も何も起こらず、離れたミラノ、ローマ、ニューヨークに火の手。
感染症も地震や津波と同じで震源地に近いほど影響が大きいはず。
にもかかわらず日本も韓国も素通りして遠く離れた場所が感染爆発。
それをみて日本では感染爆発は起こらないのかなと思った。
そういう目で見始めると確かにそうだ。日本人はなぜか強い。
モンゴリアン遺伝子とBCGのふたつが疑わしい。

日本では武漢化は起こらないと思うようになったときに安部さんが緊急事態宣言を出した。
出したまではいいが、連休中の5月4日に宣言の一カ月延長をアナウンス。
そのときには私は空騒ぎだという結論に達していた。
新型コロナは風邪の悪いやつ、インフル同然。
600床を空けて待っていたのに患者が来ない、救急車が来ない。ニューヨークとかミラノとか武漢で見た光景が日本で起こらない。
自分の周りにも熱を出す人がいない。
なんだこれはと思った。
日本においては風邪のちょっと悪いやつ程度だと確信するようになった。

だから安部さんが緊急事態の延長と言ったときに納得ができなかった。
これは国益に反すると思った。
友達は医者ばかりではなく、飲食店経営もホテル経営もANAやJALの社員もいる。
悲痛な叫びを聞いていた。
自分がコロナは風邪のちょっと悪いやつと分かったのに、緊急事態を無駄に延長するという動きに憤りを感じた。

違うだろ安部さん、と思って大木提言の第一報を書いて送った。
日本においては医療体制を強化しさえすれば緊急事態宣言を出す必要はないと書いた。
経済を慎重に回しながら医療体制を強化し、ウィズコロナをめざすべきだと論文にまとめて官邸に持ちこんだ。
ナベツネ氏とキヤノンの御手洗氏が力になってくれて連休中には論文が官邸にわたり、官邸に呼ばれて今井補佐官など官邸官僚とディスカッションした。
安部さんも読んでくれて、そこから最終的に私を未来投資委員会の委員にし、大木提言を全面採用すると言ってくれた。

8月28日に安部さんが辞任したときにメディアは桜の会などの質問ばかりしたが、あのときにコロナに関する大事な方向性はすでに示されていた。
辞任会見の半分はコロナだった。残りの半分はイージス艦、安全保障。


安部さんがコロナについて言ったことは、医療体制の思い切った強化、そのための思い切った財政支援。二類感染症の扱いについても柔軟に対応する。医療従事者、施設従事者に定期的にPCR検査をする。
以上は大木提言に書いたこと。それを安部さんが辞任会見で「コロナに関する私の落とし前だ」と発表してくれて、次の首相にもこの路線でやってもらいたいと言った
大木提言がそのように採用されて、実際に10兆円の予備費が確保されて、うち1.2兆円が医療にということで、私としても大木提言を書いて届けて国のために働けたかなという感触を得ていた。

安部さんがいなくなって、菅さんになって第二波が来て、収束して今に至る。

再度、大木提言を書くようになった事情は昨年と同じ。
医療体制を整えさえすれば再び緊急事態宣言を出す必要はないし、出すべきではないと思っていた。
4月、5月でGDPが50兆飛び、自殺者が増え、企業が倒産し、いいことない。
二回目が出たので、また国士として燃えてきた。私が手をこまねいていたら、また非常事態宣言で無駄なことが起きる。
もう一回総理に伝えなければと思った。
「医療体制を強化して、ウィズコロナでやればいいではないか」
という提言を書いた。

一回目の非常事態宣言の解除のころ、東京は新規感染者が7人まで下がった。しかし、そのあとまた増えた。二カ月しか持たなかった。あれだけ痛みを伴って抑え込んでほぼゼロにしたって二カ月。今回もどれだけ抑え込んでも解除したら戻る。
要するにゼロコロナ路線はあり得ない、ウィズコロナをいかにうまくやるかしかないんだということが分かっていたから、菅さんが非常事態宣言を出すというときにダメダメと思ってまた提言を書き、友達の力で官邸に渡した。

安部さんの時はすぐに官邸から連絡があったが、今回は2週間くらいレスポンスなし。
そのタイミングで週刊新潮から取材申込。
官邸から反応がなかったのでやむなくメディアに応じた。
そのあとで菅さんからも会いたいという連絡があり、1時間くらい話した。


次回
大木隆生チャネル 視聴メモ#10、#3
https://note.com/hirokazu_muto/n/n6558668145de/edit

新型コロナインフォデミック 私的アーカイブ 
目次とリンク
https://note.com/hirokazu_muto/n/nf7069a66fb22

新型コロナインフォデミック 私的アーカイブ 
はじめに
https://note.com/hirokazu_muto/n/n984efcddc695

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