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【短編小説】 部活帰り

ほとほと毎日が嫌になる。

別におかしいことじゃない。そういう時期なのだ。

自分の中の公私が完全に分離していない高校生時代はそういう不安定な時期なのだ。

だから、人間のおぞましい、醜い部分を隠さずに直に相手にぶつけようとする。

毎日目にする、耳にする、からかい、陰口、威圧。周りの世界が黒いインクで汚されながらぐちゃぐちゃになっていく。

神経が図太くなければとてもやっては行けない。普段は気にしない。だってもう慣れているから。でもたまに、あるときふと、逃げ出したくなる。

世界の全てから逃げて、誰もいないところで一人静かに暮らしていたいと夢想する。

現代国語の先生は「あなたの頭の中はお花畑である」と言ってバカにするのだろうかー。

そう、結局何を考えてたところで変わるものなどありはしないのだ。でも、だからこそ空想に憧れる。逃げなくちゃやってられない。

そんな考えごとをしていたら、6時間目のチャイムが鳴った。ホームルームが終わると

「美紀、部活行こうよ」

と、クラスメイトの夏季が誘ってきた。夏季とは、高校に入ってから知り合った。

一年前の頃から、クラスは同じで、水泳部に誘われたことから仲良くなり、毎日一緒に部活に行っていた。

私は、内気であまり仲の良い友達もいなかったけど、夏季だけにはなんでも話すことができた。

「うん。わかった今行く。」

そう返事をすると、私は夏季の後に続いた。

いつも練習するプールは校舎の隣にある。

後者の玄関を右に曲がってすぐのそのプールは決して新しくはなく、ところどころペンキもはげかけて、更衣室にはヒビも入っていたけど、あのツーンとする塩素の匂いのするちょっと暗がりの雰囲気は嫌ではなかった。

プールの入り口でサンダルに履き替えていると、

「オーイ、夏季ちゃーん!!」

と後ろから声がした。

振り返ると、横川先輩が笑顔で手を振っていた。横川先輩は、三年生でもうすぐ最後の大会がある。先輩はいつもニコニコしていて、かっこいいと女子の間では結構人気だ。

「あっ、先輩、早く練習いきましょうよ。今日は先輩の自己ベスト抜きますから。」

返事をする夏季の顔が少し熱って見えたのは、暑い日差しのせいかもしれなかった。

「まーた!夏季はすぐそうやって先輩を脅して、怖いやつだ。」

夏季は先輩と仲が良い。明るくて、可愛いこともあって、先輩だけでなく、いろんなん人といつも誰かに話しかけられては笑っている。

人見知りで、先輩とも一対一で話したことのない私は、そんな夏季が羨ましかった。

でも、私が「夏季って明るくて、友達多くて良いよね。私も夏季だったらなー。」って言うと、夏季は

「そのままの美紀が一番可愛いよっ。」

って、いつもひまわりのような笑顔で返してくるのだった。

その度に私は「そ、そうかなぁー?」と呟いて、少し赤くなって、また夏季のことが好きに鳴ってしまうのだ。

私は、夏季のことが好きだったんだと思う。ーーーだけど。

「それじゃ、俺先行ってるわ。」

「わかった。また後でね、先輩。」

そうやって、楽しそうな会話をしている二人を見ていると、胸が締め付けられる。話に入っていけない、自分がとても惨めになる。

「ああ、浮いてるな。」

ってまるで、自分を外から写している映像が脳裏に浮かぶ。

楽しそうに笑いながら話をしている彼らの隣で、たった一人、スポットライトから外れ、引きつった笑顔を浮かべ、慣れない不自然な笑い声をだす。

「消えろよ。」

どこからともなくそんな声が聞こえてくる。

恥ずかしさと、悔しさが入り交じって、顔が熱くなる。汗が手から噴き出してくる。

「何を話せば良いんだろう?」

疎外感、不安感、嫌な思いが頭の中をぐるぐる回る。早くここから逃げ出したい。

「美紀、大丈夫?」

気づくと、夏季が心配そうに私の顔を覗き込んでいた。とっさに

「あ、嫌なんでもない。大丈夫。」

と言う声が出てきた。

「そう、よかった。じゃあ、私たちも行こう。」

「うん。」

そう言って、私達は更衣室の中に入って行った。

夏季は優しい。私が不安な顔をすると、すぐに声をかけてくれる。でも、だからこそ、あのドロドロした心の中を夏季には見て欲しくない。なんだか、夏季の真っ白な心を私の黒くにじんだインクで汚してしまいそうで・・・。

