『嫌われる勇気』で学んだ「課題の分離」についての実体験


1.『嫌われる勇気』再読のキッカケ

ここ1ヶ月ちょいくらいの話です。
あまり落ち込まないのでこういう経験いままでなかったんですが、
「落ち込むってこういうことなのか」というくらい落ち込みました。
対お客様に関しては完璧にこなしていたつもりだけど、
社内業務のパフォーマンスは劇的に落ちていたはずです。

なにがあったのか…というと。
一緒に構想を練っていたメンバーの離脱です。
「よし!これからやったるぞ!」
というタイミングでのメンバー離脱。
会社設立前から色々と相談に乗ってくれていたメンバー。
とてもとても大切なメンバー。

そんなメンバーが離脱したこともあり、
「改めて人間関係に関する本を読もう」
と思ったのが本書を再読したキッカケです。

2.「相手の課題」と「自分の課題」

ぼくは嘘が嫌いで、隠し事も嫌い。
それだけはどうしても許せない、というレベルで。
特にそれが仕事に関する嘘や隠し事だと尚更。
もっと他人に甘くしないといけない、ということは理解しているけど。

一度信頼できなくなった相手を再度信頼するには時間がかかる。
それはスタートアップ企業にとって致命傷。
だからこれでよかった、と納得している。
残念ながら、ぼくはすぐに人を信頼できるほど人間ができていない。

ぼくが「嘘と隠し事」を許せないのはぼくの課題。
ぱっと「嘘と隠し事」をしてしまったのは他人の課題。

でも、それでも。
「ちゃんと課題を分離できていたのか?」と問いたい。

それと同時に
「今後課題を分離することができるのか?」と問いたい。

さらにいえば
「課題を分離したいと考えているのか?」と問いたい。


3.「課題の分離」ができるかどうかは相手による

「ちゃんと課題を分離できていたのか?」
に対しては、自信をもって「できていなかった」と答える。

「今後課題を分離することができるのか?」
「課題を分離したいと考えているのか?」
に対しては、考えれば考えるほど相手によるなと思った。

『嫌われる勇気』で哲人が述べているように、
基本的には親しいほど明確に線引きすべき。
人間関係を円滑に進めるコツ、という観点からはこの見解に賛成。
他人の課題に向き合って複雑に絡み合うとろくなことが起きない。

他方で、親しい人が抱えている課題で、
その人が成長するためには乗り越えないといけない課題に対して、
「これは君の課題であってここから先はわたしの知る由ではない」
と言い切れるほどぼくは人間が大きくない。
相手が課題を認識し困っていたら、一緒に解決しようとしてしまう。
しかもかなり強めの口調と態度で。

明確に課題を分離しあくまでも相手の課題だと踏まえ行動する、
という選択肢は幾度となく脳裏をよぎった。
やり取りのなかで「それが丸く収める方法だな」と感じたこともある。

感情が先走り「そうできなかった」のか、
あるいは「そうしなかった」のか。
どんなに考えてもいまはわからない。


4.まとめ

今回の件で成長しなければならない、と強迫観念ともいえる想いが迸る。
それはきっと「掌で人を転がす」ことに対する嫌悪感を拭い去ること。
ただ意見するだけの人間からモチベーターにならなければいけない。
真実を追いかけるのが好きなので、正直腑に落ちない部分もあるけれど。
でもそういうことをできる人にならないといけない。
まっすぐにぶつかることだけが幸せじゃないという事実と向き合う。

いっちょやったるか。

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