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この倦怠感、なにもしたくない感じはどこから来てるのだろう…

ドクターに勧められたこともあり、久しぶりにただの心の吐き出しをしてみようと思います。

私にとって、気持ち、自分のmindやemotionは身体の中に霧や綿菓子のような雲のようで、形がないもの。おぼろ気に私の身体のどこかや頭の中を占拠しているものです。

ただ、最近、それを無視しているというか。深く考えたくなくて、見ないようにしている自分がいて。
とりあえず、可視化して、客観的に眺めてみようかとやっと今日思いました。

といっても、私自身は、”言葉”を、レゴブロックのようなものだと思っていて。
言葉には、誰かが決めたカチッとした元々に持たされている意味があるから、私の中にあるモヤモヤの形のない気持ちを言葉にするというのは、自然界にある曲線や直線の集合体であるカラフルな景色を、どうにかレゴブロックで表現するみたいな感じ。
円を微分積分を使ってどこまでもオリジナルの形に近いところまで、近づけて数式で表すようなもので、どこまでもオリジナルな気持ちを表せることは無理だと思っています。
(何を言っているんだか.…意味不明だったらごめんなさい…)

それでも、その形のないモヤモヤをそのままにしていると、知らず知らずに身体中の隅々までいっぱいいっぱいになって、行き場がなくなって胸が苦しくなるので、レゴブロックにして、可視化して、外から形になったモノの形や色を客観的に見て…
ふむふむ、私はこういうことを考えていののかもしれないと、既存の言葉で形になったものを咀嚼してみて、俯瞰しながら客観的にみる作業をすると楽になった経験が今までもあって、今回もそうしたら、楽になるかもしれないと思ったわけです。
と言っても、日記を書くように言われたのは、一昨日、久しぶりに診察に言われたときなので、そこからまる二日やっぱり動けない時間があって、やっと今日の今の今、やってみようかと思えました。

それもこれも
コロナ後遺症になってから、
どんな感情も、ネガティブなものだったとしても、
自分の気持を無視せずに受け止めて、しっかり味わうことが大事
とわかったから。

と前向きが長くなったけれど.…

最近の悩みは、
倦怠感。とにかく、とにかく何もしたくない感じ.…に囚われていること。
倦怠感と言ったら、コロナ後遺症っぽいけど、もし、コロナ後遺症という前提条件がなく、病院に行ったら抑うつ症状と診断されるのではないか.…とか頭の片隅にちらっとよぎるのですが。。。そんな”言葉”はどうでもよくて。

ただただ、何もしたくない

自分としては、身体が重くて、だるくて、一度横になったら、身体をベッドから重力にさからって起こすことすらめんどくさい。ただただ、布団に沈んで目をつぶって寝てしまいたい。

もちろん、昨年2月からずっと、コロナ後遺症になってから倦怠感という症状は、ずっとずっと多かれ少なかれありました。

そもそもが、コロナ後遺症になる前から、もともと私は『明日を生きることに執着がない』というマインドセットを心の奥底で持ち続けながら生きていたから、それを考えないように、口に出さないように、人に知られないように生きてきていたから、コロナ後遺症でもの凄い倦怠感に襲われた時にも、ただただこのまま永遠の眠りについてしまえたらどんなに楽になるのだろう、口にこそ出さないけど、むしろつきたいと思っていました。

でも、昨年2月にコロナ後遺症でとことん動けなくなって、初めはコロナ後遺症とは診断されずに、燃え尽き症候群と診断されて、数々のカウンセリングを受けたり、友人や一緒に住んでいた次男から、奇跡のようなメッセージを受け取ったり、色々な人生についての学びが降ってきて、
人生で初めて
『今、生かされて地球にいること』に感謝したり、

どんな自分だったとしても、治らなくてこのまま人の助けがないと生きていけない状態で生きていくことになったとしても、
『今の自分の与えられた人生を楽しむこと』
が、何においても自分の使命なんだと腹落ちしたりして、
複雑な幼少時から人知れず抱えてきた、根本的な生きづらさが、病気と闘病する中で解消されてきました。

コロナ後遺症になったこと、それ自体の事実は不幸かもしれないけれど、
私がこれからの人生をエンジョイするためには、
コロナ後遺症になることは必然だったのではないか。
人生を生き直すきっかけをもらえて、今のこの年齢で、ここまでの人生の一時停止をくらって本当に良かったとすら思っています。

これはホントの本当の本心で、今も嘘偽りありません。
少なくとも昨年ワクチンを打って、再度どん底まで悪化する前は、
毎日起きると、この美しい地球にまた帰ってこられたことを感謝して、幸せだと思って目覚めていたし、昨年の誕生日は、初めて迎えられて嬉しいとも思えました。