それとも、私はただ、自分のなかの聖域を守りたいだけなのかもしれない。

更衣室に入ると、あのプールの独特な匂いがツーンと鼻をつく。更衣室には入り口とは反対側に壁とカーテンで仕切られた個室が5部屋あり、あまり使われていないが、入り口の隣には備え付けのシャワーがある。作られてからしばらく経っているので、白く塗られたコンクリートの壁には所々、ひび割れが目立つ。

更衣室の入り、服を脱ぐと、肌にじかに空気が伝わって少しひんやりとする。水着は乾いていて、はくと少しパサパサとした感覚が伝わってくる。

「美紀、夏休みの予定決まった?」

隣から、夏季の声がする。

「ううん。まだ何も、家でテレビ観て、ゴロゴロするくらいかな。宿題も多いし、部活も毎日あるから、すぐに終わっちゃいそう。」

「だよねー。私もそんな感じかなぁ。ねぇ、部活のみんなとどっか遊びに行くっていうのはどう?」

夏季の突然の提案に少し驚いて、

「えっ、どこに行くの?」

と聞いた。

「そーだな。水泳部だし、ここは『海』とかどうよ。」

「うん。良いと思う。」

私の声は思ったより、小さく、低い声だった。

本当は、あんまり行きたくなかった。

すぐに、海に行ってみんなのノリについていけない自分の姿を想像してしまう。

それでもこういうときは、もっとはしゃいだ声で返事をしなければいけないのだろうと思う。

「そっか、それじゃあ、後でみんなも誘ってみるね。」

私の声とは対照的に夏季の声は弾んでいた。きっと先輩と遊ぶのもこれが最後だからだろうと思う。夏休みが終われば、先輩は引退し、秋になればプールは使われなくなる。その前に、夏季はみんなと思い出を創りたいのだろう。

彼女は元々みんなを盛り上げるのが得意だ。部の仲が険悪な雰囲気になると彼女がおどけて、みんな笑ってしまう。そして、いつの間にかいろんな問題が解決してしまうのだ。

そんな彼女のことだから、みんなすぐに海に行くというだろう。

夏季はすごいなといつも心の中で思う。

私の自慢の親友。

でもそんなことを思う時、ろくに人にも声をかけることができない私の至らなさを痛感させられ、なんだか虚しくなる。

「分かってる。どうせ私にはできないよ。」

と本当に小さなひとり言を言いながら私はゴーグルを手に取り

「先行くね。」

と夏季に言い残して、更衣室を後にした。

外に出て、。シャワーを浴びる。

7月とはいえ、やはり水に入る前のシャワーは冷たい。部のルールで、プールに入る前後は、10秒数えて汚れを洗い落とすことになっている。

「いーち、にー、さーん。」

シャワーの音と重なって自分の声がよく聞き取れない。

一体、高校に入ってから何回数を数えただろう。

そして、何が変わったというのだろうか。冷たい水を浴びながら、私は「10」まで数え終わった。

プールの方では、もうすでに練習が始まっている。

早速私も水に入って、練習に参加する。

部活に入って、いろんな泳ぎを練習したけれど、私が一番好きな泳ぎは平泳ぎだ。クロールみたいにバタバタせずに、両足をスイースイーと蹴り進むの時、なんだか落ち着いた気持ちになれるから。

