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イギリスに初入国!

1話目はイギリスでガーデナーをするまでのきっかけについて読んでいただきました。次はいよいよイギリス到着について様々なことと、入学したカレッジについて触れていきたいと思います。

イギリスの学生ビザのルールとして帰りの航空券も持っていないといけないこともあり、キャセイパシフィック航空の往復航空券を持ってのフライト。無謀にも、海外初めてでいきなり1年住むという計画でいきましたので、当時は故郷の北海道を離れるのはかなりの冒険でした。トランジットの香港まで行くのに、経由して
新千歳→成田→香港辿り着くまでにすでに半日は経過。香港でのトランジットは夜中の0:30ぐらいだった記憶です。初海外フライトにしては強行し過ぎました…
25年前だから行けた道のり。。。

香港からはロンドンヒースローまで行くだけなので海外路線の雰囲気を楽しみながら、「どーにかなるでしょう!」と楽観的に過ごしました。これまでの準備の苦労を思えばなんてことない、しっかりロンドンのチューブ(地下鉄)の経路も叩き込んできたし。
ヒースローに着く頃、窓を覗くと階下にテムズ川を中心に広がるロンドンの街が!!!この瞬間はワクワクドキドキが止まりませんでしたね!リアルに来たという実感を感じました。(ちなみにこの時にはまだイギリスでガーデナーをすることになるとは思ってもいなかった!)

そして緊張の入国検査。ここで引き返されたという話を聞いてきたので、完全なる書類を手に握りしめて列に並んでました。書類審査では、にっこり笑顔で「学生です。」しか言わずにすみ、書類も1分かからず通過したのは日本人の学生が積み上げてきてくれた信用の賜物ですね!ありがたいですー。
ほっとしたところで先にロンドンに留学していた友人が迎えてくれました。
ここで全く予想していなかったことに気がついたのですが、、、
両手に巨大なスーツケースとソフトスーツケースを2つ抱えて降り立った空港。
さぁ、この後のチューブの乗り継ぎを一人だったらどうするつもりだったのか??
階段も多いし人もたくさんだし、治安も北海道に比べたら格段に良くないし、、、
一瞬ゾッとしましたが、友人がカレッジのある街へ行く電車が出てるチューブの駅まで移動中ヘルプしてくれたのでことなきを得ました。。。危なかった…
実際のロンドンは当時、東京のような雰囲気だなと思ってました。今は東京は看板が適切でロンドンよりも整ってるイメージです。

私の通ったWrittle CollegeはEssex州Chelmsfordという都市にあります。イギリスの政令指定都市の基準はそこにCathedralがあるかどうかですが、小さな町の印象のChelmsfordも指定都市でそれなりには栄えている町です。それでもロンドンの喧騒からChelmsfordに近づくにつれてのどかな感じになってきました。ここまでくれば両手の荷物も自分のペースで運べるし、タクシー乗り場まで行くだけです。

初日はとりあえずタクシーなど使い贅沢させてもらい、無事カレッジにつくことを優先にしました。着いたらすぐに、日本からメールで連絡をやりとりしてくれていたインターナショナル担当の先生のところに行き初対面。ここまでよくきたね!と温かく迎えてくれました!そしてなんと、当時はこちらのカレッジには日本人の留学生も少なかった時代で、しかも北海道民なんてなかなかいなかったにもかかわらず、「先ほど北海道から来た女の子も到着して寮に案内したところよ!」とのこと!怒涛の移動で疲れていましたが、道民パワーで俄然元気を取り戻しました。
とりあえずカレッジの敷地内にある寮に案内していただき、これから学生生活を送る部屋へ!

海外も一人暮らしも初。初めてのことがいっぱいで一瞬ぼーっとしましたが、お腹空いてきたので日本から持ってきたアルファ米炊き込ご飯みたいなのを食べました。お湯はとりあえずcomon roomという共通キッチンスペースにポットがあったので沸かして使いました。このポットと水については別の記事で詳しく。

時差ぼけとかなんとかあったかもしれないけど、自分の足で地域を歩いて観察することで土地に馴染んでいく癖があるのでとりあえず散策に出発。
カレッジは農場も所有してるので広くてよくわからないのでまずは街の方かな?と思う丘を登ってみましたが一面麦畑か住宅がポツンポツンと。駅のある中心部ではなくてカレッジのある小さな街のスーパーとか郵便局とかないかなと思ってたけど見つけられずに帰宅。夕ご飯も読み通り持ってきた日本食。
食べ物発掘するのに時間かかりそうだからと3日分の食料を持ってきていたけど、これなければひもじかっただろうな。。。

初日は大移動で終わって現地の雰囲気も確認できたので良かったー。コレクトコールでもいいからとにかく連絡ちょうだい!と母に言われていたのを思い出し、寮についてる公衆電話から電話を入れました。その後もコレクトコールで毎度電話してたら月の請求額が確か6万円だったかな。。。ずば抜けた数字になって迷惑をかけたなと思い笑 次からは激安で公衆電話から日本に電話をかけられるというテレホンカードを買って(なんとかライオンという名前だったような)コスト激減に成功しました。ラインあったらよかったなー。。。当時はブラウン管のパソコンが家庭にあったかもぐらいの時代。


次回は到着翌日以降の動きや寮とカレッジについて一眼レフフィルムカメラで撮った写真も織り交ぜながら綴っていきます!

*表写真はロンドン・リバティーの入り口にあった花屋

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