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無宗教だった俺がクリスチャンになるまで5

written by wattle🌼

ちょっとまた話を小学生時代に戻します。

■ おじいちゃんのこと

俺のおじいちゃんは俺が生まれた頃から病気のためにほぼ寝たきりで、俺の住んでいた県の隣の隣の県に、介護をするおばあちゃんと二人で暮らしていた。そんなわけで、俺の家族は毎週末、車に乗っておじいちゃんの面倒を見に行っていた。

この週末の日々が俺に与えた影響は計り知れないものがあり、気づく限りで色々書いてみたいと思います。

■ 移動時間

おじいちゃんの家までは、高速に乗って片道約2時間くらいかかった。そして、親父が仕事が終わった金曜日の夜か土曜に出発して、帰ってくるのは日曜日の夜中。
この車での往復2時間ずつの移動は、小学生の自分にはどうにも暇つぶしの扱いが難しいものだった

携帯ゲームをやろうとすれば母親から「暗くて目が悪くなるからやめなさい」と言われ、漫画や本を読もうにもやはり(夜は)暗くて読めない。
小学生の子どもが2時間車中で過ごすのは、なかなか苦しいものだった。

とはいえうまく暇つぶしできてる時ももちろんあった。

まずは、音楽。車の中では親父か母親のお気に入りのCDがよく流れていた。サザンオールスターズは親父が大好きで、何回聴いたかわからないほど繰り返し聴いた。有名どころのミュージシャンのCDしか我が家にはなかったけど、車の中でひたすら音楽に浸かった日々は、後に楽器を手にしてバンドを始める下地になっていたような気がする。

あとは運転中の親父との会話。今思えば、移動中の車の中が一番親父と話をしていた貴重な時間だったのかもしれない。兄ちゃんとマグネットのオセロや将棋をやっていたときもあった。


...けれど、そんな暇つぶしにもやがて飽きが来る。何もやることがないとき、ただ唯一残された道は、車の窓から外の景色を眺めてぼんやりすることだけだった。日中は雲のかたちを、夜は高速のオレンジのランプが流れていくのを、ただじーっと目で追いかける。「ヒマだなぁ。。おもしろいテレビは見逃しちゃうし。今ごろ友達たちは遊んだりしてるんだろーな。なんで俺だけこんな窮屈なんだ。。。」(まだカーナビが無かった時代の話…)

■ おじいちゃんとの思い出

さて、おじいちゃんの家に着くと、大半の時間、俺はおじいちゃんの寝室で、寝たきりのおじいちゃんの横にあるテレビでゲームをして過ごしていた。(小学生の頃、時代はスーファミやプレステの全盛期だった。もっと小さい頃には兄ちゃんとわちゃわちゃ遊んだりしていたけど。)

俺の親も、子どもの土日をある意味奪って連れてきていることの申し訳無さがあったのかなと今となっては思うが、この時ばかりは一日中ゲームをしていても全然怒られなかった。

さて、おじいちゃんは寝たきりなので、何か困り事があるとまず横にいる俺が呼ばれることになる

例えばコレ。

いわゆる「くすりのみ」ですが、おじいちゃんはこれを使って横になったまま水分補給をしていた。俺も小学生になった頃には、これでおじいちゃんに水を飲ませてあげたりしていた。

その他、オムツに用を足した後に交換のためにおばあちゃんを呼びにいくのも俺の役目となった。(さすがにオムツ交換まではやったことはなかったです。。)
大きい方の処理をした後、おばあちゃんはシュシューっと臭い消しスプレーを寝室に振りかける。おじいちゃんのそっちの臭いとフローラルなスプレーの匂いが合体すると、これはまたある種独特な香りになるわけですが、その香りに包まれながら、俺は再びコントローラーを手に取るのであった。

「くさいから臭い消えるまで外で遊んでくるわー」なんて言ったらおじいちゃんがかわいそうだし、俺が居やすいようにスプレーをしてくれているおばあちゃんの優しさも、子どもながらに分かっていたので、「これは引き続きゲームをやり続けるのが一番だな(ちょっと臭うけども)」と思って、引き続きゲームをやり続けていた。

後は、居間にご飯を食べに移動するときに、ゆっくりと杖を使って歩くのを支えてあげたり。


...そんなこんなで日曜の夕方を迎えると、俺の家族はまた2時間かけての帰宅の途につく。

別れ際には、寝たままのおじいちゃんと手を握ってバイバイをするのが、毎回のお決まりだった。おじいちゃんはこの時いつも、おじいちゃんのマックスの力でぎゅーっと手を握ってきた。寝たきりで一人では何もできない老人の握手とは思えないほど、おじいちゃんの握手は、力強かった。大人になった今だから改めて言葉にできるけど、力強い生命力があった。

おじいちゃんは嬉しそうに笑っていた。おばあちゃんも同じように笑って俺にバイバイをした。

「来週また来てね、待ってるよー」
「うん、来週また来るねー」


...正直、おじいちゃんの家に行きたくないと思うときもあった。土日に友達と遊びたい、家族で遠くに遊びに連れてってほしい、移動時間が辛い…
でも、おじいちゃんとおばあちゃんのバイバイのことを考えると、そんなことは言葉にしちゃいけないことだな、と分かっていた。

こんなかんじの生活を、物心ついてから小学生6年生まで、ずーっと繰り返していた。

■ 振り返ってみると

振り返ってみると、この他愛のない日々は、俺に色んなものを与えてくれたように思う。

家族はただ一緒にいられるだけで嬉しいこと。
不自由な人をよく見て、察知して、手を貸してあげること。
寝たきりで一見弱々しく見えても、人には強い命があること。
我慢すること。
自分の我慢が、誰かの幸せにつながることがあること。
誰かの幸せは、実は自分の幸せでもあること。

なかなか言葉にしきれないのだけれど、おじいちゃん・おばあちゃんと触れ合う日々が、なんかそういった感覚を、俺の中にじわじわじわと醸成してくれたような気がしている。


そして。。。
たまたま通っていた幼稚園や、たまたま読んだ遠藤周作の本とかをきっかけに、偶然キリスト教に興味を持つようになった、俺。
勉強をしていくと、イエスがやろうとしていたことや考えていたこと、つまり、貧しかったり、病気だったり、差別されたりといった理由で社会の中で「小さく」されてしまっている人々。彼らにこそ私たちは学ばなくてはならないのだよと説くイエスの教えが、俺の中の記憶や思い出と、パズルのピースを組むように少しずつ、一つのものになってゆくのでした。

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