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すれ違う夫婦関係の📕を小説形式で書くのもありだと気づいた

糸井重里さんの雰囲気が好きで、その糸井さんが尊敬している吉本隆明さんに興味を持ち、吉本隆明さんを追っていたら娘の吉本ばななさんに行き着いた。

吉本ばななという小説家がいることは知っていたが、どんな小説家なのかは知らなかった。80年代に若くして一斉を風靡した作家だから、「蹴りたい背中」の綿屋りさみたいなイメージだった。ちなみに蹴りたい背中は読んでないし、綿屋りさがどんな作家なのかも全然知らない。おそらく今のライトノベルのようなカジュアルな作品を書く女性作家なのだろうと思っていた。

「とりあえず吉本ばなながどんな人なのか知りたい」
そう思って図書館で手にとったのがこの本だった。

どストライクだった。あまりにしっくり来たので僕の運営している呼吸の家で紹介することもあるだろうと思ってポチった。

本の内容を一言で言うとしたら「自分の心の声にしたがって生きるとはどういうことか?」だと思う。
心の声ってどういう形で現れるのか。心の声を無視するとどうなるのか。心の声に従って生きるとどうなるのか。そういったことについて吉本さんが語ったり、対談したりしながら伝えてくれている。

対談相手として出てきた宇宙マッサージの提供者・プリミ恥部という人も好印象だった。宇宙マッサージという名前もプリミ恥部という名前も怪しさ満点だけれど、対談内容を読んでいると共感できることが多かった。僕が瞑想を通して感じていることやそれ以上のことについて話している。

プリミさんがどういう世界観を持って宇宙マッサージを提供しているのかが気になったなので、この本も買った。

タイトルも装飾もヤバイ感じがプンプンする。
本屋に並んでいたら絶対に手に取らないタイプの本だけど、すでに吉本さんとの対談内容を聞いているので何のためらいもなかった。
この人の話はきっと僕に刺さるだろう。

「違うことをしないこと」を読み終えた僕は吉本さんの次の本を手にとった。

プリミ恥部さんとの対談がよかったので、選んだのは対談本だった。
相手は宮本輝。有名な作家だけど作品を読んだことはない。

しかしこの本がまた当たりだった。
吉本さんがどんな気持ちで小説を書いてきたのかが少しわかった。

印象的だったのはこの部分。

私の小説を読んでくださる読者は、世の中とうまく付き合えない、感受性の強い人が多いんですよ。自分もそうなのでよくわかりますが、社会に適応できない人や、もう何年も病院にいて世間に出られない人もいるんです。いままではそうした顧客相手に、その人たちが救われるための小商いをやれていれば、いちばん幸せと思ってやってきました。でも最近、もうちょっとあえて世の中に一歩でも踏み出せる気持ちになれるものを書いています。

宮本輝・吉本ばなな「人生の道しるべ」

「えー、そういうタイプの作家だったの!?」と思ったと同時に思ったのは、「小説っていう方法もあるんだな」ということ。

僕は今年、自分の本をつくりたいと思っている。
去年の11月なかばに思いついて2ヶ月間、自分はどんなものを書いたらいいんだろう?と模索してきた。
その結果、子供が生まれてから苦しみ続けた夫婦関係について書こうかと思うようになった。

子供が生まれるまではよかった夫婦関係が出産とともに悪くなり、気がつけば奥さんにとって大嫌いな男になってしまった自分。話したくないし、見たくもないし、同じ空間にいるのも嫌な男になってしまった自分。
話すことも行動で示すことも無効化されてしまう状態で僕が見つけた方法についての本だ。

テーマは固まってきたけど、まだ悩んでいる。
こんなプライベートなことを書いていいんだろうか?という問題。ノウハウ本になるとしたらあまりにも薄っぺらくなりそうな感じ。そもそもどんなふうに書いたらいいんだろう?ということ。
そんなふうに悩んでいた僕だったが、吉本さんの小説の書き方を知って、「小説という方法もあるんだな」と思った。

ノウハウを小説の形で書くことはこの本が爆発的にヒットしてからよく見かけるようになった。

ストーリー形式だと読みやすいし、没頭できる。
ノウハウ本は没頭できない。本の中に入っていくというより、本を外から眺めている感じがする。
ノウハウ本はわかった気になるが、自分の中に浸透していかない。小説やストーリー本は自分が体験したかのような気になるので、自分の身体の中に浸透していくような気がするのだ。
書くんだったらノウハウ本じゃなくて、ストーリー形式だと思った。

小説であれば自分目線の一人称じゃなくなる。自分をまるで他人のように仕立て上げ、三人称、第三者の目として自分を見ていくことになる。
辛かった時代が過去のものになったとはいえ、あの体験がなんだったのか完全に客観的に見ることができているとはいえない。

本にするのであれば自分があの体験をちゃんと理解している必要があると思う。人に伝わるように話すことができるということはちゃんと理解できていること。ちゃんと理解できていないと話しても相手に伝わらない。
絶望的な夫婦関係になってしまって、離婚の文字が高速回転していたあのときの僕のような人たちに希望を届けるためにも、僕自身があの体験をちゃんと理解している必要がある。
小説というフィクションにする過程で僕の理解は深くなるだろうと思う。

しかし小説は小説だ。
そんなもの書いたことがない。
自分にできるのだろうかという気持ちになりそうになる。

でも新しいことをやるときはいつもそんな感じだ。
「きっとできる」
そんな根拠なき自信を持たなければ前に進めない。
前から押し寄せてくるネガティブな流れに押し流されてしまうだろう。
ネガティブな流れが来なくするための魔法が根拠なき自信だと信じている。

「きっと俺は小説だって書ける」
まずはそう信じて数日過ごしてみようかと思った。

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