そこから、せっかくだいぶ元気になっていた矢先の昨年の7月、コロナ後遺症とこのときは私もドクターも知らなかったから、仕事復帰しようと思って打ったコロナのワクチンで、色々な症状がが再燃して、元よりひどくなって、初めて実は、最初から私の病気はコロナ後遺症だったことがわかって、コロナのワクチンも禁忌だったとわかって、坂を転げるように、どん底へ。
目も開けづらくなり、目眩が止まらず、24時間耐え難い全身の痛みに襲われる中で、それをどうにか、漢方や鍼やら、セルフEATやら色々な治療をそれこそ泣きながら、不安にさいなまさされながら、身体を引きずるようにして治療に通い、日々努力して、沢山の症状のアップ&ダウンやクラッシュを繰り返しながら、どうにか普通に起き上がって生活できるようになったのが今年の3月。

そして、数時間なら普通に身体を動かせるようになって、先月日本にトライアル帰国。
帰国フライトによる悪化で、久しぶりの24時間の痛み出現にも耐えて、
改善して、日本でできる治療に通って、さらにベースラインが上がって、連続で活動できる時間が増えて、先週カナダに帰国して、日本へ帰国したほどには、症状の再燃もなく、ホッとして。
そして、帰国から既に10日もたっているのに、

もう、頑張りたくない
もう、何も考えたくない
治療にも行きたくない
もう、なにもしたくない

と、動けない、動きたきたくない自分がいます。

以前なら、こういう倦怠感の時には、動けるようにしてもらえるように、頑張って、”鍼の先生に助けを求めに行く””足つぼに行く””セルフEATをする”
ここから脱出しようと足掻けたのに、それすらもやる気力がない。

コロナ後遺症になったばかりの時の、”~ねば、~べき”でとにかくつらくても動き続くことはしないことが平気になった、今。
自分の身体の声にただ自然に従って、やりたいことを平気でいつまでもやらないことにOKを出していると、本当に何もしたくないし、しないまま時間が過ぎていきます。

明らかにフィジカルはあがっているのに、なんでだろう。
ここで、怖いけれど考えてしまうことは.…初めて回復の兆しが見えてきて、むしろ、治らずに病気でいたい気持ちがそうしているのかもしれないということ。
コロナ後遺症が治ったら、今までのように何かをやらされる人生でなく、自分がやりたいこと人生を生きたいと思っているのに、やりたいことがない。自分が夢見る未来がない。それと向き合うのが怖い。
だから、病気から回復したくない。
今の周りから何もしていなくても何も言われない、当たり前という状況で留まっていたいから、自分でどこかで動いてはいけない気持ちになっているのではないか。

私から、ねばべきで、やることを取ったら、正直今のところ、何もしたくない。ご飯も食べたくない。

それで、日本からカナダに帰国してからのこの10日間はただひたすら、24時間横になって、漫画を読んでいました。コロナ後遺症では、睡眠障害がずっとあるから、毎日頑張って寝るように努力していたけれど、その、寝る努力することすらしたくない気持ちでした。

そんなようなことをツラツラ話したら、一昨日の久しぶりのカナダのドクターの診察で、予想通り、抗うつ剤を始めることを勧められました。
サインバルタ。
”動かないでいると、余計体力、筋力も落ちて身体が動かしづらくなって、よけい動きたくなくなるということもある。少し動いてもいいと思うまでの気分になるように、抗うつ剤を頼ってみるのはどうか。”
”今の状態は24時間、昼も夜もあまり刺激がないから、自分の状況をつかみにくい。日記を書いて記録してみましょう。”

もう全くをもって、その通り.…なんだけれど、
これが、元々のわたしの根本的な生き方が原因。
”人生に希望がないから、病気から治って自分の人生を生きるのが怖い”と思っていることが原因だとしたら、そこを見つめないで、リポビタンDを飲むみたいに、抗うつ剤を飲んで、気分だけ上げて、身体と心にムチを打って動けるようになって、ただ刹那的な楽しみを探し求める、そんな生活に戻ってしまうのでは。。。
今まで、抗うつ剤も使わずに、ここまで頑張ってきたのは、そんな人生を根本的に直したいからだったのではないか。

ぐるぐる思う浮かぶけど、頭が働かず。。。。。とりあえず今日もベッドで一日を過ごしてしまいました。
さて、どうしようかな。

とりあえずサインバルタを取りに行って、目の前に置いてみてから飲むかどうか考えてみようと、ここまで書いて思えたので行ってきます。






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