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2月ですね。

2月ですね。1月の制作は、P20号が4点でした。すべて鈴木春信を元にした作品です。微妙に試行錯誤をしながら制作しています。現在CASで開催中のパイロットプラント展に出品している小品が、そのスタイルの第一作です。

 さて、直近のトピックは特に無いので、思いついたことを記します(かなり妄想が入っていますが)。

 僕は制作のBGMとしてクラシック音楽をよく聴きます。ただし、時代で言えば、新しいものはラフマニノフ(20世紀前半)ぐらいまでです。ストラヴィンスキーやプロコフィエフは、BGMとして聴くには、僕にとって新し過ぎます。

 音楽の歴史は、20世紀になって、表現の可能性が追求されて先鋭化し、その結果として、ルネサンス、バロックから続く、多くの人が楽しむジャンルとしての音楽は、ほぼ消滅しました。そこに居るはずだった作曲家は今、ジャズ、ポップス、映画音楽などで活躍していると思います。

 で、それを美術に置き換えてみると、美術はコンセプチュアルアート辺りで、一度消滅したと言えるのでしょうか。そして、そこに居た才能は周辺に散らばって行った……と思いきや、現代美術は健在です。音楽との違いは、マーケットと美術館の存在でしょうか。

 現代美術作品が初めてオークションに出品されたのは1973年です。印象派以前の物故作家の作品が、市場で供給不足になり、作品供給に困らない現存作家の作品を、新たに扱い始めたのがきっかけです。

 では一方、マーケットと相性の悪いタイプの作品は、美術館の存在によって守られなければ消滅しかねない存在なのでしょうか。しかし、美術館が守るということは、歴史化、体系化するという意味なので、そんな柔な話ではないですよね。

 ただ、もしかしたら、後世から見て、やはり美術は、20世紀で終わっていたと結論づけられる可能性もあるような気がします。風の谷のナウシカの世界のように、われわれは古い世界の終わりにしがみついて生きているのかも。

 ということは、本物の才能は建築やデザインやその他、美術以外の表現の中にいると考えるのも、悪くないのかも。美の概念が確立していなかった時代に、ダヴィンチやミケランジェロが、絵画、彫刻から、建築、ファッションデザイン、兵器の設計まで、様々な分野で才能を発揮した時代に近いとも思えるので。

#アートの思考過程

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