学校のプールは小っちゃめで、25メートルしかないから、何回もUターンをしないといけない。一往復はすぐだけど、それでも部活が終わる頃にはクタクタになっている。

プールにはいくつかのレーンがあるが、それぞれ早く泳げる順にどこのレーンい入るかが決まる。私はあまり早く泳げない。だから、練習ゾーンといえば聞こえがいいが、要するに『下手』な人が集まる、4レーンで泳いでいる。もちろん、入部した時からレギュラーになろうと思ったことはないし、水に浸かっていることが好きだったから、このコースだからといって、特に不満があるわけではない。

悔しくないわけじゃないが、

「まぁ、別にいいか。」

と自分に言い聞かせてきた。

もちろん、夏季はレギュラーだ。中学から水泳をやっていて、泳ぐのがすすっごく速い。私は、そんな夏季に誘われて水泳部に入った。

「水の中ってね、シンとしてて、目を瞑るとまるで、広い宇宙の中でたった一人で彷徨っているような気持ちになるんだよ。」

夏季のその一言で、私は水泳部に入ることにした。なんだか、私と似ている気がした。

私はいつも練習の順番を待っている間、夏季の言ったように水に中に潜って目を瞑る。

何も聞こえない静寂の中、光さえ失われてどんどん自分の中へ落ちて行くー。

この静かな時間が好きだ。一瞬ではあるが、誰にも邪魔されず、真に私のものと言えるこの時間が。

息が続かなくなって、顔を上げる。水しぶきの音、生徒の騒ぎ声、ホイッスルのピーと鳴る音が一度に押し寄せてくる。そしてその度に慌ただしい現実が目の前に向かってくる。

横を向くと、泳いでいる夏季が遠目に見える。

夏季が泳いでいるのは、1レーン。1レーンで泳いでいるのは、ほとんど3年生と2粘性で泳いでいるのはレギュラーの人だけだ。だから夏季は私があまり喋ったことのない3年生とも顔なじみでよく話している。可愛くて明るい彼女は先輩にも人気だった。

「ピッピッピーーー」

気づくと、練習の終わりを告げる長いホイッスルの音が鳴っていた。プールから上がり、目を洗ってシャワーを浴びる。体が冷えて爪の色は少し白くなっていた。

更衣室に戻る途中、夏季が声をかけてきて

「さっき先輩たち誘ってみたんだけど、みんな行けそうだって。詳しいことはまた後から決めることになったから。」と言った。

「あ、うん。よかったね。皆で海行くことないから、私も楽しみだよ。」

「そうだよね。バナナボートとBBQやりたいんだ!」

と夏季は笑いながら、言った。

ーーーーーーーーーーーーーー

修業式が終わって、夏休みがやってきた。夏休みといっても、水泳部練習が平日にはほとんど毎日あり、実際には夏休みに入ってからの方が忙しいくら位だった。

今日も朝早く起きて練習に行く。練習は9時ごろから始まるけど、私は少し早めに家を出て学校まで歩いて行く。普段は自転車を使うが、夏の朝をゆっくりと歩くことが何か新鮮で、途中でみる並木の景色やビルの陰、通勤する人々を眺めるのがちょっとした楽しみになっていた。

学校までは、歩いて30分くらいだけど、朝といっても、夏だから、ずっと歩いていると汗ばんでくる。

学校への最後の角を曲がった時、夏季の姿が見えた。

「夏季ー」

そう、叫ぼうとした時、夏季が横川先輩と一緒に歩いて行るのが見えた。

一瞬、心臓がどきっとする。二人は楽しそうに話しながら歩いていた。声をかけようか迷ったが、一体何を言えば良いのだろうか。そう思うと、私は無意識のうちに歩調を落としていて、気づくと二人は校門の中へ消えていた。

私は、二人との距離が不自然にならないように、しばらく立ち止まって上を見上げた。

空はどこまでも青くて白い雲が浮かぶ。透き通るようなあの空が、今の私の目には憎く映る。でも、空は青すぎて私にはどうすることもできない。あの二人にはこの空がどんな風に見えるのだろう。

