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第二話 インド2

今回の滞在予定はちょうど3週間。「滞在費をできるだけ節約しながら30名程度の取材ができたら」などと目論んでいたのは、あまりにも甘かったのです。咳き込みながら、風邪の引きはじめのような、ぼんやりする頭で街をうろつきます。気温と湿度が高い中では温水の中を泳ぐようで、とても取材の申し込みをするわけにはいかなそうでした。忙しそうに仕事をしている人たちを眺めていると、とても取り合ってもらえないように感じられてしまうのです。「このまま取材のひとつもできずに帰ることもあるのだろうか」と、つい情けないことを考えてしまします。

インドから取材をスタートして、365人の仕事に関する素朴なメディアを作る。これが僕のライフワーク、というよりは思いつきと言った方が正確の、ささやかな主題でした。そのような旅にとって、観光地を巡ったり、息を呑むような景色に出会うための進路を取ることはあまり意味がないものです。しかし、だからと言って、ただの思いつきをいきなりインドで試すこともないと言いたくなるでしょう。ほら言わんこっちゃない、と。

それでも僕には、初めての取材の場所はインドの他にないように思えました。それは、かつて旅をしたことのある土地の中で、どの面においても苦い思いをした、そのはっきりとした印象があったからです。それは例えば食あたりによる激しい下痢です。昼夜を問わずきっかり2時間おきに繰り返される悪夢には、インド入国から1週間半ほどで毎回取り憑かれてしまうのです。

そして、不衛生な環境で罹る風邪。例えば宿のエアコンがカビていたり、寝具やタオルが汚かったりと、少しでも体調を崩すようなことがあれば、あっという間に細菌の餌食になってしまいます。観光を目的に来ただけでも、訪れる度に痛い目にあったインド。ここで取材を経験できれば、他のどの土地でも「やってやれないことはない」という自信を手にできるのではないか。僕が迷わずインド行きの飛行機に乗ったのは、安直ではありますが、そのように考えた結果でした。

ところが、この3日間で全く前向きな印象を持てなかった僕は、「タミル語を解さない外国人が取材なんてそもそも」「どうせ都会人は冷たいだろうし」などと、さっそくの言い訳を並べ立てて、宿の近くの茶店でスプライトの瓶を傾けていました。

冷たいスプライトの瓶はあっという間に結露だらけになってテーブルを濡らし、そしてあっという間に温くなっていきます。そのまましばらくうなだれた後、「いっそ街を変えようか」と思い至りました。エグモアという街が取材に向いていなかったというのではありません。単に体調不良が招いた弱気と、街の第一印象がなんとなく気に入らなかった。どれもタイミングが悪く、いまいち気分が乗らなかったというだけのことだったのです。

でも、一度その考えに取り憑かれると、なんだかこの機を逃してはいけないような気がして、さっさと勘定をすませると、宿へ荷物を取りに引き返し、足早に鉄道駅へ向かったのでした。「こんなところで一体何をしているんだろう」と挫けかけていた僕は、まだ動けるうちに負のサイクルからの脱出を試みようとしていたのだと思います。

エグモアの鉄道駅。この駅は、打って変わって全てが使い古されていました。紙の切符も並んで買いました。自動改札はなく、乗客の出入りをチェックしている駅員もいません。通勤や買い出し、遊びに出る人でごった返したホームで待つ間、この旅で初めて地元の人々の顔をマジマジと見る機会を得たように思います。彼らは僕を外国人であると認めると、若い人たちは特に、好奇の眼差しをもって笑いかけてくれるのでした。

使い古された車両、どの窓もドアも開けっ放しのままゆっくり走るインドの鉄道。流れる風景を眺めながら風に当たっていると、僕がなんとなく知っていたインドの世界に入れたようで、変にホッとしたのです。しばらく揺られながら、どの駅で降りようか、きっかけを探していると、英語で駅名の書かれた標識が目に飛び込んできました。
チェンナイ・ビーチ駅。僕がこの駅ですぐ降りることを決めたのは、ビーチという駅名に魅かれたというだけの理由です。

「浜辺が近いのだろうか」
「取材が本当に難しかったら、全部放擲してビーチで甲羅干しをすればいい。それだけでも元が取れるじゃないか」

三日目にして既に弱った心と体は、数日前インド行きの飛行機に乗った頃の志をもう忘れかけていました。
そして、偶然に降り立ったその駅こそ、僕が2週間の滞在の間に初の取材を敢行する拠点の街、旧市街ジョージ・タウンの最寄駅だったのです。

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