見出し画像

第二話 インド6

鳥占いは初めてでした。そもそもそれまで僕は占い自体に縁が無かったのです。ですから、今回の出合いはタイミングが良かったのかもしれません。

マリーナ・ビーチの砂浜には海を眺めるために多くの人が腰を下ろしていました。陽射しを避けるために、無造作に放置された屋台の影に座っていたお婆さんもその一人、だと思ったのです。僕がウロウロしていたのをどれくらい見ていたのか。たまたま目が合うと「こちらへおいで」とでも言うように手招きするので、それに応じて側へ寄っていきます。そして開口一番、「お前のことを占ってやる」と言うので驚かされました。聞くところによると、彼女は占いを生業にしているそうなのです。

互いの母国語も使えず、僕の何を占うというのか。いつもの海外歩きなら迷わず断るところです。でも今回は少し考えた末に、交渉を経て、占ってもらうついでにお婆さんを簡単に取材するということで話がまとまりました。

料金交渉の際に彼女が覗かせた欲深さや、口元に湛えるシワの寄った笑みはいかにも胡散臭そうで、占い師の漂わせるべきペテンの雰囲気そのものです。ときおり凄んだ表情で僕をなんとか説得しようとする彼女の顔には、醜さを隠そうとして塗りすぎた、厚化粧の滑稽さのようなものが感じられました。

その占い師とのやり取りで妙な冷静さを保てた僕は落ち着いて準備を済ませ、カメラを向けて合図を送ります。紫色のサリーを纏った老婆は軽く頷いてから、何やら呪文のようなものを唱え始めました。すると、オウムがタロットの束の中から一枚を咥えて取り出し、主人はそれを手に何事か読み上げながら、今度は僕の手を取って木の棒でさすり始めたのです。

その様子をカメラのディスプレイ越しにどこか他人事のように眺めながら、僕はこのような一つ一つの出会いとやり取りが確かに自分の身に起きているという、自覚と現実感の無さが奇妙に同居する不思議な感覚を味わっていました。

そして次の瞬間、かつて大学を卒業し、あるベンチャーで働いていたときのことを脈絡もなく思い出したのです。それはもう、10年も前のことでした。

「こんなことを毎日やるくらいならカネなんて要らないから他のことをしていたいよ」

一攫千金を夢見て入った五反田のベンチャー企業。オフィスビルの一室で朝から晩まで受話器を抱えてテレアポをしていたある日のこと。それは僕が隣の同僚に向かって言った、ありのままの気持ちでした。

「仕事楽しいですか、なんて聞いて回わりながら異国をほっつき歩く姿を、当時想像できたかな」

老婆にカメラを向けたまま、僕はどこか上の空でそんなことを考えていました。

「他のことをしていたいよ」とは言っても、その「他のこと」が何を指すのかは言えなかった当時の僕には、それでもビジネスというもので成功してみたいという強いこだわりがありました。
当然、「成功したい」などと本気で考えていた当時の僕が、およそカネにはならないことをするなど考えたはずもないのです。

成功だとか強いこだわりだとか言いましたが、大学を卒業してしばらくの間、僕はアルバイトもせずにフラフラしていました。もちろん、無職を志していたのではありません。その前年の就活で、1万人を超えるエントリーの中から30名ほどしか通過できない狭き門をくぐり抜け、僕は超難関の人気企業へ内定していたのです。ところが卒業式を経て事態は全く想定外の方向へと進み、その翌週、同級生たちが入社式を迎えていた頃、僕はいつもの自分の部屋で一人虚ろにうなだれていたのでした。留年、内定取消。それまで人生のターニングポイントを卒なくこなしてきたはずの僕は、その結末をなかなか消化できずに、しばらくの間、悶々として過ごすことになったのです。

結局、もう一度自分を奮い立たせて就活に向き合うことができなかった僕は、その翌年に卒業を迎えて無職となったのでした。

「こんなところで何をしているんだろう」

振り返ってみれば、目が覚めても横たわったまま、天井を見つめて心の中でそのように呟いたのは、この頃が初めてだったかもしれません。

それは『就活で人生の勝ち組に入る』という物語、もっと言えば、『あらゆる努力は報われる』という物語が剥がれ落ちたことによって浮かんだ、素朴な疑問であり、縋っていた指針を失ったことによる虚無の表れでもありました。

そして、その後の僕は、その素朴な疑問「こんなところで何をしているんだろう」の答えを見出すたびに確信と衝動で行動を起こし、それが上手くいかなくなるたびに必死で虚脱感を埋めようとして『ある物語』に自らを埋没させていくのでした。

「自分の好きなことをやって幸せになろう」
「一生打ち込める自分のライフワークに就こう」

そのように考え、いくつもの職場を経て、なんとか夢の仕事を掴もうと模索した20代の日々。このインドへの旅立ちは、その苦悩の日々の集大成になるはずだったのです。

でも、出発を決意したとき、僕は気づけなかったのです。「ついにわかった」と絶対の確信をもってこのようにインドへやって来たのは、僕が過去の10年間に何度も何度も繰り返してきた「ライフワーク探し」と、発想においても、動機においても、どれを取ってもまるっきり同じであったということに。

宿へ戻る道をトゥクトゥクに揺られながら、その日も1人撮れたという達成感で安堵の息をつきました。カメラを抱えて人の話を聞いて回るという自分像にどこか悦に入っていた僕は、そのことに気づいているはずもなかったのです。

その翌日、チェンナイからバンガロールへ向かう列車に乗り込んだとき、僕は確かに、「これでライフワークの入り口に立てた」「これで悩みの日々から解放されるんだ」と、自らを祝福さえしていたのですから。

迷える人を巧みに誘い出し、占いという物語を信じ込ませるペテン師。僕は長いこと、自らを欺くペテン師であったことに、この時点ではどうしても気づくことができなかったのでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?