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内なる声

愛と誠と調和

私達の心の中心には愛と誠と調和があります。これは『真我』とも言われます。人生においても仕事においてもいい結果を生み出すには、ものの考え方や心の在り方が決定的な役割を果たします。人を成功に導くものは愛と誠と調和で表される心です。こうした心は私達人間が元々魂のレベルで持っているものです。

『愛』とは他人の喜びを自分の喜びとする心です。『誠』とは世の為、人の為になろう思う心。そして『調和』とは自分だけでなく周りの人々皆が常に幸せに生きる事を願う心です。これらは私達が本来持っています。

印度のヨガでは瞑想などを通じて自分の根源に迫ろうとします。目を閉じて真言を唱えつつ精神統一をしていくと意識が澄んできます。そして最終的に本当の自分にたどり着きます。その状態を『真我に至る』といいます。

『自分が実在している』という事だけは覚めた意識で実感しているけれど、その他の全ての意識が消えてしまって、ただ存在するとしか言いようのない感覚にたどり着きます。

仏教では『山川草木 悉皆成仏(シッカイジョウブツ)』と言い、山も川も草も木も全てことごとく仏であると教えます。これについては子供の頃お婆ちゃんから『ご飯粒一つにも仏が宿る』と教わりました。

ところが私達は愛と誠と調和に満ちた魂を持っていると同時に肉体を持っています。この肉体を維持する為に我々は食物を通じて栄養を取り続ける事が必要です。また食料が無ければ、他人から奪ってでも自分の肉体を守ろうとする欲望さえ持っています。

元々人間の本質は真我と言う愛と誠と調和に満ちた美しいものであるはずなのですが、肉体をまとっていますから、最初は肉体から発する欲望が表に出てきてしまいます。

そこで幸せに生きるには勇気をもってこの魂の外側を覆っている欲望を少しでも抑えて自分の本質である愛と誠と調和が表に出てくる様にしなければいけません。そうする事で常に自分を高めて全ての物を生かそうとする宇宙の意志や宇宙の心と調和させる事ができます。

内なる声

内なる声とはその人の心の中にある知恵の泉の様なものです。言うなれば真我からの導きの言葉です。しかしその声を聞く技術は簡単には身に付きません。先ず自分の中にある直感やかすかな感情に気付く事から取り組まねばなりません。内なる声は静かな声です。聞き取るには集中力が要ります。

内なる声は良心とも言い換える事ができます。人は誰でも何か間違った事をしてしまった時には心の奥底で気付いているものです。自分ではいくら言い訳をしたとしても『謝らなければならない』『軌道修正しなければならない』という事は分かっているものです。

『これをするのは正しいだろうか』何か行動を起こす前に先ず自分の内なる声に聴いてみましょう。そして反応を注意深く観察しましょう。内なる声に耳を傾けられるようになると、それが役に立つ事かどうかが分かります。行動を起こす前に、それが正しいのか、それとも間違っているのか教えてくれるからです。

内なる声とは思考や感情の事ではありません。もっと胸の奥深くにある静かで落ち着いた声です。内なる声は全く話さない事も多い。それが思考や感情と違うところです。思考や感情は引っ切り無しに何かをまくしたてます。だから内なる小さな声が何かを話していても、もしかしたら考えの奔流にかき消されてしまうかもしれません。

あなたは既に知るべき答えを知っています。それはただ自分に尋ねればいいだけなのです。

旦那

私達は優しくされたい。大事にされたい。必要とされたい。と思って生きています。恋人や家族から優しくされたらとても嬉しくなり幸福と感じます。家族や友人から必要とされると『頑張るぞ』と生きる勇気が湧いてきます。ではどうしたら優しくされ、大切にされる自分になれるのでしょう。

時代や国を問わず優しくしてもらえる自分になる方法をお釈迦様は『布施』と教えています。布施とは古代インド語の与えるという意味の『ダーナ』の中国語訳です。そしてダーナを音写したものが『旦那』です。

旦那は元々『与える人』という意味です。布施とは思いやりの心で周りの人に何かを与える事をいいます。お金や物が無くて困っている人、お金や物にはそれほど困っていなくても優しさに飢えている人、失敗続きで落ち込んでいる人、悩みを聞いてもらいたいと思っている人、元気をなくしている人はたくさんいます。

お釈迦様は『思いやりの気持ちでお金や物、笑顔や優しい言葉など、ちょっとした事でもいいので、あなたができる事を与えてみなさい』と教えています。思いやりの心や優しさで接すれば相手からも思いやりや優しさが返ってきます。自分勝手に振舞えば、誰もあなたをかまってくれなくなります。

あなたが周りに取った態度がそのまま周りのあなたへの態度になって帰ってくるものです。

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