見出し画像

【人生クッキング #008】言語化するマジック

こんにちは、ひろげとんです。
いきなりタイトルが変わっていてびっくりした方もいますが、これがスタートアップならではです。
色々考えてこの名前の方が良いだろと思いまして変更しました。
「人生は十人十色で、それはまるで多種多様な料理の様である」というコンセプトであり、そういった意味付けから生まれたタイトルです。
以上を持って全記事のタイトルの変更と今後からこのタイトルで行いますのでよろしくお願いします。

今日のトピックは「言語化」についてです。
ぜひ見ていただけると大変励みになります。
では、長くなりましたがさっそく本題に入らせていただきます。
(前回の記事は文末に載せています。)

1. 理論度と抽象度の交差点

皆さん、言語化にどういう意味があるか考えたことはありますか?
単純に言語にすることでしょ?とか、言葉にする能力のことじゃないの?とか、それこそ多種多様な考察があると思います。
おおよその意味は間違っていないです。Weblioの実用日本語表現辞典では…

【言語化】
言葉で表現することであり、感情や直感的なものを説明・伝達可能にすること。

https://www.weblio.jp/content/言語化

と書いてあります通り、基本的に人間は相手と意思疎通をする際に大半は
感情や直感に働きかける動物であることから、それを理論的に再構築するには「説明する」という身体動作が必要です。
では、果たしてそれだけなのか?
僕は「言語化というのは論理的に説明することであり、それは再構築すること」という上記した意味に加えて、「論理的に説明するというのは数学的な解釈と近似値であるが、理解されるためには論理のみではない、つまり抽象化することが言語化の本質である」と考察している。もっと分かりやすく言うと、「敢えて感情や直感に働きかけたまま説明を省く」という行為が実は本質なのでは?と考えている。それは昨今で言う " 深堀り " という表現なのだろう。

2. 言葉を紡ぐ行為は素粒子分解である

ここで「は?」と思われた方も多いでしょう。だって極論「言語化は言語にしないこと」と言っているようなことですから。さらに言えば、" 深堀り " という表現をしましたが、そもそも言語にしないというのなら深堀りも何もないのではという意見もあると思います。
前者から説明します。
分かりやすく例を挙げてみましょう。自分が留学したことを想定してみてください。
【留学がテーマ 以下ペルソナ】
①自身 : 大学生
②留学先 : アメリカ
③属性 : 日本人
④言語能力 : 日本語のみ(英語はほぼ話せない)
この4つの条件が満たされた状態で留学したと考えたときに、果たして何が起こるか。それは2つあります。
まず最初のフェーズは、「I can only speak Japanese.」もしくは「I don't speak English.」と現地の方に伝えるしか手段がないことです。ちなみに僕も留学経験がありますが、最初は上記の状態でした。
あとは想像に難くないはずです。
2つ目のフェーズはそう、ジェスチャーに移ることです。最初のフェーズで会話が終了してしまったのならコミュニケーションが取れず最悪孤独になります。だから分からないなりに必死にジェスチャーをするのです。
どうでしょうか?最初のフェーズに関してはもはやほぼ言語化とは言えないですよね。2つ目に関してはそもそも言葉を発していないです。
従って、上記に書いた極論である「言語化は言語にしないこと」に繋がるの
です。
続いて後者の説明に移ります。
これは体験していかないとなかなか伝わりづらい境地である感覚でもありますが、表面的に言語を使って言葉を紡いでいくとあるとき壁に当たります。この壁というのは、人によって様々だとは思いますが、相手からの視点だと表面的にしか話さないという時点で軽々しい人間だと思われ足元を見られがちです。僕も実際に経験しています。足元を見られると人間はカモにされます。カモにされないためにも言葉を放つ前にひたすらに思慮するのです。思慮し終わって話した後もその言葉を分解してさらに言語化できないか深く思考するのです。もしより深い言語化が可能になったときに改めて修正した内容を相手に伝えるのです。そうすることで自分が信頼に足る人物であることをサブリミナルの如く刷り込ませるのです。その結果、雨降って地が固まります。よって足元が相手に見えずらくなり見られること自体少なくなります。これはある意味自己防衛の一環であり、同時に論理武装をしていることにも繋がります。
では、これを続けているとどうなるか。もちろん、「しっかり考えている人」という認識の植え付けは可能だと思いますが、同時に非常に体力を消耗し疲れてきます。疲れは身体に響くので様々なことに影響を齎します。この頃には言語化することには少し慣れているはずですので、逆に言葉を最小限にシンプルに伝えるというフェーズに移ることができます。そうすることで疲れを緩和し、相手に分かりやすく伝わることで余裕のある人だという認識を持たせることも可能になります。一般論的には「考え方に余裕がある」というのが正しいでしょう。
少し理解していただけましたでしょうか?
では、次の話に移ります。

