【第50話】 ミランダ教会のローソク売り🇵🇭
この日、中華街での取材を済ませて夕暮れに教会を通りかかった時、懐かしいなと思った。カトリック系の高校を卒業してから一度も立ち寄ったことはなかったが、日本の神社や寺にふらっと入ったときのような親しみがあった。まさか教会内の神父をカメラで追い回すわけにはいかないと思ったが、辺りにはローソクを商うおばさんがちらほらと見えた。この人たちなら誰か一人くらい。そう思った。
教会とローソクを前にして心は妙に落ち着いていて、変な緊張もなかった。「すいません、この国で仕事の取材をして回っている者ですが、今ちょっとよろしいでしょうか」声をかけた。
おばさんは恥ずかしがったが、嫌だとは言わなかった。穏やかな人だなと思った。それはこのおばさんに限らず、この国の人全般に言えることかもしれなかった。
祈りに来た人や通行人にカメラを向けるのは気が引けたが、あちこちからおばさんを撮ろうとして、結局、彼らの心の静寂を奪ってしまっていたかもしれない。自分だったらどう感じただろう。
ローソクの火は見ている者をいつまでも惹きつける。みな何を祈ったのか。自分は何を祈っていたのだろう。取材を終えて宿へ戻るとき、来てよかったなと思った。
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