僕たちが食べたものでできているなら。
僕たちは食べたものでできている。
このことに違和感を感じる人は少ないのではないでしょうか。
だからといって、身体にいいものを食べようと言いたいわけではありません。
自分とは?を考えるきっかけになるなあと思ったわけです。
まず、今ある細胞が新しい細胞に生まれ変わるのにかかる期間は、骨は3ヶ月、筋肉は2ヶ月、血液で4ヶ月と言われています。
ということは、1年後の自分はもう今の自分の部分はほとんどないわけで、その新しくなった細胞はその間に食べたものが原料になっているはずです。
ということは、新しくなった自分は自分以外のモノからできていると言っても過言ではないですよね。
つまり、自分は自分以外のモノからできている。ってことです。
じゃあ、今ここにいる自分ってなんだろう?
確かに今ここにいるのは自分だという実感はあるし、この文字を入力している手も自分の手だと思っています。
しんめいPさんは著書『自分なんて、ないから。教養としての東洋哲学』の中で、昨日食べたファミチキも今の自分の一部になっているはずと書かれていた。
お釈迦さんは言われたらしい。
「自分なんてないから(諸法無我)。そして、自分なんてないのに、自分(我)にこだわるから苦しいんだよ」と。
だからといって、凡人の自分にとって今、ハッキリと感じる自分がないなんて全く思えない。
ただ、瞑想すると自分というものがボヤけてくるような実感は確かにあって、その結果スッキリとする気がする。
僕たちは食べたものでできているってことは、自分は自分以外のモノからできているってことになるなぁと納得せざると得ないなあと思うのです。
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