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初めてのアメリカセミナー。台風の影響で飛行機は欠航。でも渡米は決行。

チャンスは突然やってくる

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2017年の11月、京都にある私の治療院に、ジェフェリー先生というアメリカの治療家が、助手のグラチエーラと一緒に来院しました。

彼らとは、治療の後にランチを一緒にすることになり、芸妓さんや舞妓さんが行き交う通りにある、京都らしい風情のある料理屋へ。

ご飯を食べて、ちょっとした交流をしてサヨナラかと思いきや、何とジェフェリー先生から「アメリカで君の治療技術を教えるセミナーをしてくれないか?」とオファーをいただきました。

どのようなセミナーなのかというと、「SOTAI SUMMIT2」という三日間にわたる治療技術を教えるセミナーイベントがあり、最終日に登壇してくれないかということでした。

これまで私はイタリアに招致されてセミナーをしたり、海外から来日した治療家を自分の治療院で教える活動をしてきましたが、まさかアメリカでセミナーをする話が舞い込むなんて想定外。

でも、こんなチャンスは滅多にないと思い、前向きにやり取りしていくうちに、渡米の日がいよいよ近づいてきました。

渡米前日に台風21号の影響で関西空港が水没・冠水・・・。それでもアメリカへ!

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渡米する前日の2018年9月4日。

この日は台風21号の影響で、関空を結ぶ連絡橋の破損に加え、高潮による水害で関空は交通がストップし閉鎖状態になりました。

私のフライトはその翌日の便だったので、
「果たしてアメリカへ行けるのか?」と、
もうニュース速報から目を離せませんでした。

結局、日付が変わった9/5の深夜に私が乗る予定だった飛行機の欠航が確定。

嗚呼、アメリカ行きが遠くなっていくではありませんか。。。

何だか全身の力がぬけそうになりながらも、妻からの
「何をボ〜ッとしているの!逆に緊張感をださないと!!」
という言葉で気持ちを奮いたたせ、

具体的な解決策を調べるのと、
アメリカのメンバーへの連絡などで、
ほぼほぼ寝ずの番のような状態で夜を明かしました。

そしてJALの電話窓口がスタートする朝8時ピッタリに私の携帯と妻の携帯で航空会社に電話。

以外にもすんなり電話はつながり、スムーズに飛行機の振替の手続きができたのでした。

しかしまだドタバタ劇は終わりません。

振替の飛行機は18:00に成田空港発の便だったので、最終的な荷造りを急いで済ませ、10:30に京都駅到着。伊丹空港行きのバスに乗車。

めちゃくちゃ混雑している伊丹空港でのチェックイン後、13:00の国内線で羽田空港へ。

そして成田空港行きのリムジンバスに乗車し、16:30頃に成田に到着。

17:50に成田からロス行きの飛行機に乗り込み、ようやくひと段落。

と思いきやロスでは思いもよらない関所が・・・。

ロスでハプニング発生!

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何と入国審査で私一人、取り残されてしまったのです。

理由はアメリカでの滞在先の住所を書かないといけないことを知らず、住所を書き留めた紙がなく通せんぼ。

「住所を知らせてくれないとオマエは入国できない」
と審査係は一点張り。

皆がぞろぞろと入国審査を終えるのを横目に、たった私一人、無機質な部屋に取り残されてしまったのでした。

しかし幸い、入国に必要なエスタの記入項目をスクリーンショットした写真がパソコンにあることを思い出し、住所を無事記入。

強制帰国をさせられることを免れ、ロスから飛行機を乗り継ぎ、目的地のデンバー空港へ何とかたどり着くことができたのでした。

それにしても何たるタイミングなのか。
台風の大被害を関空がこうむった日は関空開設記念日だったそうですね。

実はこの日は僕の誕生日でもあるのですよ(苦笑)

そんなわけで、今までの人生史上の中でもトップクラスに印象に残る誕生日を迎え、夜7時過ぎにデンバー国際空港へ到着。

アメリカの講師メンバーと空港で合流し、ニューメキシコシティーから車で来たアーランド先生の運転で、夜のハイウェイを走り、みんなで寝泊まりするシェアハウスのあるボルダーへ向かいました。

夜闇の中でもわかる、どこまで行っても陸がつづいていそうな広大なアメリカの大地。それを窓越しから眺め、アメリカに上陸した実感を得たのでした。

ボルダーに降り立つと・・・

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無事にシェアハウスに到着し、これから一つ屋根の下で生活をともにする講師メンバー達とワインで乾杯。