3. 文学歴史から紐解く

上記の内容を理解したと踏まえて次に進みますが、皆さんは言語化することは単純明快であると思いますか?という質問を投げかけたいと思います。
答えはもちろん人それぞれだと思いますが、僕ははっきり「単純明快ではない」と思っています。ブログを書いているので余計そう感じる部分は多いと思いますが、論理的に説明する必要性が前提にあるので、論理的思考が苦手意識にある方は非常に難解だと思います。ちなみに僕も枠に外れずその1人です。説明するというのは理路整然としていなくては伝達しないので実はなかなか難しい身体動作なのです。これは日本人に苦手な傾向が強く、アメリカ人やヨーロッパ人は逆に言語化する能力は非常に長けている傾向にあるというデータからも見て取れます。
さらに言うと、そもそも言語を解体したときに日本語は熟語になった途端に1熟語で様々な意味を持たせたり、文章ベースでも例えば、夏目漱石が訳した「月が綺麗ですね」という、表面的に捉えずその内側というか本質は何か察して述べよ、という解釈が通常です。比較して英語は例えばオバマ前大統領がスピーチで述べた「Yes We Can!!」など、非常に直接的かつ情動に訴えかける文章で構成されることが多いです。長文だとしても基本的には変わらないです。本質を察しろなんて文化がないからです。
論理的思考が日本人は苦手な傾向にあるのはなぜか。もちろんアメリカやヨーロッパのように日本でいう義務教育から論文を書いたり、ディベートをしたりしていないという環境の差異が影響しているということも要素としてあるとは思いますが、そもそも言語学的な観点で日本語には論理で解釈するときにバグが起きやすいからであると考察しています。上記したように、表面で捉えず本質を理解しろというのは情動優位、つまり感情を最も大切にしているので論理で説明したいのにシンプルに伝えようと本質を考えるから感情的になってしまう、つまり論理と感情のバッティングによって脳がゲシュタルトを起こすのです。
よって日本語で論理的に説明しようとすると無理が生じてくるというのが僕の見解です。英語の方が情動優位に見えて実は理性優位(理論優先)なのです。

4. 意味の味を覚える

では逆に言語化する能力に自信がある方にお尋ねします。
「言語化する楽しさは何だと考えてますか?」
先日、ツイートした以下の文章を見てみてください。

これを見てどう思われたでしょうか?
当てはまる方も多いのではないでしょうか?
実は僕は最近までこの状態でした。いや今でも課題かも分からないです。
言語化ができるようになるとシンプルに伝えてもいいところで難解なワードを使ったり、逆に難解にした方がいいところで単純にしたり(難解にしなくてはならないところで単純にする行為は軽々しい人間だと思われる1つの要因になります)、あべこべにして読者にゲシュタルトさせるのを楽しむことに悦を感じていることが通常になってしまいます。
ここで重要なのが、言語化していく中で必ずその意味を常に理解している状態を持続させていくことです。意味が分かっているというのはつまり本質を理解していることに繋がりますので、言葉の分解と再構築も可能ですし、単純明快に伝えることも可能です。選択肢が拡張します。ここに楽しさがあり、そして言語化することの真髄であると僕は考察しています。
ですので究極、難解のままでもいいのです。敢えて難解にしたまま読者に問いかけ、でも自身は意味をしっかりと理解している、その意味をまた言語化して分かりやすく伝えることもできる…この状態が最たる理想形です。

5. さいごに

" 意味が分からなくなっている場合ではないのです。 " 意味を味が出なくなるまで噛み締めることもまた言語化の深堀りなのです。
そしてここでは深くは書きませんが、言語化することは自己の肯定に繋がり、そして自己理解、また自我の崩壊を防ぐ免疫を作成することにも繋がります。とても健康的な薬なのです。このことに関してはまた書く機会がありましたら筆を取ってみたいと思います。

6. まとめ

皆さん、どうでしたでしょうか?
「言語化の最終地点は言葉を省略すること」、とても大切な考え方ですね!

何か意見などあればコメントいただけると大変嬉しいです!
では次回のNoteもお楽しみいただければと思います!
今後とも応援よろしくお願い致します。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?