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自分の声に罪悪感を感じずに従う。大いなる意思で休む決断をする【コロナ後遺症日記12/18】

3日ぶりの日記。
金曜日は、2週間ぶりのカウンセラーの先生との面談でだった。
ここ2週間の畳み掛けるように続くショッキングなニュースに気持ちがメタメタになっていること、
今のところ、どうにか踏みとどまっているが、むしろこんなに辛いのに、薬に頼らない自分は、ただ意固地になっているだけのようにも感じるから、抗うつ剤に頼ろうかと思っているとお話した。

そう言ったら、”いいんじゃないですか。そこまで頑張らなくていいですよ。”と言われるかと思ったら違って驚いた。
”親しい友人の突然死などは誰に起こっても辛いし、それ以外にショッキングなニュースもあったのだから、今の状態は仕方ない。
時間が解決してくれる以外は方法ないこともあるから、今、抗うつ剤を開始しなくてもいいのではないか”と。

今まで、カウンセラーの先生には、漢方ばかりに頼らずに、抗うつ剤にもっと頼ったらいいと再三言われていた。
私が抗うつ剤を始めなかったのは、痛み止めとして効くかもしれないとサインバルタを出されたから。
私にとって、今のところ痛みが出たら、休まなくてはいけないというサインなのに、痛みだけ取ったら無理してしまうのではないかと思うと、なかなか怖くて抗うつ剤が始められなかった。

また、抗うつ剤は始める時には少しずつ始めないといけないから、最初に始めてみて効果が感じられなかったとしても、その抗うつ剤自体が効果がないのか量がまだ足りないのか判断できないので、その判断がつくまでは、ある一定の量まで増量していくしかない。

前回のジェイゾロフトでは、副作用だけ感じながらMAXまで増量して、結局効果を感じられずやめることになったが、止めるのに少しずつ減らさないといけないから、結果その間中吐き気や頭痛に悩まされた。
そんな経験もあって、なかなか踏み切れなかったのだが、一方ではたから見て、よく癌の患者で、代替医療に傾倒するあまり、西洋医学を全否定すると極端に走ってるようになってないかと、自分で心配になることがある。

自分を客観視しすることは抑うつ状態にある時ほど難しいことも、自覚するから余計それまでもが、心配のタネになっていた。

でも、確かに現状は、多分健康な人に起こっても、すごく辛くなる状況で、先生がいうように自分の気持ちのショックがさめるのには、時間しか解決しないというのも、納得できる。
とりあえず、身も心も赴くままに気が済むまで落ち込んでみようと思って過ごしていたのが、この2,3日。
とにかく、無気力で何をする気も起きないから、毎日どうしてもやらなくてはいけない車の送迎以外は、ただただ朝から晩まで、マンガを読んだり寝たりしていた。夜も色々なことを考えて、眠れないから、朝晩関係なくそんな風に過ごしていた。

昔から、そうやって意味もなくダラダラ過ごすと決まってあとから、罪悪感が出て自己嫌悪に走ったものだが、こうやって”意志を持って何もしないと決めて、ただ気が済むまで休む”というのも、実は、今年この療養をするようになってできるようになったこと。

療養を初めたばかりの頃、
”今は、好きなことや、やりたいことだけやってください"とドクターやカウンセラーの先生に言われた。

その時、私が言ったことは、
”とにかく寝たい。
明日起きなくてもいいから、そのまま死んでもいいから寝ていたい。でも、そうやって寝ると起きた時に、一日を無駄にしたようで罪悪感を感じてしまう。”

そこで言われたカウンセラーの先生が、かなり私にとっては目からウロコで、救いになった。

”今一番やりたいことが、寝たいことなら寝たらいいじゃないですか。好きなだけ寝てください。
でも、起きてきて罪悪感を感じるのはおかしいですよ。
自分が一番やりたいと感じることが”寝たい”で、一日寝たら、起きた時にはまず、”自分が一番やりたいことができた、やったー!”と思いましょう。
そこでやりたいことができたのに、罪悪感を感じるのはおかしいです。
罪悪感を感じるくらいなら、寝る前に本当に寝たいのか、他にやりたいことはないのか考えてください。
一瞬一瞬を自分がやりたいと思ったことをやって、それをやって、それができたことをヤッターと喜びましょう。”

ちょうど同じ頃、療養が長引いて不安になり、
”お母さん本当に元の通りに仕事行けるまで、直るのかな。”
と聞いた次男に、
”お母さんが本当に元気になりたかったら、一瞬一瞬を自分で決めてやったほうがいいよ。
“仕事に行かなきゃ”いけないから行くでなく、”仕事に行きたい。行くと決めたから行く。自分がやると決めたからやるってしたら直ると思う。お母さんの周りは”しなくちゃいけない”が多すぎる”
と言われた。

こんな風に、まだ10才の次男は、私がこの長期療養を始めてから、時々、わたしをハッとさせるような、人生の師匠のような発言をする。

で、その後、ある時これってまさに7つの習慣の第一の習慣”Be proactive"(主体的に生きる)ではないかと思い至り、今にいたる。

今回は、この2,3日間は心ゆくまでに心赴くままに体がしたいようにした。
日記も書く元気がなかったからお休みにした。”書かなきゃ”とか思わず。
今日は書きたくないから無理して書かないと決めたのがこの二日間。
こうやって書いていると、長々と日記を休んだ言い訳を書いているみたいだけれど、自分の中に大いなる意志を持って決定した休みをとれる、OKと思えるようになったのは、コロナ後遺症になったからえた気づき。

もし、読んでくださった方がいたら、何を書いている日記なんだかわからない内容でごめんなさい。


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