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【日記】ショッキングなことは新たな可能性の始まり

2024年4月4日、関東甲信某エリアを散歩中、仕事でショッキングな連絡が入った。

昨今のギスギスしたネット社会は、誠実な気持ちで行う仕事を容赦なく奪う。
別に私が誠実な人間と言い切るつもりはないが、少なくともクライアントの一部は誠実な気持ち・理念を持っていたはずだ。
そんなスタンスを容赦なく奪う、実に人情味のない社会だ。

このネット社会は、純粋なやり方・誠実なやり方と相性が悪い。
そう再確認させられるくらい、ショッキングな出来事だった。

もちろん、ビジネスにおいて純粋さ・誠実さが絶対に良いのか?という問題はある。
ずるがしこさを持った人間のほうが生き残れる、これも一理あるだろう。

しかしね、世の中にはずるがしこさを嫌う人間もいるわけで。
バカ正直に自分を貫き、他人のために仕事を全うしたい、そんな人間もいるわけで。

繰り返すが、私自身が誠実な人間と言い切るつもりはない。
が、常に狡い性格の人間、いつも小賢しい人間、このあたりはどうも好きになれない。
みみっちいとさえ思う。

誠実な気持ちを持って何が悪い。
こんな時代だからこそ、誠実さ、実直さ、純粋さ、そして人情味、このあたりの感覚を社会全体で再確認してほしいものである。

さて、上記の文章は大してまとまりがない。
別にエビデンスのある話とも言えない。

が、本日2024年4月4日、感情のままこの文章を殴り書きしている。
人様に見てもらうのも忍びない内容である。

しかし、ショッキングなことは新たな可能性の始まり。
ショッキングだからこそ、現実逃避でも何でもいい、とにかく何かを始める。
これは多くの人が経験することだろう。

一方で、別に自分のスタンスを捨てる必要もない。
新たなことを始めるのに、自分の芯やスタンスごと全て変える必要はないのだ。

本当にまとまりのない文章だが、これからマイペースに適当にnoteを書き、これが新たな可能性となるのか、試してみよう。

(有料記事の場合、このようなまとまりのない内容ではなく、きちんとした話を進めます。)


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