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情報発信をしないことのリスク

2020年は人と接する機会がぐんと減った。

ほとんどのコミュニケーションがオンラインにシフトしてしまって、人と話す量が以前の10分の1程になってしまったのではないだろうか。(PCやスマートフォン越しに話す機会は増えたけど)


「オフライン」社会での活動や、人々との物理的な交流があまり無いものだから、社会との隔たりや、世にある情報から置き去りにされている感が増しているかというと、わたしの場合はそうではなくて、むしろ逆だと思う。

外に出る時間、人と会って話す機会などがぐんと減った一方で、オンラインで能動的に情報検索したり、受動的に新しい情報を受け取る時間がかなり増えたので、世の中の出来事や流れについて、以前よりも沢山の情報や知識を手に入れるような生活になった。

指先一つで情報を得ることができる。なんとも素晴らしいことではないか。
私は置き去りになんかされていないぞ。日々最新の情報に触れて、私の知識は常にアップデートされているんだ。不安がることなんてないではないか。

でも、ふと思うことがある。

わたしの存在はこの世から認識されているか?

この便利なインターネット社会、そこに情報をアップロードする人がいるから、わたしは楽をしながらあらゆる情報を享受することができる。
自身を”100%ダウンロードマン”と名付けても良いかもしれない。


別に、有名ユーチューバーとか、凄腕ブロガーとか、フォロワー100万人のインフルエンサーになりたい等とは思っていない。

でも、自分が100%ダウンロードマンであること、それから、ダウンロードマンの権利として受信したあらゆる情報をうまく有効活用できていない点については、ちょっと気になっている。

毎日こんなに忙しく、様々な新しい情報を手にしているけれど、
それは何のためになっているのか?
誰かの役に立つこと、社会に価値をもたらすことに繋げられているのか?
そして、情報をひたすら浴び続けているだけの自分は何者なのか?


いつかホリエモンが、

「嫌われることは問題ではない。
一番ダメなのは、無視されていることだ。」

と言っていた。
何も残さないということは、自分がいなかったのと同じこと。
発信しなくて存在しないことにされていることに比べれば、嫌われることなんて大したことじゃないのだと。
多くの人たちは、いないことにされているぞと。

彼の言っていることは納得できるし、コロナ渦でより一層共感できるようになった。あぁ、自分の存在が薄れ始めているな。と。
確かに、ホリエモンはめちゃくちゃ「居る」よなぁ。


「今は、SNSでセルフブランディングをするべき時代。自分の活動や成果を世の中に発信して認知を高めよう!キラキラ☆」
なんてことは微塵も考えていない。というか、今の自分には人を動かすような大した発信はできないと思う。

でも、前の記事でも書いた通り、アウトプットすることそれ自体が自分にとっては意味があり、役に立つだろうことは間違いない。

加えて、自分が持っている情報を発信して、世界に一人でもいいから、それを必要としている人に届けることができたら、それは素敵なことだと思う。


この記事一つ公開するのにも、今の自分にはいくらか勇気がいるなぁ。
いつもやっているのと同じ、指先一つの操作なのに。

でも、やってやる。
今この瞬間に、100%ダウンロードマンを卒業して、99%ダウンロード1%アップロードマンになるんだ。

情報発信(アウトプット)を通して、自分の在り方を見つめなおしたり、人生が少しでも善くなっていけばいいなと思うし、発信をすることをきっかけに、人との出会いや、いつか何かチャンスが回ってくるかもしれないから。

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