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江戸時代から続く埼玉県の迫力満点の『脚折雨乞』をご紹介♪♪

こんにちは。
田中裕子(たなか ひろこ)です。

前回は地元のお祭り、『高倉獅子舞』をご紹介させていただきました♪♪

地元特有のお祭りってありますよねぇ〜!
私の中の獅子舞はこの形のイメージですが、一般的な獅子舞は1人は頭を動かして、1人は体を動かすといった2人組で動かす獅子舞のイメージが強いのではないでしょうか!?!?

こんな感じ↓

倉敷観光より

その土地独自の形になって伝わっているのも興味深いです!!

そして、今回は日本でもきっと珍しい!!
【雨乞い】祭りについてご紹介したいと思います!!

脚折雨乞(すねおりあまごい)

鶴ヶ島市公式HPより
脚折雨乞は国選択無形民俗文化財、市指定無形文化財に指定される江戸時代から継承されてきた行事です。

脚折雨乞の特徴は、長さ36メートル、重さ約3トンもある「龍蛇(りゅうだ)」を作って雨乞いを行うことです。龍蛇は、白鬚神社前で麦わらと孟宗竹、荒縄によって作られます。雨乞行事当日、出発前の入魂の儀により「龍神」となります。この巨大な龍神を、300人の男たちが雷電池(かんだちがいけ)までの約2キロメートルを担いで練り歩きます。

雷電池に到着すると、龍神を池に入れて、「雨降れたんじゃく、ここに懸かれ黒雲」と必死に叫び雨乞を行います。雨乞行事は、池の中でクライマックスに達します。最後の龍神の解体時、頭部に付けられた金色の宝珠を、若者が我先にと競って奪い合う様は、非常に豪快で見る者も圧倒されます。
鶴ヶ島市公式HPより

今では4年に1度オリンピックの年に開催されていました!!
白鬚神社という神社から雷電池(がんだちがいけ)へ、練り歩き池に入っていく姿はとても迫力満点です!!

伝承

「昔から日照りのとき、脚折の雷電池(かんだちがいけ)のほとりにある脚折雷電社(らいでんしゃ)の前で雨乞いを祈願すると、必ず雨が降った。特に安永・天明(1772~1789)の頃には、その効験はあらたかで近隣の人の知るところであった。 しかし、天保(1830~1844)の頃には、いくら雨を祈ってもほとんどおしるしがなくなってしまった。
それは、雷電池には昔、大蛇がすんでいたが、寛永(1624~1644)の頃、この池を縮めて田としたため、大蛇はいつしか上州板倉(群馬県板倉町)にある雷電の池に移ってしまった。そのため雨乞いをしても、雨が降らなかった。」
鶴ヶ島市公式HPより

こんな昔のことが今も残っている。
場所としてもきちんと現代に受け継がれていると思うとタイムスリップした気分になります!

近年は新型コロナウィルスの影響で開催中止のお祭りなどが多く、脚折雨乞も中止となっていました。
少し落ち着いてきたので是非、伝統を後世へときちんと受け継いでいきたいです!!

実家からも近いので開催日には是非、足を運んでみようと思います!!

では、また〜

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