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幼い頃に発明した動画も見れて、メールもできて、翻訳もできる「スーパー」という機械

今から15年ほど前、小学生だった私は親の転勤でアメリカに住むことになった。
アメリカの北部に位置するマイナーな都市だ。

ニューヨークやロサンゼルスのような大都市であれば、日本人も多く住んでいる。
よって、日本人学校がある。
しかし、私の住んでいた地域は日本人はほとんどおらず、現地校に通うことになった。

英語も分からなかったので、「トイレに行きたいです」「気分が悪いです」「親と連絡を取りたいです」と、親に英語で書いてもらったノートを持参し、小学校に通っていた。
周りは日本人は誰一人いない。
少しビクビクしながら生活をしたことを覚えている。

そんなアメリカ生活で楽しみだったのは、YouTubeで日本のアニメを見ることだった。
ドラえもん、クレヨンしんちゃん、こち亀。
日本語を聞けるだけで嬉しいのに、さらにゲラゲラ笑える。こんな最高なものはないと思った。

ある日弟が、「このYouTubeを外で見れたらいいのになぁ」と言った。
今から15年前、YouTubeは自宅のパソコンでしか見ることが出来なかったからだ。

「そうだ!スーパーという機械を作ろう」
弟は言った。
そう、自分たちのあったらいいなを叶える機械、「スーパー」が誕生した。

もちろん空想である(笑)

名前の由来は、当時自分たちが知っている、スゴさを伝える最上級の表現が「スーパー」だったからだ。

それから、自分たちが欲しいなぁと思う機能をこのスーパーに備えることにした。
例えば、自分たちは英語が話せなかったので、このスーパーに翻訳する機能をつけた。
そうすれば、小学校で外国人の友達と自由に話すことが出来る。
先生の話していることを理解できる。

また、日本のクラスメイトからお手紙をもらう機会があった。
「元気にしてますか?」「日本では体育の授業が楽しいです」と書いてあって、日本の友達と連絡を取りたくなった。
そんな時は、スーパーにこの機能を備えよう、とまた新しい機能を追加した。


15年経った今、改めてスーパーのことを考えてみる。
思い当たるものがある。スマホだ。
動画も見れて、翻訳も出来て、連絡も取れて、音楽も聞けて。
当時はこんなものが登場することを全く想像していなかったが、今現在、多くの人が当たり前に使っている。
僕たちにスゴいものを手にしている。

あの時に自分に伝えてやりたい。
「スーパー、もうすぐ登場するよ!」と。

#エッセイ
#随筆
#15年前の記憶

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