旅の疲労感やら、ホッとした安心感、そしてからだの奥にまだ残っている緊張感など、混ぜこぜの感覚の中に赤ワインが沁みわたります。

そして講師メンバーと少し談笑後、就寝。
就寝と言っても、これがなかなか熟睡できません。

何せ時差が15時間もあり、疲れてはいるものの、からだはまだ起きているのですから。

そうこうしているうちに朝は来て、アメリカとの世話役をしていただいた
ブラウン先生と近所を散歩することに。

ブラウン先生はお父様が宣教師で、10代前半までは日本で過ごし渡米。

その後また来日し、日本の鍼灸学校を卒業したという異彩な経歴の持ち主で、日本語もペラペラです。

治療業界において、日米間の橋渡し的な役割を長年されていて、世界トップクラスの翻訳者、通訳者としても知られています。

ブラウン先生と英語と日本語の2つの言語で会話をしながら散歩をしているうちに、短い時間ではあるものの絆が芽生えはじめた不思議な時間でした。

こんなにも平和な時間が訪れるなんて・・・

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その後は僕を今回のセミナーに招致してくれたボルダー在住のジェフェリー先生と、先生の治療院で働いているグラチエーラ。

他にもジェフェリー先生の家に泊まっていたピーターご夫妻がシェアハウスに到着。

みんなで食事をし、セミナーの打ち合わせや治療の交換会をしました。

それにしても、こんな平和で穏やかな時間がアメリカで待っていようとは台風の日は想像もできませんでした。

渡米するとき、異種格闘技イベント「巌流島」で、54歳にして現役バリバリの菊野選手とエキシビジョンマッチを終えたばかりの平直行さんから、

「トラブルは何故か逃げないと
ラッキーに繋がるんです。」

と言うコメントをいただいたのですが、
「本当にそうなってきたな〜」
とハンバーガーを頬張りながら思ったのでした。

迷わず行けよ。行けばわかるさ

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ボルダー2日目は、晩御飯のハンバーガーとワインを味わうと、急に半端ない眠気がドッと押し寄せてきました。

この時はまだ講師陣たちとワイワイ会話を楽しんでいる最中だったのですが、もう立っていられないような眠気がたまらず現地時間の20時に就寝。

デンバーは13時間の時差に加え、滞在先は標高1623メートルもの土地で、マラソン選手が高地トレーニングに来るような土地。

さらに告白すると、実は出国前日から少し右目が腫れてきて、体調は万全でない状態でした。

となると、このとんでもない眠気の原因が時差ボケなのか、高山病なのか、疲労なのかは謎なのですが、とにかく眠い。

その後、ぐっすり朝まで眠りにつき、、、といきたいところですが、
午前3時になると目はパッチリと開いて、頭は冴えていました。

「もうこれ以上は眠れそうにないなぁ〜」
と感じたので、ゴソゴソとパソコンを取り出し、ビデオを作ったり文章を書いたりしているうちに朝の光が部屋にこぼれ落ちてきました。

さあ、この日はすでに朝から講師陣とのミーティングや事前プレゼンなどの
スケジュールが詰まっています。

さらに午後からは、かの有名なロッキー山脈に登るプランまで。

「今日は1日元気に過ごせるのか?」
「そして体調を万全の状態で3日後に控えている自分のセミナーにのぞめるのか?」

そんな不安がかすかに脳裏を横切りましたが、ここまで来たら、
「迷わず行けよ。行けばわかるさ」
の心境になっている自分がいたのでした。

同じ釜の飯エフェクト

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朝の8時にもなると、講師メンバーやスタッフがシェアハウスに集まり、皆で朝食。

