小さな頃の気持ちを思い起こしてみた
昨日の続き
小学校6年生の時、1学期間の転校で、大人しい子どもから元気になった子供に変わって、元いた小学校に戻ってきた話。
当時は私もきっと子どもながらに頑張ってはいたと思うけど、今に繋がっているし、良い思い出しかない。
一つ、心に残っているといえば、また家族みんなで暮らそうと決まった時のこと。
母は、岐阜の家から出た時。母の実家 福岡へ 子ども3人を連れて 父から逃げるようにきた。
多分父と会話しても怒鳴られるだけだったから、強制的に子ども連れて出て行ったんだと思う。
戸籍は変更されてるから、父は一度受け入れたんだけど。
突然いなくなって、さみしくなったんだろうね。
岐阜から九州にあいにきた。
一番は子どもためにと思ったのかな。
最終的にはまた岐阜に戻ることになって。
その時の気持ちは。正直嫌だった。
毎日、怒鳴られたし。よく手もあげられてたし。
そんなこと気にせず、福岡ではのびのび生活してたからね。
母はあなた達のためと。嫌いな父とまた生活すること決めた。戻るとき長女である私に気持ちの確認をしてた。
その時、なんだか思いっきりわがままいいたくなって。 私は取引交渉してた。
「スペースワールド連れて行ってくれるなら、いいよ」
当時開園したばかりの、北九州市にある遊園地。
私は 家のお金の状況を察してか、極端に遠慮するような子だったのに。
この時ばかりは、とことんわがままになっていたのを思い出す。
でも、結局、岐阜に戻る当日までそんなに日にちがなくて、スペースワールドには行けず、悔しくて大泣きした。
約束を守ってもらえなかった。行きたかったスペースワールドに連れて行ってもらえなかった。
30年経った今でも、心に残ってる。
それから、時が経って 2017年。スペースワールドの閉園がニュースで流れた。一度も行くこともなく終わってしまった。閉園の寂しさと当時連れて行ってもらえなかった。約束守ってもらえなかった寂しさを同時に思い出したよ。
母なりに、私の機嫌をとろうと、代わりに買い物に連れて行ってもらった。
当時好きだったセサミストリートのトートバッグと、ガラスの瓶を買ってもらった。
ビニールコーティングされた大型トートバッグ。A4書類が入ってもたっぷり余裕があって、なんだかもったいなくて カバンは20代の頃から使いだした。
そのカバンは最近まで使っていた。
トートバッグは大分汚れてしまって。瓶は蓋のコルクがなくなってしまって、10月からはじめた捨て活で、思い切って処分した。
同じく10月から書き始めたnote。
朝活仲間との会話からのきっかけで、この当時を思い出して。
いつもなら、会話だけで終わるところを。こうやって昔の気持ちを掘り起こしながら、今 文字として吐いた。
ずっと心に残ってた気持ちが完全に浄化された気分。
一部
二部
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