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浪人宣言

身体障害のある子供の場合、虐待を受けるリスクは4.3倍。知的障害のある子供は13.3倍というデータがあります。また、発達障害のある子どもの虐待リスクの高さを示すデータも出ています。

自分自身、学習障害の影響で小学校に上がってからは父親に酷く叱責されることや、叩かれることがありました。

僕の学習障害は、いわゆる識字障害というもので、とにかく文字を書くということが困難だったのです。平仮名を綺麗に書けない、片仮名の区別がつかない、漢字を鏡文字で書く。みんながスラスラ文字を書く中、1人だけ時間をかけて汚い字を書く。時間をかけて間違った漢字を書く。時間をかけて、結局板書が写しきれない。まぁ、そんな具合です。

何故、こんな簡単なことが出来ないのか。何故、みんなに出来ることがお前には出来ないのか。努力が足りない。頑張りが足りない。やる気が足りない。もっと頑張れ、寝ずに頑張れ、泣いても血反吐吐いても頑張れ。そう言われ続け、殴られ続けました。漢字の書き取りを毎日やるように言われ、A4のコピー用紙が真っ黒になるまで寝かせてもらえないこともありました。そんな漢字の書き取りが嫌でサボると鬼の形相をした父親に拳骨を落とされたものです。

当時の僕は父親のことが好きでしたし、怒られても殴られても躾なんだと自分に言い聞かせて納得していました。

しかし、父の行ったことは躾ではありません。れっきとした虐待です。この文章を読んでいる方で、昭和の時代を生き抜いた方は特にその程度で虐待なんて……と思うかもしれませんが、今の世の中これは虐待として扱われるのです。例えいかなる理由があろうと、子供に暴力を振るうことは虐待です。

僕は大学の教育課程で虐待について学んだ時に、初めてこのことを知りました。それまで、例えば子供が悪いことをして家から締め出すだとか、食事を与えないだとか、殴って叱るだとか、そういうことは全て躾なんだと、みんな家ではそうやって怒られているのだと思っていました。

少なくとも健全な家庭で育った僕の友人らは、誰一人親に殴られたことはありませんでした。一度頬を叩かれたことはあれど、その後泣いて謝られた……なんで人はいましたが、日常的に殴られている人はいませんでした。

虐待はとても哀しいものです。

何年経っても拳を振りかざす父の姿を思い出します。泣いて謝る僕の頭に真っ赤な国語辞典を振り下ろす父の姿。それを、さも当然のように眺める母の姿。

この先、僕が自立して実家を出ても、結婚しても、子供が産まれても、両親が死んでも、虐待されていたことは忘れられないでしょう。

だから虐待は哀しいんです。

自分と同じく、障害を理由に虐待を受ける子供達は沢山います。しかし、学校教員は多忙で虐待や発達障害の問題に取り組む時間や余裕はありません。

僕はあの頃の僕を救うために教育学を学ぼうと思います。あの頃の僕が、理不尽な暴力を黙って受け入れていた僕が、救われるような道を作るために。特別支援教育を学び、虐待されてしまう彼らが、僕らが、どんな特性を持っているのか学びます。どんな支援が必要なのか学びます。そして、その支援を適切に保護者の方に行き渡らせたいのです。子育てが孤独にならないように支援したいのです。

僕は僕にしか救えない。虐待の話を大人にしても、もう誰も僕を助けてくれない。命の危険がないから、虐待が過去のものであるから、もう僕が大人だから。だから僕は僕が助けるんです。

さぁ今日も、志望校合格のために、夢に一歩近づくために数学II Bの問題集を解き進めるのです。


【参考サイト】
障害児への虐待親と子をどう支えるか-記事│NHKハートネット

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