この日はバイキング形式で、オートミールに好きなフルーツなどを選んでトッピング。アメリカらしいモーニングでした。

アメリカの食事といえば、大雑把で不味いイメージをお持ちの人もいると思うのですが、ここデンバーは世界初のオーガニックスーパー発祥の地。

場所もさることながら、ご一緒したメンバーも食の意識が高いので、いただいた食事はすべて美味しかったです。

朝食を終えた後は、アラスカのランディー先生が音頭をとって、全員でミーティングと事前プレゼン。

いよいよ翌日からは3日間にわたって開催される「SOTAI SUMMIT2」の1日目がスタートするので、この日が最後の全体ミーティングになります。

私も含め、前日にプレゼンをまだ終えていない講師が、どんなことを教えるのかを講師全員に説明やデモンストレーションをして共有しました。

気がつけばアメリカに到着して3日経ち、はじめて会うメンバーもいるのに、いつの間にかすっかり全員と打ち解けていました。

同じ釜の飯を食った仲とはよく言ったもんで、フレンドシップを築くのにはとても有効です。

そしてこの時間は、後からも余韻がじわじわと打ち寄せてくるような、
「本当に素晴らしい時間だったなぁ〜」
と、しみじみ思い出しながら文章を書いています。

コロラドロッキーマウンテンハイ!

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この日の午後からは、唯一アメリカ滞在中にあった観光時間。

ボルダー在住のグラチエーラに車でロッキーマウンテンへ連れて行ってもらいました。

同伴したブラウン先生いわく、ロッキーの岩は頑丈で、ポロポロと崩れないとのこと。

なるほど、でなきゃ断崖絶壁の岩肌をああは登れませんわな。

ボルダリングに興じる人を横目に、コロラドロッキーマウンテンハイを
生身で体験。

普段はわりとクールなブラウン先生は、
「やっぱり山はいいねェ〜」
と、大自然の中では童心に帰ったような無邪気な表情。

私は正直な話、車でロッキーマウンテンへ向かっているときに頭がボーッとしてきて、果たして山登りを楽しめるのか、あやうい感じがしていました。

しかし不思議なもので、ゴツゴツした自然道を歩いているうちに元気になってきて、登頂した頃にはワイワイはしゃいで皆んなで写真を撮っていたのでした。

ロッキーを登りながらブラウン先生と、先生が日本で暮らしていた頃の話や、両方の国で暮らしたからこそ感じる日本人に対する見解などをお聞きでき、とても有意義な交流ができました。

どでかいアメリカを体感

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この日の夜は、講師メンバーやイベント関係者と地元のサイダー工場が経営しているレストランで夕食。

広大な土地と空を眺望できる、いかにもアメリカらしい雰囲気のレストランでした。

ただ、ちょいと騒がしかったので、食事を終えた後はジェフェリー先生の
ご自宅でチルアウト。

アメリカ映画で観たことがあるような雰囲気で、まさにチルアウトという言葉がピッタリな、くつろげる空間でした。

仕事で海外へ行くと、その土地で暮らしている人と行動をともにするので、現地の暮らしの一コマを体験できるのがおもしろいです。

地球の丸さを感じる

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シェアハウスに戻り、お気に入りの庭へ行き空を見上げると、そこには夜空一面に星が輝いていました。

デンバーに来て感じたのは、
「ああ、地球は丸いんだな」
と、地球が丸いことが実感として自分の中に入ってきたことでした。

うっとりと満天の星を眺めていると、谷川俊太郎の「朝のリレー」という詩の

”ニューヨークの少女が
ほほえみながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は
柱頭を染める朝陽にウインクする
この地球では
いつもどこかで朝がはじまっている”

というフレーズを思い出し、
「イタリアの生徒や日本のみんなはどうしているかな」
なんてことを考えていました。

いよいよアメリカで講師デビュー!

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アメリカ西部コロラド州の北部にある人口10万の街「ボルダー」。豊かな自然に囲まれ開放的な雰囲気がただようこの街は、かの有名なロッキー山脈があり、アウトドアスポーツがとても盛んです。
 
また、健康志向な街としても知られていて、世界初のオーガニックスーパーがあったり、ロルフィングなどのボディーワークや心理療法 、エネルギーワーク、動物へのセラピー 、ヨガ、ピラティスなど、考えられるほとんどの種類のセラピーが存在するとのこと。
 
そんな土地柄なので、東洋医学を教える鍼灸学校は街中に3つもあり、私が講師として参加したSOTAI SUMMIT 2はその中の一つ「サウスウエスト鍼灸大学」で9月8日,9日,10日の3日間にわたり開催されました。

アメリカの出版社も注目のサミット!

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このサミットは、私が想像していた以上にアメリカの東洋医学の世界では注目をされていて、全米で東洋医学の本やDVDの販売、漢方薬などの物販を手がけている会社「ブルーポピー」の社員さん(鍼灸師でもある)がセミナーに参加。フェイスブックでセミナーのことを紹介していただけました。

さらに北米の東洋医学ジャーナル「NAJOM」もサミットのことを取り上げていただき、思いもよらない出来事にビックリしました。

世界トップクラスのブラウン先生と阿吽のブレス!

