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大切なものをはっきりさせる道のり パート2

僕の体験談、続編。

 前回から、僕の体験談を投稿しております。
前回は、普通に社会に出たけど、なぜか違和感があり、人に影響を受け、きっかけを作って行ったところまででした。
今日は、現在までの道のりを投稿しようと思います。

大切なものをはっきりさせる道のり

 さて、自分が模索していくのを、「何をやるか?」から、「何のために(目的)」と、「どんな事を大切にして(価値観)」、「どうなりたいか(ゴール)」もやった方が良いのだと気づいて取り組みを始めようと!
ただ、いきなり最初っからつまづきが・・・笑
何から手をつけたら良いのか全然わからない?
またまた、分かった気になって、意気込みだけすごかったのか!?と意気消沈・・・
目的を考えるって言われても・・・ですよね。
社会に出るまで「目的」との接点は、就職で面接の「働く動機」を聞かれるくらいでしたかね〜。
しかも、目的と聞かれて思いつくのも、「生活のため」「お金を稼ぐため」とかでした。

 これは、「価値観」についても「ゴール」についても同じ傾向でした。
そんな状態に対して、人生の先輩から痛烈な一言で「使いやすい作業者になってもらうための教育しか受けてないしな」と。
かなり、強烈な一言で、凹みました。
 そんな中でも見出そうと、ビジネス書を読んでみたり、作家さんの出版記念講演会やセミナーに参加してみたりするのですが。
知識は増えるけれど、自分にとってはコレ!っていうのが定められずにいる状態が続きました。

困難だった原因

今思えば、僕にとってこの道のりが難しかった理由は、

1、考える上での質の転換とか、前提の変更が必要だった
これまで学校で勉強したこととか、社会に出てから取り組んだことって、一つの分野に特化して高めていく感覚だったのが、いきなり複数の分野にまたがって両方を満たす理想を考えないといけないという質の転換

 例えば、僕はエンジニアだったので「プログラミング」って言ったら、その言語をいかにできるようにするか?を学べば良いし、そのことだけ考えればよかった。「仕事」でもどの会社に勤めれば良いか?と企業を選ぶってことだけ考えるとか、「趣味」「家庭」などもそれぞれの分野だけに絞って、どうしたら良いのか?を決めればよかった。でも、人生ではあらゆるものが同時並行に進んでいきますし。それを前提にして、具体的な分野をどうするか?を決めていく必要がある。これは、学校でも身につけてなかった感覚でした。

2、判断基準がわからない
これまでは「手に職をつけたら良い」とか「良い成績をとりさえすれば良い」と、技術力や知識量とか客観的に判断しやすいものとか、数字で評価できるものとか、そう言った判断で良かったのですが、今回のは「自分が本当に好きかどうか」とか「本当にやりたいことなのかどうか?」とか、感覚的なことで判断しないといけなくなって、慣れないし、これと思っても客観的に確信持てないし。
3、経験値不足
ここでいう経験値というのは、世の中がどういう構造で日々運営されているか?を大まかでも良いので知らなかったことだと思います。
例えばこれは、企業のマーケティング戦略につられて重要じゃないことを意識してしまったり、買い物とかしてしまったり、世間との相対的な比較で自分を安心させたり目標を定めようとしてしまったり。
自分の人生に集中できる十分な世の中の構造の枠組みとかを知ってからは、自分に集中することも意図的にできるようになってきたなと感じます。

 この時期は、何回も何回も一喜一憂していました。
努力を重ね続けても、順調に進んでいるという実感を持てないのが続きました。
 挫けそうになりますが、このまま努力をやめたら、違和感を解消できない人生が一生続くのか?と想像すると、それは嫌だと思ってまた努力を再開するという繰り返しです。

努力した活動内容
1、人との交流
2、読書
3、興味が湧いたものは、まず取り組んでみる
4、自分の棚卸し

でした。これらについても、後々詳しく書いていこうと思います。

模索の日々。

 努力を重ね続けると、自分自身が興味持って取り組み続けるものと、興味沸いて取り組むけれどやめたものと、興味はないけれど周りの人に勧められてやってみるけどやめたものと、全く興味を持たずにやりもしないことなどと特徴が出てきました。
 この時に差し掛かると、僕個人的には、ずっと続けたいなと思うことと、これで本当に仕事として稼いでいけるのだろうか?という疑問や不安が湧いているため、今後もずっと取り組むものとして残すものを見定めるのが苦労しました。時として、気持ちが乗らない中でやらなきゃな〜で取り組もうとしていく苦労だったり、取捨選択を取り組んでいるけれど感覚で選ぶため確信を持てなくて結局絞りきれずにいたり。
こんな時に、自分の才能を特定する決め手は、周りから褒められることでした。
褒められるポイントって、褒められる僕自身としては結構、できて当たり前だったことという感覚が強かったからです。
ある種、こんなことでこれほど褒められても、煽てられてるだけかなぁ?とか、社交辞令的に言ってくれているだけなのかなぁ?とか疑問が湧いちゃうくらいでした。
それでも、冷静に見直してみると、褒められるポイントをより意識して周りの方に喜んでもらおうと頑張ると、一定以上の成果を出せることもわかってきました。
そういう体験を重ねて、だんだんと自分の強み、自分の才能の輪郭について認識できるようになってきたのです。
ところが、見えてきたその才能というのは、僕が社会人になって感じ始めた違和感が生まれる源と非常に関係が深いものでした。
言い換えると、僕は自分の持って生まれた才能の種を開花させるべく違和感を感じ始めたとも言えるものでした。
だから、才能がわかった時に感じたのは、「まさか、これだったのか!」と意表を突かれた感じだったというか、僕がずっと取り組んできた根本理由こそが僕の才能の核だったのか!と。こんな印象を受けたのでした。

決めた軸を基準にビジョンを描く過程

僕にとっての才能や、それを活かしていく動機そのものは、

才能:客観視する力、一貫した動機付けを見出す力(情熱理解力)、対話力、解決案を出す発想力、論理思考
動機(仕事の目的):個人の才能を核とするビジネス活動で成り立つ社会を作るため

というものでした。
 こうして、僕は自分が社会にどんなコンセプトで、どんなポジションで役立っていきたいのか?を特定することができました。
また、自分の才能や動機がわかってきたら、さらに人生でどんなことを大切にしながら生きていくのか?を取捨選択するのも非常にやりやすくなっていきました。
その上で、あとはどのように事業を成り立たせるのか?成長させていくのか?という事業プランニングをして、活動を始めていったわけです。
特に最初の一歩は、自分が取れるリスクの範囲内で、少しずつ試しながら改善する姿勢で行きました。
それから確信を持ててきたら、取るリスクの度合いをより大きくして行きました。
こんな形で今があります。

最後に

 今回は、僕が体験してきた、自分の人生で大切にするものを探し始めるところから、見出すところまでで感じてきたことを書きました。
実は、僕は一対一で人と語りながら話していく方が強いので、本当は読者の方と一対一で語らいながら説明したいところではあるのですが。
これからどうしようか?悩んでいる方々と同じような体験や感想を抱いて取り組んできた存在がいるということと、そのシェアから何かヒントを掴んでもらって糧にしていただけたら幸いです。


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