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尽くしてしまうあなたへ

私はこんなに頑張ったのに
こんなにやったのに
なんでわかってくれないの
どうして~してくれないの
という気持ちになるのは、自己犠牲になってしまっているサインだったりします。

自分を受け入れてもらえなかった、わかってもらえなかったという喪失感にも似たような気持ちは、大抵の人が経験したことがあることかもしれません。

自己犠牲的になってしまうのは、離れたくない、見放されたくないという深い依存心と怖さが原因なのですが、それをすぐに手放すのもなかなか難儀なことです。

手放すというより、少しずつ大丈夫だと確認していくような行動が重要なんだろうなと最近よく思います。

例えば、相手の暗黙の期待に応えようとしないとか。
繊細に何かを感じ取るからこそ、相手は何も言ってないのに、期待感を感じてしまって、それに応えようと頑張ってしまう。

でも、頑張った分の見返りがないとき、冒頭のような気持ちになってしまうのだとしたら、何も頼まれていないことは、勝手に期待に応えようと頑張らなくていいことを決めておくといいかもしれません。

それをするとどうなるのか。
やっても、やらなくても、大丈夫だったと気づくのだと思います。

普段だったら、やらないと、~って思われるかもしれない、残念だと思われたらどうしようと怯えたり、怖くなるから、オートマチックに期待に応えようと行動してしまっています。

その行動を一旦、あえて、やめてみる。

やめてみたら、あれ?なんだ、やらなくても何も怖いことは起こらなかったと気づくし、自分がどれだけ怖がっているのか、思い込んでしまっているのかに気づけるチャンスかもしれません。

尽くせるのは悪いことではありません。問題は自分を犠牲にする尽くし方なのです。

だから、頼まれたらどんどん尽くしてもいいし、勿論、やってあげたいと思ったときだけで十分です。

頼まれていないけれど、やってあげたいときは、一度尋ねてみるといいかもしれませんね。やってあげるよ、大変でしょ?って。


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