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SOTAI SUMMIT 2の三日目は私の講義の日で、いよいよ本番。講義をした内容は海外の治療家向けに考えたプログラムで、通常は2日間かけて教えています。
 
ところが今回は一日しか時間がなかったので、省けるところは省き、いつもよりも駆け足で講義をすすめました。

一日でこのプログラムを教えるのはこの日が初めての経験。

しかし今回はとてつもなく頼もしい相方がいます。

その相方はブラウン先生で、日本語と英語の通訳においては世界最高峰のクラス。

ブラウン先生はこれまで、鍼灸の世界では「生ける伝説」といっても過言ではない首藤 傳明先生の海外セミナーで通訳を毎回担当されたり、様々な大御所の先生方の通訳をしてきたキャリアがあります。さらに翻訳家としても一流で、日本の治療関係の本をたくさん英語に翻訳して出版をされています。

通常、私が海外でセミナーをするときは英語ですべて教えるのですが、今回はブラウン先生がいらっしゃったので、実技の詳しい説明などは日本語で話し、ブラウン先生に通訳をしていただきました。

ブラウン先生とはセミナーまで、一緒に散歩をしたり、ロッキーマウンテンを登ったり、会話もたくさんして、交流を深めてきました。

その結果、セミナーでは息が合い、通常の半分の時間でプログラムを一通り教えきることができました。

冷めることのないホットエアー

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さて、先ほどから書いているように、私のセミナーはサミットの三日目にありました。

つまり参加者は三日間も勉強し続けているので、そろそろ集中力が途切れてきてもおかしくないタイミングです。

ところがどっこい。私がセミナー中に
「誰かモデルになりたい人はいますか?」
と尋ねると、だだだ〜っと瞬く間にたくさんの手があがるあがるぅ〜。

冷めることのない参加者の熱気に、私とブラウン先生のハートに火がつきます。

気がつけばあっという間に時間が過ぎ去り、朝から夕方までの1dayセミナーが終了しました。

「もっと時間があればなぁ〜」
と私だけでなく参加者も感じたと思いますが、
参加者及び講師陣も喜んでいただけたので嬉しかったです。

また、私が登壇する前の2日間は、アメリカの医療ライセンスの更新に必要なポイントを加算できるセミナーでした。

しかし私のセミナーは特別セミナーだったので、ポイント加算の対象ではありません。

しかもセミナーの日は月曜日だったので、week endが終わり平日に突入。

それでもほとんどの参加者が残り、私のセミナーを受講してくださったので、じんわりと嬉しさがこみ上げてきました。

ボルダーの日本料理屋でしみじみと

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セミナーの後は、講師メンバーと一緒にボルダーの街中にある日本食料理屋へ行きました。

ボルダーの街はヒッピーやアートのカルチャーが盛んなためか、とてもセンスのいい色づかいの建物が多くありました。

日本人が経営する日本料理屋「SUSHI ZANMAI」に到着し、テーブルに並んだ日本料理を見ると、さよならの時がいよいよ来た感じがしてしみじみ。 

そう。気がつけば帰国は次の日で、翌朝4時にはシェアハウスを後にして空港へ向かう予定になっています。

この旅が教えてくれたこと

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私をセミナーに招致してくださったジェフェリー先生が、アメリカ最後の夕食のとき、「アメリカにどんなことを期待してやって来たのですか?」と質問があったので、
 
「せっかくいただいたチャンスだったので、とりあえず飛び込んでみました。そしてこの先、面白いことを一緒にできる仲間ができたらいいな。ただそれだけを思い渡米をしました」と答えました。
 
まぁ、台風の影響で飛行機が飛ばないやら、入国するときに審査がなかなか通らず独り部屋に取り残されるなどなど、アクシデントは多々ありましたが、それも含めて素晴らしい体験ができました。

そしてボルダーのセミナーがきっかけとなり、今年の10月にはオレゴン州のポートランドでセミナーをすることが決定。飛行機のチケットも今月予約しました。

さすがに次は飛行機が欠航というのは勘弁してほしいですが、どんな出会いが待っているのかとても楽しみです。

想定外の出来事や出会いが、人生を変えるということをこの旅で学んだのですから。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

追伸
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2度目の渡米滞在記はこちら


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