しばらくして私はまた歩き始めた。取り残されたというわけじゃないかもしれないけど、二人のあとを追うのはどこか寂しい。プールに向かう足取りが重くなる。今朝はあんなに綺麗だった世界はいつの間にかしぼんでしまっていてサンダルを履いた足は、早くも家へと帰りたがっている。

更衣室に入ったが、来ていたのは夏季だけだった。ちょうど着替え終わった夏季が

「あっ、美紀、おはよう。」

と大きな声で言ってきた。

その声を聞いて私は少し安心する。私はここに居ても良いんだとー。

「おはよう、夏季。今日は早いね。」

「うん。今日はちょっと早めに起きてみたんだ。そしたら、途中で横川先輩に会ってね、一緒にきたんだよ。」

夏季は嬉しそうに先輩の話をする。

「先輩ってかっこいいよね。背も高いし、泳ぐの速いし、面白いし。」

「そうだね。」

と夏季の返事をしながら、先輩とろくに話したこともないことを思い出す。

夏季の住んでいる世界と私の住んでいる世界は違う。私には黒く濁ったようにしか見えないこの世界も、彼女の目にはもっと華やかに映るのだろう。

そして、そのことを彼女には伝えることができない自分を、またもどかしく思った。

高校に入るまでは、自分はもっと価値のある人間かと思っていた。中学の時は普通の学生生活を送っていたし、騒いでいる男子とかがいれば、お子様ねって困った顔をしていたらそれで済んだ。女子の友達とは適当に話を合わせてこれたし、あまり「楽しい人」じゃなかったけれど、それで私は楽しかったんだ。

でも、高校に入って、クラスには顔なじみの人はいなくなった。自分が人見知りだって気づいたのは、ちょうどその頃。私がどんな人にでも簡単に心を開けないせいか、気づいたら、なんか浮いていた。夏季がいてくれたから、そのお陰で話す人は増えたけど、きっと私は夏季のおまけみたいなもん。他の人にはおまけなんて、付いていてもいなくても大して変わりはないんだ。

夏季は先輩の話をしたあと

「そう言えばいよいよ明日だね『海』。朝7時に駅前に集合だから、寝坊したらダメだよ。」

と言い残して、プールに行ってしまった。

誰もいなくなった更衣室で、明日のことについて考える。水泳部で特に仲のいい同級生は夏季以外にはいない。そんな夏季も明日はきっと先輩と一緒に遊ぶだろう。

どうやって時間を潰そう。漠然とそんな不安が襲ってくる。みんなで、海なんかに行くよりは、このジメジメとした更衣室の中で、ツーンとした想いを抱えて時間を過ごすことの方がどんなに気が楽だろう。

頭の中がまた落ち着かなくなってくる。

水に入って忘れたい。そう思って私は更衣室を後にした。

微妙な気分を抱えた練習はなんだかすっきりしなかった。モヤモヤとした何かが、体にまとわりついてくるみたいに泳ぎにくい。

間隔を知らせる白い ライン の距離がいつにもまして広がっているような気がした。それでも明日のことを考えるよりは体を動かす方がとっても楽だった。

「ピーッ。」

練習の終わりの合図の笛。

いつも嬉しいはずなのに、今日はその音を聞きたくはなかった。

水から上がり、シャワーを浴びに行く先に浴びに行く。先に浴びている夏美の姿が目に入ったが、なんだか、彼女と先輩たちが一緒にいるのを見るのが辛くて、目線を外した。


こんなことをする自分が卑屈に思えて、嫌だった。


夏季があんなに頑張って予定を立てて、私まで誘ってくれたのに・・・。でも結局私にはどうすることも出来ずただ歩調を落として、歩くしかなかった。

その後、私は夏季と顔合わせるのが億劫で、シャワーを浴びて、更衣室に入り、できるだけ早く着替え、プールを後にした。

私は何かから逃れるように家を目指していた。なんだか泣いてしまいたいような気分だった。

「あっ。」

といって立ち止まる。そういえば、明日持って行くサンダルをプールに忘れてきた。せっかく急いで来た道をまた戻らなければならない。




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